国民を説得する技術『戦争プロパガンダ 10の法則』
国民もバカじゃない、避け得るものなら避けたいと考えている。日本に限らず、喜んで戦争する国なんてない。
では、どうやったら説得できるだろうか? 世論を味方につけ、同盟国の了承を得、効率的に開戦にこぎつけるために、為政者は何をどのように語りかければよいのか?
第一に重要なことは、平和への意志を強調することだという。決して戦争などを望んでおらず、攻撃のための動員ではなく、防衛のための力が必要なのだと主張する。第1章「われわれは戦争をしたくはない」を読む限り、第二次大戦の際、ローズベルトも、東条も、ヒトラーも、ゲーリングも、異口同音に平和を唱えていることがよく分かる。
次に重要なことは、みな平和を望んでいるにもかかわらず、なぜ戦争をしなければならないか? という疑問に答えることだ。第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」のタイトルで分かる。敵国が先に仕掛けてきた(挑発してきた)からであり、われわれは「やむをえず」「正当防衛」もしくは国際的な「協力関係」のために立ち上がらざるを得ない。これは戦争を終わらせ平和を手にするためなのだ―――
―――とまあ、こんな感じで国民に恐怖を吹き込み、義憤と愛国心を煽るためのマニュアルが本書になる。目次がそのままプロパガンダの原則となっており、本書はその事例集だと思っていい。
- われわれは戦争をしたくはない
- しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
- 敵の指導者は悪魔のような人間だ
- われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
- われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
- 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
- われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
- 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
- われわれの大義は神聖なものである
- この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
さすがに第二次大戦時代の手管は使い古されており、今やったら一発でバレるはずだ(と信じたい)。ボスニア紛争(1992-95)の民族浄化(ethnic cleansing)PRは、もっと洗練されており、プロが行う情報操作は、「騙す」というより「持っていく」ものだということが分かる。
PR企業が国際世論を誘導するカラクリは、高木徹『戦争広告代理店』で暴かれているが、何のことはない。テレビのコマーシャルでやっていることそのまま。簡潔に、分かりやすく、印象深く、繰り返す。そのための具体的手法がドキュメンタリータッチで描かれている。「大衆は、最も慣れ親しんでいる、分かりやすい情報を真実と呼ぶ」からね。
悪玉をでっちあげ、正当性のあるイデオロギーを刷り込み、我々は善の側、しかも脅威にさらされている善にいることを納得させる。国家vs国家なら壮大だが、卑近にすると子どものケンカの文句になる。「俺は悪くない」「なのに、あいつがやったんだ」云々。大義名分と自己正当化を騙る物言いは、時代も年齢も変わらないね。
為政者がこんなことを言い出したら、マスコミがそんなことを煽りだしたら、黄信号。リテラシーの基本書として、思い出せるようにしておきたい。
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