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水は金のある方に流れる『神の水』

神の水 これはSFなのか? 舞台や小道具が近未来なだけで、中身は骨太ハードボイルド、枯渇しつつある「水」を巡る、暴力と格差の物語だ。

 俗に言う「頁を繰る手が止まらない」やつ。環境破壊が着々と進む近未来のアメリカを舞台に、奪うもの、守るもの、目撃するもののそれぞれの運命が「水」に翻弄される様は、寝るタイミングを逸する。

 しかも、最初は異なる立場だったものが、「水」を中心に縒り合わされてゆく構成は、お見事というほかない。持てるものはシェルタリングされた都市に逃げ込み、貧者は国内で難民化する社会。もともと半砂漠地帯だった中西部は深刻な水不足に陥り、水利権をめぐり州どうしが対立・衝突する状況になっている。

 「調べて結論を出すべきことがらだったのに、信じるかどうかという問題におとしめてしまった」のように、いま読者が目にする警告が、過去形にして自嘲的にくり返されている。さらに、ドルより人民元が幅を利かせていたり、崩壊ポルノやグロ画像でページビューをかせぐ「ジャーナリスト」がピューリッツァーを狙う社会は、近未来というより近接未来やね。いまとシームレスにつながっているので、どこを読んでも既視感ありまくり。

 とてもユニークなのは、この作品の真の主役は、舞台となっているフェニックス市そのものであること。アリゾナ州最大の都市であり、20世紀初頭のニューディール政策により発達し、半導体産業や観光業で盛んな街だ。砂漠の上につくられた人工都市で、GoogleMapで分かるように、細い水路がまるで点滴のように刺さっている。温暖化による水不足で、遅かれ早かれ遺棄されることは分かっているのに、しがみつく人は、自分の小便を飲む。ビジネスチャンスを見出す人は、資本を募り補助金を投入し、砂漠に湯水を注ぎ込む。そこに渦巻く陰謀や二転三転する運命は、あくまで人のもの。金のため、生き延びるため、人は右往左往しているだけで、そのあいだにも、ゆっくり世界は壊れていく。

 この徒労感を示す、フェニックス市を模した表紙が非常に象徴的だ。ひび割れた土塊をよく見ると、まるで分断された街に見える。不死鳥と名づけられた街は、アメリカ合衆国の近接未来そのものに見える。

砂漠のキャデラック 『神の水』の中で象徴的に紹介され、かなり重要な役割をはたしているライスナー『砂漠のキャデラック』を読むと、アメリカの水資源開発が、いかに歪な構造をしているかが、よく分かる。

 アメリカ西部では、雨のことを「神の水」と呼ぶ。ほとんど降らない貴重なものだから。なかでも年間降水量が200ミリ未満の地域───フェニックス、エルパソ、リノは、そもそも人が住むところではない。にもかかわらず、ダムで水を集め、貯水し、コンクリートの水路で数百キロのかなたまで送ることで、街が成り立っているという。文字通り、砂漠に水を撒くようなことをしているのはなぜか?

 『砂漠のキャデラック』では、キリスト教的理想が根底に在るという。西部開拓時代から、人が住みつけば、雨がとたんに増える。雨は、「鋤に続く」と考えられていた。ところが、これが途方もない間違いであったことが分かると、灌漑事業がほとんど狂信的なまでに遂行された。そして巨大なダムが経済的合理性や必要性を無視して次々と建設されたという。都市の成長のために水が必要で、水を集めるために事業が興され、人と金が集まってくる。そこに雇用が生まれ、商工業が発達し、都市の成長を促す。この水と金のライフサイクルにより発達したのが、フェニックス市である。「西部では、水は低きから高きに流れる」という。これは、「水は、金のあるほうへ流れる」という意味だ。したがって、金の続く限り『神の水』で描かれる地獄は続いてゆく(しかも地続きだ!)。

「水」戦争の世紀 『神の水』では陰謀の一端を担っていたカリフォルニア州の事情は、輪をかけて深刻だ。バーロウ『「水」戦争の世紀』によると、北米最大の帯水層であるオガララ帯水層は、補充できる水量の14倍の速度で失われ、既に半分以上の水がなくなっているという。

 集約的な農業や半導体産業のため、カリフォルニアは大量の水を必要としている。だが、本来の場所でそれだけの量を得られないため、州は何十億ドルも使って、水源から何百キロも離れた場所まで分水し、「盗んだ」水で緑化されているという。カリフォルニアの農家は、補助金のおかげで実際にかかった灌漑費用の20%以下しか払っておらず、綿花を育て続けている。半乾燥気候では、小麦や大豆のほうが圧倒的に少ない水で済むにもかかわらず、政府は綿花の生産に補助金を出し続けているのが現状だという。生産性を考慮する際、いったんできあがった灌漑設備の減価償却費は積んでいるかもしれないが、年々希少になってゆく水そのものの価値は含まれていない。結果、茹で蛙のレトリックがそのままあてはまる。

 『「水」戦争の世紀』では、このレトリックが州、都市、国家にまで拡張されると、端的に紛争という結果につながることを示す。ナイル川をはさんで対立するエジプトとエチオピア、ガンジス川の取水問題でいざこざを起こすインドとバングラデシュ、シンガポールに対する水の供給を停止すると威嚇するマレーシアなど、枚挙にいとまがない。国境となる川はどこまで分水するかの火種となり、国境をまたぐ川の上流と下流は、そのまま生殺与奪の力関係になる。上流にダムを作られたり、分水されて水量が減ったりすると、それはそのまま両国の緊張を高めることになる。メコン川の上流に大型ダムを次々と建設する中国と、その下流域の国々との関係が典型だ。

 『神の水』は、SF作家であるパオロ・バチガルピが書いた未来である。だが、どうしてもフィクションに見えない。ガジェットが少し未来なだけで、むしろそこに描かれた世界は既視感にあふれている。

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