読むフェミニズム『母性という神話』
ジェンダーについて話しているとき、最も残念なのは次の論法でくる女性だ。
1. 私は女である
2. 故に正しい
3. 従って議論は私が裁定する(できる)
彼女に言わせると、「私の意見=女一般論」なので「ジェンダー論=女一般論が正義」⇒「ジェンダー論=私の意見が正義」という図式が成り立っている(女性複数の場合は、それぞれ全てが正しい)。すると男どもは黙ってひれ伏して謹聴するしかない。
だが、次の瞬間に気づく、これは、まさに男どもが何百年もやってきたことを、そのまま逆にした構図だ。だから「女ゆえに私こそ正義」を吹聴する彼女ばかりを責めることはできない。せめてもう少しエビデンスベースで学べないかと思っていたら、良さそうなブックリストがあった。「フェミニストとしてすすめる、フェミニズムに関心を持つための本」というリストで、以下の通りにまとめてある。
(1) 物語・ノンフィクション編 (2) 理論・学術・専門書編 (3) 批評編
アトウッドやイプセンといった文学寄りには馴染みがあるものの、学術書や批評は、ほとんど知らない興味深いラインナップなり。「面白そう」と言ったら叱られそうだが、タイトルに最も惹かれた一冊がこ『母性という神話』だ。原題は"L'Amour En Plus"(後から付け加わった愛)で、日本語のお題はタイトル詐欺になっている。
たとえば、辞書で「母性」を引くとこうある。
女性がもっているとされている、母親としての本能や性質。また、母親として子を生み育てる機能。
(大辞林 第三版)
この「母性」と「本能」の緊密な結びつきに異議申し立てをしたのが、本書になる。「母性愛」とは本能ではなく、子どもとの触れ合いの中で育まれる愛情であり、これを「本能」とするのは、父権社会のイデオロギーであり、近代が生み出した神話に過ぎないことを証明している。
著者は、17世紀から18世紀のフランスの都市部で、子どもを乳母に預けることが流行したことを引きながら、いかに母親は子どもに無関心だったかを述べる。そして、運よく幼児期を生き延びたとしても、寄宿学校や修道院へ厄介払いされていた実情を示す。もし母性本能が女にとって本質的で普遍性があるのなら、いかなる時代のどんな母親も、この愛を実現していたはずである。従って乳母の事例は、反証になるというのだ。
この「母性本能」は何なのかというと、イデオロギーだという。ここは非常に誤解を招きやすい箇所で、事実、新版の序文で「母性愛は18世紀の発明だとはけっして書いていない」と断っている。母性愛はどの時代にも見られるが、他の感情と同様で、現れたり消えたりする不安定なものだという。しかし、「母性愛」が、女性の本性として扱われ、「母性愛=本能」という図式が常識として扱われていることが、間違っているというのだ。日本語タイトルは、『母性本能という神話』とすべきだろう。
では、「母性愛=本能」という図式がどのように作られたか。著者は、ルソーやフロイトを用いて、女性を母親の役割に押し込める構図を描き出す。それは、こんな図式だ。女は母親に、それも「良い母親」になるために生まれてくるのである。いつも家の中にいて、子どもの栄養と衛生に気を配り、献身的で優しい母であるべき―――という構図だ。
そして、これに違和感を抱いたり、逸脱しようものなら「病的」「異常」のレッテルを貼り付け、不安や罪悪感を煽り立てる。これは、現代にも連なっている。『ひよこクラブ』の相談室で、「どうしても子どもに愛情がもてない、私は異常なのだろうか」という悩みを見たことがあるが、その裏に「母性愛=本能」という神話が刷り込まれている。
「子どもを産むこと」は確かに女にしかできないが、だからといって「子どもを愛すること」は女に押し付けるのは、確かにおかしい。「母性本能」は言葉としてあるけれど、「父性本能」は無い。この欺瞞に気づけただけでも、本書の意義は大きい。わたし自身、子どもに抱く愛情は、フルパワーで費やした育児の日々を通じて大きくなり、毎日の生活の中でアップデートされる感情だ。そういう意味で、この愛は、"L'Amour En Plus"(後から付け加わった愛)なのだろう。

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コメント
私は母性神話の14の理由としてブログに書いているので参考までに読まれればよいと思います。
ブログは【母の愛の大切さ三歳児神話】で開くと思います。
投稿: ヨミイレル | 2020.12.04 19:41
>>ヨミイレルさん
ご紹介ありがとうございます、探してみますね。
投稿: Dain | 2020.12.04 23:16
某社のSLD-MAGICは人工知能(AI)で設計されていたのか。
投稿: マルテンサイト | 2022.06.17 12:42