恋は、遠い日の花火ではない『椿町ロンリープラネット』
くたびれたおっさんに響くラブストーリー。かつて「恋は、遠い日の花火ではない」というキャッチで、中年男女の背中を押したのがサントリー。いまでは恋は、こういう具体的な形でAmazonで買える(第一話のお試しは、[マーガレット:椿町ロンリープラネット]で読める)。
古風な女子高生と無愛想な小説家が、とある事情で同居するイントロに、『翔んだカップル』を思い出すくらいおっさんですよわたしは。それでも、そんな妄想を恥ずかしく思えるくらい、素なやりとりが心地いい。まだ、恋とか欲とか始まる前の、ニュートラルでいながら何かの予感を悟らせるような言葉と視線の応酬が面白い。
この表紙のふみちゃんがいいんだ。料理上手で控えめで、自分の美しさにまだ気づかないくらい若く、それでいて率直に切り込んでくる距離感ゼロと貧乏性に、ぎゅっとなる。そんな女子高生と一軒屋で、障子一枚隔てた同居生活とは、男に都合よすぎないか? もちろんそのとおり、同居する小説家をはじめ、周りの男性は皆イケメン。ここはイケメンしかいない世界。そうでない男は顔すら持たない。
ご都合シナリオはテンプレとして、そこに乗っかる身体と表情がいい。首から鎖骨にかけるラインの硬さとか、男の骨ばった手首や細身の背中が醸す、魅力以上色気未満の線に、たまらなく惹かれてしまう。こぼれる前まで溜まった涙が、瞳にうっすら膜のように覆っていたのかと窺い知る。なぜなら、ふと呼ばれて振り返ると、目に映る光だけ残像のように描かれているから。滴になる前の、「涙を出さずに泣いている」女の子を描くのが、とても上手いのだ(女性はツンデレ男子に萌エロ)。
表立って、喜怒哀楽を出してこないのもいい。表情ではぐっと堪えて、内面キャラでデフォルメするアンバランスがいい。そうした葛藤を何度も経て、何気ない一言に隠された優しさに揺さぶられ、はらりと顔に出てしまう、その一瞬が素晴らしい。目は口ほどに……まんまに、目線が好きだと告げている(そしてどちらも気づ[か|け]ない)。読み手だけが、その心の裡を知っている、というカラクリ。
最近ハヤリの、「女子高生と中年男」の組み合わせでないから、より一層胸にクる。過ぎ去って手の届かないものから、まんざらでもないですよアナタと、ひととき夢を見せてくれるのは心地よいもの。だがこの組み合わせは、悲恋から悪落ちまで、使い尽くされている。我欲を満たす物語に、ドロドロにまみれたわたしにとって、これは、恋の痛みを思い出すじゅうぶんな近さを持った花火なり。
竹久夢二の椿を髣髴とさせるレトロモダンな表紙に惹かれて手にしたが最後、大正解。胸いっぱいに迫るもどかしさと甘酸っぱさを反芻すべし。
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