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『病気はなぜ、あるのか』→適応戦略と進化のミスマッチ

病気はなぜ、あるのか 風邪をこじらせたとき、とにかく体温を下げるのはダメで、頭を冷やして安静にしておく。これは知ってた。だが、処方された抗生物質は、症状が治まったとしても「すべて飲み切る」。これがいかに重要かは知らなかった。

 なぜなら、半端な服用は、抗生物質に耐性がある細菌の生き残りに手を貸していることになるから。このとき身体は、細菌のサバイバル戦略の最前線になっているのだ。発熱への対処も同様で、細菌にとって不適切な環境を生み出しているのに、解熱剤で下げてしまっては元も子もない。これらは進化医学からの知見で、身体の防御機能と細菌の適応戦略になる。

 「病気は、どのように(How)して起きるのか」については臨床医学の世界になる。もちろん病気の原因もそこで追究はされるものの、その病気を引き起こしている至近要因までになる。そもそも、「その病気がなぜ(Why)あるのか」という究極要因まで踏み込むのが、進化医学になる。発熱という症状がどういうプロセスで起きているのかだけでなく、そもそもなぜ身体は発熱しようとするのか、という発想の転換だ。

 本書が一番面白いのは、常識の逆転を味わえるところ。今まで常識だった対処法が非常識に見えてくる。わたしが子どもだった頃は、「とにかく熱を下げる」「どんどん抗生物質」は常識(だったはず)で、今では逆だ。

 また、鉄分という貴重な資源を用いた防御メカニズムも興味深い。慢性の結核患者は、血液中の鉄分レベルが低くなる傾向があるが、貧血を治すために鉄分の錠剤を与えると、症状は悪化するという。鉄分は、細菌にとって貴重な資源であり、ヒトの身体は、これをとらせまいとして防御メカニズムを発達させてきたというのだ。感染が起きると、白血球内因性媒介物質(LEM)を出して体温を上げ、血液中の鉄分の量を大幅に減らす。食べ物の好みも変わり、ハムや卵を避け、トーストを好むようになるのは、まさに病原体から鉄分を遠ざけるためになる。今では無意味とされている「放血」も、鉄分レベルを下げることで患者を助けた実績があったのではないかと指摘する。

 まだある。妊娠初期の吐き気は、子どもにとっての適応性があるもので、食べたくないものを無理に食べることはないという解説や、ある種のアレルギーは過敏というよりもむしろ、何万年と悩まされてきた寄生虫に対する「進化的にみて安上がりな」防衛反応だとする主張も興味深い。病気は、適応度(生存率と繁殖率を通じた次世代への遺伝的貢献度)と直結する現象なので、進化的なアプローチが有効になる。

ヒトは病気とともに進化した ある病気がなぜ「ある」のかという問いは、なぜ淘汰されず残っているのかという問いになり、それは、適応度に影響しないから残されているといえる。あるいは、適応度から見て何らかのメリット(もしくはデメリットを避ける何か)があるのかもしれない―――という新たな視点が得られる。たとえば、長谷川眞理子『ヒトは病気とともに進化した』にある、「統合失調症とは脳機能を高度化するための遺伝子パターンが蓄積されたもの」という仮説は、こうした視点に支えられている。

 原著が書かれたのは20年前だから、その間に「常識」がどう変わったのか確かめながら読むのも一興なり。前出の統合失調症(本書では精神分裂病)の事例は、原著が出た頃はそうした遺伝子が示唆される程度であったが、現在では、該当するリスクレアル(ゲノムのタイプ)のモデルによって説明できるほど研究が進んでいる。他にも、「サングラスを掛け続けると目が悪くなる」という昔話がある。可視光線だけ減らして紫外線をカットしないタイプだと、普段より大きく開いた瞳に紫外線を受け続けることになる(今はUVカットが普通)。今日の白内障患者の一部は、何十年も前にかけていた安物のサングラスが原因にあるのでは、という指摘は鋭い。

 ただ、ハンマーを持つと何でも釘に見えてくるように、何でも適応で説明したがる姿勢に危うさを感じる。ヒトは甘いものが大好きで、すぐにさぼりたがるのは、栄養を求めエネルギーを節約する狩猟採集社会で培われた適応だという。確かに合理的に説明できるが、そのエビデンスが欲しい。他にも、男女のラブゲーム戦略や、子どもの虐待・子殺し、愛や嫉妬や恐怖といった感情、女性器切除や纏足などの文化的側面まで、「まだ研究の余地あり」と留保はするものの、適応で説明しようとする。

1 本書では踏み込んでいなかったが、「レイプは適応か」という議論がある。ソーンヒル&パーマー『人はなぜレイプをするのか』では、進化生物学から「レイプ」という行動を解き明かす試みが行われている。養育の投資量に男女差があり、繁殖のため多数の相手に関心を向けようとする男のセクシュアリティの進化が、レイプの究極要因とする説明がある(ただしレイプが適応かどうかは判断を保留し、両論を併記している)。

 『病気はなぜ、あるのか』において、著者は目的論の危うさを充分に自覚している。だが、適応がその「目的」に取って代わってしまってないか、じゅうぶん注意しながら読み深めたい。現在のあるがままから出発して逆算しながら説明をするのだから、つじつまさえ合えばエビデンス抜きで信じてしまいたくなる。ここは危ういところ。かつてなんでも「無意識」で説明しようとしてた心理学と、同じ轍を踏みませんように。

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コメント

昔読んだ「迷惑な進化」とかいう本も病気と進化の話が載ってて、同じような感じだったなぁ

投稿: ジャック | 2015.11.19 21:42

>>ジャックさん

わたしの既読を思い出しても、
 ニック・レーン『生命の跳躍』
 ウィルソン『人類はどこから来て、どこへ行くのか』
 リーバーマン『人体 600万年史』
あたりに、主張やエビデンスの重複が見られるので、本書はこれらのいわゆる「種本」になっているのでしょうね。

投稿: Dain | 2015.11.20 00:49

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