医学は科学じゃないんだよ『医学と仮説』
おもしろい。ツッコミどころはあるが、究極原因にこだわる科学と、因果と相関に注目する医学の違いか。
タバコと肺がん、O-157や水俣病の事例を元に、医学的根拠とな何かを考えさせる一冊。同時に、パンデミックSFによくある、「パニックを避けるという口実で、責任のがれのため公表を伏せる政府」の構造的欠陥が放置されていることも、よく分かる。フィクションではない、かつて起きたことで、これからも大いにありうる未来が見える。
著者が攻撃するのは、要素還元主義だ。いわゆる、「分ければ分かる」というやつ。原因物質を究明し、人体へ影響するメカニズムが解明できる/すべしという立場に、真っ向から勝負する。そして、要素還元主義はしばしば、科学の名において悪用されていると説く。
たとえば、タバコと肺がんの関係。因果関係についてはアメリカ政府の報告書"Smoking and Health (1964)"で証明されているにもかかわらず、タバコ会社は「メカニズムがまだ証明されていない」という理由で認めてこなかった。タバコにある特定物質が、どのように肺がんを引き起こしているのか解明されない限り、因果関係は認められないという確信犯的な悪用事例だという。
あるいは、要素還元主義にこだわらなければ、水俣病はこれほど悲惨な事態には陥らなかったという。水俣湾の魚介類が原因であることは当初から分かっていたにもかかわらず、規制が遅れたことが被害を拡大したのだ。食品衛生法に基づき、保健所長の判断で禁止すればよかたものを、厚生省に問い合わせる。
その回答が奮っている。すなわち、原因不明の疾患を発症するから摂食させるなと指導する一方で、全ての魚介類が有毒化している明らかな根拠が認められないので、食品衛生法を適用できないというのだ。「全ての魚介類が有毒化している明らかな根拠」、つまり要素還元主義的な汚染物質の存在証明を想定しているため、対策が後手に回る。
当時の政府の無能を嘲笑うことはできない。今でも起こりうる人災だ。仮に、ある疾患が多発した場合、すぐさま調査することは、現行の法律ではできないという。
食品衛生法
薬事法
労働安全衛生法
感染症の予防および感染症の患者に対する医療に関する法律
地域保健法
毒物および劇物取締法
など、疾患の多発にへの調査に触れた法律や条文はあるが、上記の法律のうち、どれに該当するのかが事前に分からないと適用できない、という問題が残る。つまり、アウトブレイクが実際に起きた場合、「原因は分からないが、とりあえず調査する、必要に応じ強制力を発動する」といった初動に該当する根拠となる法律が、どこにもないのだ。
かくして「パニックを避けるため、公表を伏せる」とか、「上は知らなかったことにして、現場に責任を押し付ける」といった、三流パニック映画にありがちな下地ができあがる。くりかえす、これはフィクションではないんだ。劇的で分かりやすい、ヒ素ミルクや水銀汚染ではなく、長期にわたる放射線障害といった形でお目に掛かるだろう。その時の逃げ口上は今から当てられる。「直接的な因果関係となる汚染物質を検出することができなかった」とか、「原告が被爆するメカニズムが明らかになっていない」だね。
要素還元主義の科学へのボヤキとして「医学は科学じゃないんだよ」の一言が著者に刺さっているのはよく分かる。だが、観察と調査による経験則を至上として、やみくもに実験を批判するのはどうかと。著者自身が戒める「相関関係と因果関係のとりちがい」を解消するために、実験による論理的な因果関係の証明がある。「統計学は科学の文法」という重要性は認めるが、そもそも統計データを得る際のバイアスを除くための論理的な裏付け───すなわち、著者の嫌がる要素還元的な説明───は避けて通れないはず。
「科学的とは何か」を事例でもって考える、格闘するにうってつけの一冊。
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コメント
http://blog.livedoor.jp/iseda503/search?q=%B0%E5%B3%D8%A4%C8%B2%BE%C0%E2
ご参照あれ。
投稿: 稗田阿礼 | 2015.06.03 21:38
>>稗田阿礼さん
情報ありがとうございます、これら一連のエントリを知ってはいましたが、全読しきれませんでした(長いです……)。本書は一種の「エッセイ」として読めばいいのに、「論文」として足を留めてガチで殴り合いをしているような気がしました。
投稿: Dain | 2015.06.03 23:28