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進化医学の最先端『ヒトは病気とともに進化した』

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 もちろん病気は避けたい。誰だって苦痛は嫌なもの。

 だが、その「わたしの価値観」に囚われるあまり、健康は善、病気は悪といった二元論に陥っているのではないか。生物の営みからすると、疾病とは現象であり、状態にすぎない。病気が引き起こす諸症状を、排除するべき悪と捉える限り、病の本質を見誤ることになりはしないか───本書を読みながら、幾度もそう感じる。

 「どうして病気になるのか?」という問いには、2つの意味がある。

 「どうして→どのようにして(How)」と見るなら、病気になる直接的な要因を探る伝統的な医学の営みになる。たとえば、心筋梗塞を引き起こす動脈硬化の原因を、コレステロールの蓄積や原因遺伝子に求める。いっぽう、「どうして→なぜ(Why)」と考えるならば、そもそもなぜ「ある」のかという究極要因に答える進化医学の範疇になる。動脈硬化を引き起こすのがコレステロールなら、そもそも人はなぜそれを好むのか? 原因遺伝子は自然選択で取り除かれなかったのはなぜか? まで考える。

 この、「なぜ病気はあるのか?」という出発点から、進化医学の知見を集めたのが本書になる。ゲノム情報から疾患原因を見つける手法を紹介したり、疾患の進化的モデルとその意義を深掘りする。この観点から見ると、本来なら避けたい病気の症状が、実は適応的な意味を持っていることに気づかされる。あるいは、病気というものは、長い期間を経て適応してきた結果の副作用であることが分かる。病に対し抱いていたパラドキシカルな考えが炙り出されるようで、面白い。

 たとえば、風邪をひいたときの発熱などがそう。高熱で苦しそうだから、とにかく解熱剤で下げようとする考えがある。一方で、ウィルスに高温で対抗しようとしている防御反応だから、解熱剤は処方しない方針もある(ただし頭は冷やす)。かつては前者、今では後者が有力となっているが、全く逆のことを「正しい」治療としていたことが興味深い。

 あるいは、栄養過多による肥満。長期間の狩猟採集生活に適応した身体にとって、農耕や産業を手に入れたのは、生物進化としては「つい最近」の話になる。環境の変化に身体が追いつけず、過剰な栄養と運動不足が肥満という「病気」を生み出すことになる。この場合に「異常」なのは、身体ではなく環境なのだ。病気を「正常」「異常」というカテゴリにはめる従来の見方から離れると、より本質的な真因への道筋を見いだすことができる。

 最も興味深く感じたのが、統合失調症への進化医学的な説明だ。認知障害や幻覚・妄想など多様な症状を示すこの病は、実はありふれた疾患(common disease)だという。というのも、発症頻度はきわめて高く、約100人に1人の割合でなるからだ。それだけではない。この値は、世界中どこでも一定になる。地域、民族、文明化の度合いに関わらず、統合失調症になる割合はいつも一定の1%だというのだ。

 さらに興味深いのは、統合失調症が「残っていること」そのものだと指摘する。多くは思春期前後に発症し、一旦発症すると、社会性を著しく損なうことになる。配偶者を見つけることも、子どもをもうけることも非常に困難になる。したがって、統合失調症の子孫が育ち、そのリスクアレル(ゲノムのタイプ)が次の世代に伝わっていく可能性は極めて低く、すぐに人類集団から除去されてしまうことが予測される。それにもかかわらず、なぜ統合失調症のリスクアレルが残っているのか?

 本書では、このパラドクスに対し、平衡淘汰仮説(Horrobin,2001)を用いて説明する。これまで、「病の原因」として見なされていた統合失調症リスクアレルこそが、実は脳機能に貢献していると考える。

 つまりこうだ。統合失調症リスクアレルは高次脳機能を少しずつ上昇させ、個体の適応度を上昇させる。だが、そこには限度があり、リスクアレルをある数以上に併せ持つと統合失調症を発症し、個体の適応度を減少させてしまう。反対に、統合失調症リスクアレルが少ない個体は、高次脳機能の維持が困難になり、この場合も適応度が減少すると考える。

 統合失調症と高次脳機能、この相反する二つの淘汰圧によって、集団内に一定の頻度に保たれると期待できるというのだ。この仮説に従えば、統合失調症の発症者には、脳機能向上アレルが集積していると期待される。ノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュや芸術家のエドワルド・ムンク、アインシュタインの息子やジェームス・ワトソンの息子といった事例を出して、期待の裏づけを取っている。一種の閾値のように働く統合失調症リスクアレル(=脳機能向上アレル)は、人類をそれ以上聡明にしすぎないためのリミッターのようなものなのかもしれない。

 ヒトには約2万もの遺伝子があると考えられているが、病気に関連する遺伝子は、その一割にまで達するらしい。研究が進むにつれ、この割合はさらに増えていくという。「この遺伝子がこの病気の原因」という単純な対応は珍しく、病気を引き起こすことに関連した遺伝子が、複雑に絡み合い、広まったり取り除かれなかったりするのだ。そして一見、「不都合な変異」だとしても、実はさらに重要な役割を果たしていることが、次々と明らかにされてゆくのを知るにつれ、タイトルの通り、わたしたちは、病気とともに進化してきたことがよく分かる。

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