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一度しかない人生を、一度きりにさせないために、文学はある『ストーナー』

ストーナー 「後悔しない人生を」なんてスローガンみたいなもの。どう生きたって悔いるもの。何を選択したところで、「ああすればよかった」と振り返る。むしろ、そもそも選択肢なんてあったこと自体に、後から気づいて臍を噛む。

 わたしが文学を読む理由はそこにある。文学は、人生のエミュレーターである。美しいものからおぞましいものまで、言葉にできないものを言葉を通じて知ることが、文学をすることだ。なかった成功を追体験し、ありうる失敗をシミュレートする。そこに描かれる個人的な体験に普遍性を見いだし、わたしの価値観と交錯させる。そうすることで、「ああすればよかった」は「これでいいのだ」に代わるかもしれないし、ゲームのように選択肢が「見える」ようになるかもしれない。選択までの葛藤込みで、生きることを堪能できる(何度でも)。文学は、一生を二生にも三生にもしてくれる。

 『ストーナー』の人生もそこに加わる。ひとりの男が大学教師の道を選び、そこで生きていく物語が、端正な語り口で淡々と描かれる。不器用で平凡ではあるけれど、ひたむきで真摯に仕事に取り組む姿は、誰かにとっての「ありえたはずの人生」か、「ありえなかった生活」とシンクロするかもしれない。

 波乱万丈とは言い難いが、生きていく上で誰にでも生じる、出会いや別れ、死、裏切りに見舞われる。普通の人生で(おそらく)最もやっかいな、人間関係の軋轢に、一番多くの時間と労力を吸い取られ、悩まされる。そんな運命を受け入れ、やれることを精一杯やり、「なにか」を成し遂げようとする。悲しみに満ちた中でも、ささやかな喜びを見いだし、それを大切に守り通そうとする。

 100年前の米国を舞台に、50年前に書かれた作品であるにもかかわらず、なんと身に覚えがあることよ。『ストーナー』という他人の人生のつもりで読んだら、そこにつぶさに自分のことが書いてあったように感じる。彼に迫る悲しみが、わがことのように痛いのは、かつてわたしが味わった悲痛であり、これからわたしが受け止める苦悩であるから。

高潔にして、一点の曇りもない純粋な生き方を夢見ていたが、得られたのは妥協と雑多な些事に煩わされる日常だけだった。知恵を授かりながら、長い年月の果てに、それはすっかり涸れてしまった。ほかには? とストーナーは自問した。ほかに何があった?
自分は何を期待していたのだろう?

 ストーナーがこう自問するときに、わたしが流した涙は、彼のためというよりも、同じ問いをきっとするであろう、そういう人生を歩むであろうわたし自身に向けたもの。緻密で静謐な文学『ストーナー』は、そのまま彼の人生のようだ。『ストーナー』を潜り抜けることで、人生とは通り過ぎるものだということが、よく分かる。通り過ぎるあいだに、やれることを、せいいっぱい、やろう。

 一度しかない人生を、一度きりにさせないようにするために、文学はある。『ストーナー』を読むと、きっと納得するだろう。

追記:そのうち電子書籍になるかもしれないが、これはぜひ「モノとしての本」でどうぞ。理由は、エンデの『はてしない物語』の電子書籍版や分冊版が「ありえない」のと一緒。読み終えた方は、カバーを外したあと、ラストシーンを再読してほしい。『ストーナー』は、そのまま彼の人生なのだ。

追記2:これをお薦めするだけではなく、プレゼントしてくれた[誰が得するんだよこの書評]のdaen0_0さん、ありがとうございます。そして、daen0_0さんにこれをプレゼントした[基本読書]の冬木糸一さん、ありがとうございます。

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