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決して人前では読まないでください『ワンダー Wonder』

 まちがえた、読むんじゃなかった電車の中、ずっと涙が止まらない。

wonder わたしは、ときどき、失敗する。『シュタインズ・ゲート』といい、『さよならを待つふたりのために』といい、琴線ふるわせ涙腺ゆるめる傑作を、車内で読むという間違いだ。朝のラッシュで泣きじゃくるオッサンは、相当キモくて通報レベルだと自分でも思う。

 後から振り返ると、『Wonder ワンダー』の帯の惹句の「きっと、ふるえる」を甘く見てた。ええもう、たっぷり震えましたとも。理由は、緊張だったり恐怖だったり、怒りや悲しみもある。この主人公に移入するのは、かなり難しいが、彼や周りの人たちの感情はすぐに、まっすぐに伝わってくる。なかでも、いちばんわたしを震わせたのは、感動、それも「わたしの心の中にあるやさしさ」を見つけた感動なり。

 ふつう、「やさしさ」は目に見えない。誰かを思いやる言葉や行動に、わたしが感じるもの。しかし、この本を読みながら、登場人物のやさしさに撃たれるだけでなく、いっしょになって相手を思いやっている自分自身を見いだす。主人公にだけでない。彼の顔を見て驚いてしまったことを恥じる人にも、寄り添いたくなる。読み終えたとき、「正しくあるよりも、親切であれ」というメッセージが、そのまま自分の願いとして腑に落ちてくる。くたびれたオッサンになった自分の中に、こんなに素直に願える部分があることに気づいて、驚く。

 予備知識は、「顔に障碍を持った、ふつうの男の子の話」だけ。娘にせがまれ買ったのだが、一日で読み終えた彼女は、その本について一言も話さなくなった(あれほど騒いでたのに)。どうしたのかと尋ねると、答えるのは難しいという。一気に読むほど夢中になったし、本当に胸が痛くなったのは驚いた。けれども、これを読んで思ったことは文にできない。「かわいそう」といった一つの言葉にならない。だから、お父さん自分で読んで―――と煽られ読んだのだが、娘が正しかった。

 いそいで付け加えるが、これは決して「かわいそう」がメインテーマではない。読み始めてすぐにピンとくる『エレファント・マン』は、作中での扱われ方から、「ピンとくる」こと自体が間違いだったことだと思い知らされる。「障碍を持った主人公」が「がんばる」ことで「運命を切り拓く」ことを単線的に描いた「お涙頂戴話」ではないのだ。むしろ、彼を取り巻く人々が、そんなまなざしに抗うお話なのだ。

 語り手が章ごとに分かれていることが特徴的だ。黒澤映画『羅生門』や、最近ならコミック『喰う寝るふたり 住むふたり』の、複数の一人称を重ねる物語を思いだす。同じ一連の出来事が、姉の視点、友人の視線から次々と語られることで、「表面上に起きたこと」と「その言動を支えていた感情」が暴かれるように描かれる。この、ちょっとしたミステリ仕掛けは、登場人物の「やさしさ」を、最初は読み手だけに、次は主人公に伝えてゆく。やさしさが伝わるときに、こころは振動することが、よく分かる。

 登場人物の、誰に寄り添ってもいいのだが、親でもあるわたしは、やはり両親の目で見ようとする。ずっと家の中で守ってきたのだが、どんどん子どもは大きくなる。親はいずれ死ぬのだから、いつまでも守ってやるわけにはゆかぬ。子どもに世間という現実と向き合わせるには、どうすればよいか? それがいかに残酷なことであろうとも、現実なのだから。ここまで育ててきた子どもと、自分を信じて、踏み出そう―――

 この決意、相当のものだが、書き手はかなり抑制して描いている。そして、抑えているからこそ、宇宙飛行士のヘルメットのエピソードには泣かされた。このヘルメットの行方が分かったとき、親の葛藤が振動の形で伝わってきて、立ってるのがやっとなほどになる。

ぼくは小さなころ、どこへ行くにも、宇宙飛行士のヘルメットをかぶっていた。公園へ行くときも、スーパーへ行くときも、ママといっしょにヴィアを学校へ迎えにいくときも。真夏でも、顔中汗だらけのままかぶっていた。二年間ぐらいかぶっていたと思うんだけど、目の手術のあと、かぶるのをいったんやめなきゃならなかった。
そのあと、ヘルメットが見つからなくなった。ママはあちこち探してくれた。そして、たぶん、おばあちゃんちの屋根裏にでもあるんだろうと考えて、探す予定でいてくれたんだけど、もうそのころには、ヘルメットをかぶらないことにぼくは慣れてしまっていた。

 読んだら、きっと、もっとやさしくなれる。泣いてもいいけど、泣くための物語ではないことを、お忘れなく。そして、人前では読まないことも、お忘れなきよう。


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