『小説・秒速5センチメートル』の破壊力について
3編にわたるオムニバス形式で、初恋が記憶から思い出となり、思い出から心そのものとなる様を、驚異的なまでの映像美で綴っている。
ノスタルジックで淡く甘い展開を想像していたら、強い痛みに見舞われる。わたしの心が身体のどこにあってどのような姿をしているのか、痛みの輪郭で正確になぞることができる。予備知識ゼロで観てしまったので、徹底的に打ちのめされた。涙と鼻汁だけでなく、口の中が血の味がした(ずっと奥歯を噛みしめていたんだと思う)。初めて観終わったとき、それほど長い映画でもなかったのに(1時間とすこし)、疲労感で起き上がれなくなった(ずっと全身に力を込めていたんだと思う)。
何度も観ているうちに、「それを観たときの出来事」が層のように積まれていく。どんな季節に、誰と/独りで、何を思い出しながら観たかが、痛みとともに遺されていく。あるときは彼の気持ちになり、またあるときは彼女に寄り添い、観たという記憶が思い出になる。「桜花抄」の焦燥感も、コスモナウトの広大さも、そして「秒速5センチメートル」の切なさも、ぜんぶ宝物だ。
何度も観ているうちに、わたし自身の記憶と重なる。思春期のときに罹る「ここじゃない」感も覚えている。社会人になって心が少しずつ死んでいく感覚も知っている。だからこそ貴樹にシンクロしてしまい、そのキスが完璧であればあるほど、それに囚われてしまっていることにもどかしく、やるせない気持ちになる。その背中を見ている花苗が純粋でまっすぐで情熱的で、いじらしさを通り越して痛ましさまで感じてしまう。
ああいうラストでなかったなら、もっと前向きなイメージを保てたはずなのに、あの手紙を渡せていたなら、もっと違った未来があったはずなのに、何度見てもストーリーは変わるはずもないのに、それでも強く願ってしまう、こうあってほしいと。そして観るたびに印象が変わる、あのラストの一瞬間、その人はあの人だったのだろうか(そんなわけない/ひょっとして……)、そして二人は視線を交わせたのだろうか(小田急の方が早い/微笑みが残されている)。
そういうもやもやした思い出を引きずって、作品そのものにわたしが囚われて、貴樹みたいにいつまでもどこまでも未練たらたらに惑っている。そういう、呪いみたいな思い出を昇華してくれたのが、『小説・秒速5センチメートル』だ。映画と小説は相互補完的にできており、「秒速5センチ」にまつわるやりとりや、岩舟駅の駅員さんの優しい心遣い、ずぶ濡れになって露わになった身体の線だとか、ずっと謎だった「あの日、明里が家に帰らなくても親は心配しなかったのか?」が分かった。
そして一番嬉しかったのは、あのラストシーン、わたしが陥っていた喪失感から救われたように思えたこと。ここは意図的に違えて書いているのだろう、どうにもならない現実と、どうしようもない思い出と、なんとか折り合いをつけて生きている貴樹が前へ進めるような、そんなラストだ。あのお互いの「渡せなかった手紙」に書かれていたことからも分かる、たとえ渡さなくても、気持ちはすでに伝わっていたことに。
最後の数ページ、文字がにじんで桜吹雪に重なる。最初のシーンの駆けてゆく二人の後姿が見える。山崎まさよしの「One more time, One more chance」のサビがくり返し繰り返し響いてくる。映画によって厚く積もった思い出が、ゆっくり、じんわり溶けてゆく。呪いは解けた。もちろん痛みはある。もったいなくて、忘れたくない。この痛みもひっくるめて、わたしの心なのだ。
もしあなたが、観ても読んでもいないなら幸せ者だ、明日の予定のない夜に観ればいい。もしあなたが、観たけど読んでいないなら、もっと幸せ者だ。明日の予定のない夜に読んで、そのあと映画を観ればいい。約束する、これ読んだら、もう一度、観たくなる。
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コメント
こんにちは
初めて書き込みさせて頂きます。
不愉快でしたらお許し下さい。
いま書店にある雑誌ダ・ヴィンチに新海誠さんの、
新海誠をつくった14冊が発表されています。
サイト主さまが、あらためて興味を引かれるような本は一冊もないとは思いますが、一応、立ち読みされてはどうでしょうか。
投稿: シルビアのいる街で | 2016.08.09 18:04
>>シルビアのいる街でさん
情報ありがとうございます! ダ・ヴィンチは見ないので、こういう情報は助かります。早速チェックしたところ、さもありなんという小説から、まさかこれがという評論まで幅広ですね。いま読んでいる『都市と星』や、大昔ハマっていた「Oh! X」が挙げられていて親近感が湧きました。
投稿: Dain | 2016.08.11 14:34