『クオ・ワディス』はスゴ本
面白かった!
これは、最高に面白い小説になる。そして、誰にでもお勧めできる夢中小説であり徹夜小説であり試金石ならぬ試金本となる。(幸福な)未読の方は、だまされたと思って読んでほしい。そして、もし本当に騙されたと思ったならば、これを凌駕もしくは匹敵する作品を教えてほしい。まさにその作品名は、検索できないものだから。
舞台は頽廃の都ローマ、暴君ネロの治世。キリスト教徒の娘リギアと、エリート軍人ウィニキウスとの恋愛を縦軸に、粋なトリックスターであり審判役もするペトロニウスとネロの権謀術数、弾圧されるキリスト教が大化けして世界を変革する様相が、ドラマティックに描かれている。絶望と狂気、快楽と歓喜が、圧倒的に伝わる物語となっており、人の魂の最上級の姿と、人の欲望の最も醜い貌の、両方を同時に見ることができる。
さらに、豪華贅沢三昧の宮廷イベントや、読むのをためらうほど身の毛もよだつ残虐シーンや、劫火と苦悩が異様な美を織りなす光景など、どんな映画よりもスペクタクルな場面が用意されており、これまた見てきたようにきっちり考証して事細かに書いている。
根底に流れるテーマは、「変化」だ。肉欲から始まった恋が献身的な純愛に変わっていくプロセス、飽満が変態の一線を越える様、ただの権力者が人外になる変化が、幾重にも埋め込まれている。特に、暴力と権力を信条とする極めてローマ的なウィニキウスが、どうやって献身的なキリスト教徒に変わっていくのか、心情も含めて詳らかにされる一方で、徹底的に迫害されるキリスト教徒が、どのようにローマを、世界を変革していくかの"理由"が、くっきりと描かれる。
いわゆる「信仰か愛か」「殉教か救済か」という二択の葛藤を描いたドラマはたくさんある。だがこれは、「信仰が愛へどのように変化してゆくか」「どのように考えたら殉教が救済だという確信に至るか」という過程が読み手を揺さぶる。ハラハラ・ドキドキしながら物語を追いかけていくうちに、ぜんぜん違う自分を見出すことになるだろう。物語の最初と最後で、世界はまるで違って見える。地滑り的にうねるローマの変わり具合こそが、いちばん面白いところ。まるで自分が変わってしまったような印象をうけるから、文字通り「世界を変えてしまう」小説なのかも。
変化を変化と認識するためには、不動の軸となるものが必要だ。この物語では、巨大な不在としてイエス・キリストが軸となる。その目撃者であり使徒でもあるペテロやパウロの"言葉"がローマに浸み込み、ローマをひっくり返す過程こそが、物語全体を貫くダイナミズムなのだ。神の奇跡ではなく、それを確信する人間たち、その信条と心情の変転が、そのまま読み手であるわたしを撃つ。
涙腺ゆさぶる「許し」のシーンで思わず叫ぶ。座って読んでいたのだが、思わずうわあと言うだけでは足らず、立ち上がって再度うわあと叫んだ。足を踏みならし、頭を振りたてて、肩をぶるぶると震わせて、三度叫んだ。それぐらい脊髄にクる「許し」の場面がある。呼吸をやめて、頁をめくれ。
これほど夢中になったのは、吉川英治『三国志』ぐらい。ミソは正史ではなく演義なところ。歴史家の云いによると、『クオ・ワディス』はエンタメ色たっぷりに脚色されているらしいが、そこが良い。正しさよりも豊かさ。豊かさよりも面白さ。面白さよりも眠れなさ。眠れぬ夜に開いたならば、寝かせてくれないことを請け合おう。ちょうどいいところ、「この後どうなるんだ!?」的なシーンで次巻へ続く構成なので、必ず上中下そろえてから読み始めること。
未読の方は幸せ者よ、読まずに死んだらもったいない。明日の予定がない夜にどうぞ。

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コメント
お久しぶりです。
お世辞抜きで、素晴らしい書評です。
私も、先日没頭して読み終えたところですが、dainさんと同じような感動を覚えました。
悲しいかな表現能力が無いので、その感動を顕す術がありませんでした。
ただ一言、言いた。
「そうだ、そうだ! この小説は、めちゃくちゃ面白いぞ!! 読むしかない!!」
ただ、あまりの感動で、これの後何を読めば良いか悩みました。
私の場合、アフタヌーンティーみたいなブラッドベリで落ち着きました。
投稿: oyajidon | 2016.05.10 08:07
>>oyajidon さん
コメントありがとうございます! ブログでだらだら書きましたが、端的にすると「四の五の言わず、面白いから読め(命令)」ですねw
投稿: Dain | 2016.05.10 22:48