村上春樹の読書案内&創作教室『若い読者のための短編小説案内』
もはや「若い読者」ではないし、熱心な村上春樹の読者でもないが、この一冊から得るものは多かった。理由はみっつある。
ひとつは、なぜ村上春樹が短編小説を書くのかを、確認できたこと。もうひとつは、小説を読む喜びの根っこがどこにあるのかを、再確認できたこと。そしてみっつめは、小説を書く秘訣のうち、最も重要なものが何であるかについて再確認できたこと。すべてここで明かすつもりだが、聞いてしまえばなんてことのない。だが、そこに至るまでの過程こそが、喜びであり肝なのだ。これ、「人はなぜフィクションを必要とするのか」にもつながる話。
本書は、以下の作家から各一作品ずつ短編小説を挙げ、読み手と書き手の両方の視点から読み解いた読書案内。米国の大学での講義内容を元にしているため、しゃべり言葉になっており、とても読みやすい。また、あらすじを紹介しつつ進めているため、これらを読んでなくても問題なく楽しめる。(ただし、きっと読みたくなる)。
吉行淳之介 『水の畔り』
小島信夫 『馬』
安岡章太郎 『ガラスの靴』
庄野潤三 『静物』
丸谷才一 『樹影譚』
長谷川四郎 『阿久正の話』
一作品につき一章を割り当て、自身の創作手法も織り交ぜながら、紹介と読解を深めてゆく。「長編小説を書くためのスプリングボードとしての短編小説」「フィクションとしての説得力をどうやって保たせるか」など、短編小説に限らず創作を志している方であれば、たくさんの気付きが得られるだろう。ここでは、「自分を回復させるために書く」件で最も響いた一文を引用する。
物語を書くことによって、心の特定の部分を集中的に癒すことができます。精神的な筋肉のツボのようなところを、ぎゅっと効果的に押さえることができます。それは短く深い夢を見ることに似ています。
上述の6作品のうち、わたしは『樹影譚』しか読んでないが、かつて『笹まくら』で打ちのめされた「意識の流れをずらす+信頼できない語り手」手法が濃密に凝縮している……という印象だった。このぼんやりとした印象を、本書では「丸谷才一の変身術」として、明晰に徹底的に語りつくしており、二重に驚いた。手品のタネあかしだけでなく、その手品がどこからやってきたかまで曝露しているからだ。egoとselfのせめぎあいから、その作家の「作家性」にまで寄り添った"読み"は、わたしの"読み"とはまた違って、深くて濃くて面白い。
村上は言う、本の読み方というのは、人の生き方と同じであると。ひとつとして同じ読み方は存在しない。読むことも、生きることも、孤独で厳しい作業かもしれないが、その違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができると。「気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである」。わたしたちは孤独な存在だけれど、小説という幻想を共有できる場所を持つことで、少しのあいだ慰められるのだろうか。
いちばん激しくうなづいたのは、小説を書く上で最も重要なところ。わたしに最初に教えてくれたのは、開高健、そして夏目漱石とボルヘス。最近だったら、ロベルト・ボラーニョがその作品(『2666』な)でもって示してくれた、小説の極意。村上春樹は、わたしの知る限り最も簡潔に、この極意を伝えている。
おそらくそこがキモなのですね。語られなかったことによって何かが語られているという、ひとつの手応えのようなものがあります。優れた作家はいちばん大事なことは書かないのです。優れたパーカッショニストがいちばん大事な音は叩かないのと同じように。
パーカッショニストに喩えるところがいかにもだが、言わんとすることは絶対に忘れない。小説という形で差し出されたとき、それは(どんなに取り繕ってみせても)一つの嘘なのだ。真実を、真実だからという理由でそのまま書いたとしても、それはリアリティを欠いた、ひどく薄っぺらなものになるだろう。では、小説家はどうするのか? その代わりに、ひとつの嘘をでっち上げる。その嘘おかげで、物語は質量と体温を持てるようになり、嘘の中のリアリティとして扱えるようになる。ラブレーが喝破した「三つの真実にまさる一つのきれいな嘘を!」を、村上は物語の力だという。
僕らはその小説を書き上げ、「これは現実じゃありません。でも現実じゃないという事実によって、それはより現実的であり、より切実なのです」と言うことができます。そしてそのような工程を通して初めて、それを受け取る側も(つまり読者も)、自分の抱えている現実の証言をそのファンタジーに付託することができるわけです。言い換えれば幻想を共有することができるのです。それが要するに物語の力だと僕は思っています。
これは受け取る側(読者)にも言える。ファンタジーというに付託する方向とは逆に、「きれいな嘘」のおかげで現実との折り合いをつけるやり方だ。現実は巨きすぎで、辛辣で、ややもすると圧倒されて何も考えられなくなる。そうなる前に、現実のメタファーとして小説を楽しむことによって、現実をシミュレートする。「現実そのままを生きる」なんてそれこそ嘘で、なんらかの形に加工することで、"かなしみ"だとか"愛"といった認識に帰着させることができる。それに気付かせてくれるのが優れた小説であり、その手技を紹介してくれるのが、本書になる。
最後に。本書の講義をする際、学生に要求したこと3つを紹介する。これは、村上自身が心がけているポイントでもある。簡単そうに見えるけれど、これは、かなり難しい。
- 何度も何度もテキストを読み込むこと(細部まで暗記するまで)
- テキストを好きになろうと精いっぱい努力すること(冷笑的にならないように努めること)
- 読みながら頭に浮かんだ疑問点を、どんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)こまみにリストアップして、みんなの前でそれを口にするのを恥ずかしがらないこと
よい短編で、よい人生を。
そうそう、次回のスゴ本オフのテーマは「短編集」。いつもは、「SF」とか「食」といったジャンルテーマなので、出てくる作品も似通ってくる。しかし今回はフォーマット縛りなので、器に何が入っているかは、出てきてからのお楽しみ。純文、文芸、ミステリ、エンタメ、ロマンス、ホラー、SF、冒険、ファンタジー、ノンフィクションとなんでもありだし、言語圏、地域、年代、作家しばり、ショートショート、オムニバス、アンソロジー、詩集も句集も「短編集」になる。
読まずに死んだらもったいない鉄板から、思いもよらない傑作まで、いい短編に出合えることを請合う。詳細はfacebookで。アカウント持ってない方は、twitter(@Dain_sugohon)に@してくださいまし。
7/23(土)13:00-17:00
渋谷某所
途中入退場OK
facebookスゴ本オフ「短編集」の会
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