怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある『怒らない練習』
マスゴミ、経済学者、暴走老人と、世に怒りの種は尽きまじ。新聞読まないのは心の平穏のためだし、オフィスではひたすら平常心、妻の罵倒は御褒美です。それでも「イラッ」とくる瞬間が怖い。いったん怒りのスイッチが入ったら、どんどんエスカレートして逆上するから。そして、ずっと後になっても何度となく思い出してはネチネチ自分を責めるハメになるから。
なんとかせねばと読んだのが『怒らないこと』、これは素晴らしい本だった。なぜなら人生変わったから。「一冊で人生が変わる」ような軽い人生なのかと言われそうだが、違う。「怒り」の悩みは常々抱えており、ガン無視したり抑圧したり、王様の耳はロバの耳を繰り返してきた。上手くいったりいかなかったり、アンガー・マネジメントはかくも難しい。だが、そういう苦悩を重ねてきた結果、この一冊をトリガーとして一変させるだけの下準備になっていたのだろう。とにかく、一読、怒らなくなった。
しかし、である。あれほど楽になれたのに、戻ることがある。疲れていたり、空腹なとき、自分の中の「怒り」の捕手がウォーミングアップを始める。そしてまた、そういう時に限って、怒りのボールが撃ちこまれる。『怒らないこと』での学びがキレイに忘れてしまい、湧き上がる怒りを止められない自分が怖くなる。
そして気づいたのは、「練習」が必要なこと。読んで分かってハイ終わり、というわけではない。怒らない方法をくりかえし実践する必要があるのだ。『怒らないこと』と『怒らないこと2』を下地に、怒らないための練習をトレーニング仕立てにしたのが本書になる。
作者は提案する、怒りをよく見てみろという。そして、怒りの本質は、実は「恐怖」なのだと説く。人は何万年もの間、危険に囲まれた生活を送っていた。それは、「獲物を獲るか、獲物になるか」という人生で、命を守るために「危険である」=「怖い」という感情を育ててきた。これが現代になって、安全になったとしても、まだ脳が追いついていないというのだ。
そのため、自分が思っていたのと違う出来事に出会ったとき、「危険」=「怖い」から、怒りという感情が呼び覚まされることになる。そして、その「思っていたのと違う出来事」から「怒り」を引き出しているのは他ならぬ自分自身で、このカラクリに気づいた瞬間、「怒り」は消える(本書では、怒りを見る、怒りに気づくという言い方をする)。
このように、怒りの連鎖からそれに気づくやり方や、他人から怒りをもらわない方法が、練習という形でレクチャーされる。怒りの物理的背景(空腹、睡眠不足、寒さ)に目を向けることで、どういうときに自分が怒りに対して無防備になっているかに自覚的になれという指摘は、目鱗だった(そして、まさにその状況で怒っていた記憶があった)。
怒りの種類やそれを引き起こすトリガーは色々ある。自分が陥りがちな怒りに対症療法的に接するのではなく、予防的に振舞えというアドバイスは、くりかえし練習することで、身につけよう。これは、怒らないための「型」なのだ。
怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある。私も世界も完全ではないことに自覚的であれ。かつて正しかったものが、いま正しいとは限らない。「思っていたのと違う出来事」すなわち、変化に対して寛容であれ。そして、怒らないための「型」をくりかえせ。予防の一番は「笑い」、幸福だから笑うのではなく、笑って幸福になれ。これこそが、無常の実践なのかもしれない。
怒ったら負け。怒らない人生のための一冊。

| 固定リンク
コメント
不安は恐怖を呼び、恐怖は怒りに通じる。怒りはダークサイドの元、とマスターヨーダが言ってましたね。
投稿: | 2015.04.21 12:22
ダ
投稿: のぶ | 2015.04.23 13:09
>>名無し@2015.04.21 12:22さん
コメントありがとうございます。
おお、確かにそんなこと言ってたような…
"Fear is the path to the dark side.
Fear leads to anger. Anger leads to hate.
Hate leads to suffering "
これですね。マスター・ヨーダも「怒り」に悩まされた一人なのかと思うと、思わずちょっと微笑んでしまいます。
投稿: Dain | 2015.04.25 09:48