絶望保険『絶望読書』『なぜ私だけが苦しむのか』
いざというときが、いまというときであり、 いまというときが、いざというときである。
この「いざ」と「いま」を分けて考えているから、いざというときには間に合わない。だから常日頃、考えろと300年前のモノノフは言った。300年後のわたしは考える代わりに保険に入り、「いざ」というときに役立ちそうな保険本を読む。
絶望の淵に立ち、「なぜ私だけが苦しむのか」と問いたくなったときに読むなら、文字通り『なぜ私だけが苦しむのか』を推す。病や事故、わが子や配偶者の死など、立ち直れないほどの出来事に遭遇したとき、人は宗教に救いを求める。だが、宗教はあまり役に立っていないという。ほとんどの宗教は「起こってしまった悪いこと」に対し、神を正当化することにかまけ、嘆き悲しむ人に寄り添っているものは少ないからだという。
いま読まなくてもいい、タイトルだけを頭の片隅に入れておくか、棚のあそこにあると意識しておくだけでいい。絶望が本当にやってきたそのとき、どう向き合えばいいのかが、書いてある。「絶望の最中、本なんて読む余裕はない」という人がいるが、その通りだろう。そこまで気付けるのなら、これで予習するといい。わたしのレビューは、[なぜ私だけが苦しむのか]にある。
そして、絶望する期間が長引くほど、荷はどんどん重くなり、日常は侵食され、朝起きることから辛くなる。時が解決してくれるかもしれない。いずれ折り合いが付くかもしれない。だが、そこに至るまでの期間、どうすればよいのか。
絶望からどうやって立ち直るのか、様々な方法論や先人たちの知恵を紹介してくれる本がある。くじけそうな自分を励ましてくれる本がある。そもそも絶望しないための本もある。だが、絶望している間、どうやって過ごせばいいのかという本は、ない。それに応えたのが、『絶望読書』になる。
著者は、人生の輝かしい時期に大病を患い、辛い思いをしてきた。その間、お見舞いがてらに渡された、気分を上向きにしてくれる本を読んだという。ひき寄せ法則やポジティブ思考など、「信じれば願いはかなう」系は、読めば読むほど気分が沈んでいったという告白は、さもありなん。闘病記や逆境を克服する話も、読むほうは辛いらしい。病気になっても明るく前向きに頑張れる人は特殊で、普通はそんな立派な人になれやしない。病気だけで精一杯で、読書なんて無理。絶望した直後は、絶望していることしかできない。
ただ、辛さが長期間続くとき、数週間から数年に渡るとき、どうすればいいか。著者自身の経験から、お薦めと、お薦めできない作品が紹介される。『なぜ私だけが苦しむのか』にもあるが、ほんとうに辛いときに必要なものは、激励や克服などではなく、ただ傍によりそってくれることだと考える。ドストエフスキーから桂米朝まで、本に限らず「よりそってくれる」ものを選んでいる。
ちょっと笑ったのが、編集の手違い。p.170に新潮文庫『カラマーゾフの兄弟』の書影があるのだが、上巻と下巻しかない。tumblrで知った小話「カラマーゾフの兄弟」上下を読んで感動した。その後中巻を発見してびっくりした」を思い出す。隣の『罪と罰』の書影(これは上下巻でOK)に引きずられたのだろうか。
いまというときはピンとこないが、いざというとき必携の2冊。いざというときは読んでられないから、いまというときに読んでおきたい。
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