『私の本棚』を『無限の本棚』にする方法
わたしは自分の書棚を持ってない。そう言うと驚く人がいるが本当である。世に読書家なる人がいて、壁一面の巨大な書架や、本で埋め尽くされた部屋、重みで抜けた床などを自慢気に語るが、正直なところ、羨ましい妬ましい→愛と憎しみと諦めの『私の本棚』
もちろん我が家にも本棚はあるし、トイレと浴室以外の全ての部屋にある。だが、それらは子どもの漫画場だったり妻の専用架になっており、いわゆる「わたしの本棚」は無い。わたしの本は、それぞれの棚の一部を間借りする形で、あっちへ数冊、こっちに少しと散らばっている。だから、本好きが「いつかは自分の書斎を」を夢見るように、いつかは自分の本棚を持てるようになりたい。
では、不自由しているかというと、そうでもない。自分の書棚がないのは不便だが、「不自由」ではない。むしろ、自由を得ていると言いたい。近所に書店はたくさんあるし(書棚は諳んじている)、図書館から好きなだけ借りられる(ときにAmazonより早く届く)。わたしの本は、わたしの行くところにあるんだ、と考える。この心意気は、松下幸之助に学んだ。
曰く、自分の行く先々の世界は、全部自分のもの(と考えよ)。自分のものだけど、全て自分で運営できないから、人にやってもらっている。そのお礼として代金を支払うのだ。そう考えると、感謝の念も湧いてくるし、何よりも「これ全部オレのもの」と思うと、心豊かにならないか―――というやつ(うろ覚え)。
松下幸之助は料亭で喩えたけれど、わたしは書店・図書館で実践している。生きてるうちに読めもしない、たかだか数千冊を後生大事に抱えているより、「わたしの行くところが、わたしの書棚」と考えるほうが、「自分の本棚すらもらえないパパ」よりもポジティブである。わたしの書棚は、必要なときにアクセスできる、エア本棚なのだ(虚勢)。
そんな奇特な人はわたしだけだと考えていたら、お仲間がいた。それが『無限の本棚』の著者、とみさわ昭仁氏である。しかも、もっとダイナミックでマニアックに成し遂げている。著者は、神保町の特殊古書店「マニタ書房」の店主だが、「人喰い映画祭の中の人」と言ったほうがピンとくるかも。「マニタ書房」は、Man-Eater(人喰い)をもじって名付けられたのだが、「特殊」古書店と宣言する通り、品ぞろえはかなり特殊だ。ジャンルも、「アイドル」、「格闘技」から始まって、「秘境と裸族」「人喰い」「尾籠本」など、サブカル色が強いが、店主の趣味全開といった感じがする(デイリーポータルZ:(変わった)古本屋の作り方)。
とみさわ氏によると、全国の古本屋やブックオフを訪ね歩き、本を探して集めるのは好きだけれど、全部は読まない(読み切れない)。だから本棚に並べた瞬間から、どうでもよくなる。彼は、「日本一ブックオフに行く男」でもあり、日本全国にある約900店舗のうち500店を制覇したという。本を探すというよりも、ブックオフ全店舗リストをコンプリートするのが目的となってて面白い。その行脚の過程で、お宝を見つけること自体が楽しいのだ。もちろん商売だから売るのだけれど、本そのものに未練はない。このあたりの感覚が、わたしの「エア本棚」に似ている。あと、「ブックオフ→図書館」に置き換えるなら、東京図書館制覇!にも似ているね。
そういう、本という「モノ」ではなく、本を見つけた「コト」を重視する姿勢は、どこから来たのだろうか? それを語りつくしたのが、『無限の本棚』なのだ。誰だって、子どものころ、ミニカーや切手、ライダーカードなど、何かを集めることに熱中したことはあるだろう(現在進行中の方もいるかもしれない)。
著者は、さらに突き進む、しかもわざわざ、誰もいない道を選んで。「戦車の絵が描かれた」ジッポーだけを集め、メジャーリーグカードのうち、「リプケン・ジュニア」だけを2400枚集め、全国各地のダムだけで配布されている「ダムカード」を集める。まるで何かに取り憑かれたように集める。何かをコレクションすることを蒐集というが、そこに「鬼」という文字が入っているのは、鬼に憑かれることを指すのかもしれぬ。懐具合、家族の視線、置き場所、誰もがぶつかるコレクターの悩みが赤裸々で身に染みる。集めたものを手放すことになるのだが、その理由が切なくて身に染みる。
そうやって集める→手放すのサイクルを何度もくり返すうち、著者は、ある領域にたどりつく。憑かれたように蒐集する自分を、メタな視線で見直し、いったい何を渇望しているのかを問い直す。そして、自分は「集める」という行為が好きなのであって、集まった「物体」には興味が向かないことに気付く。モノではなく、コトが動機なのだ。
さらに、ここからが彼の凄いところなのだが、「エアコレクター」という新境地を開拓する。エアコレクターとは、「物体」ではなく「概念」を蒐集する。先の「リプケン・ジュニア」の野球カードなら、その全リストを作り上げる。次に、全国のカードショップを巡るのだが、探していたカードを見つけても、買わずに帰ってしまう。そして、リストにチェックを入れておしまい。つまり、見つけたカードを買う直前で寸止めして、「見つけたという事実」を蒐集するわけだ。これは賢い。
その先にある、「持たずに集める」エアコレクションの実例が、さらに凄い。たとえば、「札束JPG」。Google画像検索に「100万円」とか「500万円」といった景気のいい数字を入力して、出てきた画像を集める。リンク元を渉猟するうち、著者は面白いことに気付く。そんな大金を写真に撮ってアップするような人は、ほとんどが普通の庶民なのだ。庶民がそんな大金を手にするだろうか? 実は、そんな機会は人生のうちに2つあり、「家を買うための頭金」と「葬式の香典」なんだって。「人間は本物の札束を目の前にすると記念写真を撮りたくなる」習性が垣間見れて面白い。
かくいうわたしも、エアコレクションがあることに気付いた。それは、「読まなかった」リストだ。買う/借りる/貰うなどで手に入った本は、しばらくのあいだ積まれているものの、「今は読まない」と判断されると、容赦なく贈与/返却/売却される。そして、「あとで読む」本たちは、タイトルだけ控えておき、数週間から数か月のうちに読むかどうか再判断する(いま数えたら、1500冊ほどあった)。その中で、「やはり今読みたい」を抽出すると、20冊ぐらいになる。このリストは、新刊も入ってくるので、毎週更新される。
この20冊、読む前からスゴ本が確定していることが分かっているものの、質・量ともにかなり手ごわいので、時間をかけて攻略している。わたしのエアコレクションは、20冊の未読スゴ本を抽出するための1500冊を、書店や図書館といったクラウド上に配置するためのインデックスなのだ。そして、このインデックスがある限り、わたしの本棚は世界の本棚とつながっており、置き場所や床抜けを気にすることなく、好きなだけ拡張することができる。
私の本棚を、無限の本棚にするために、お試しあれ。
| 固定リンク
コメント