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死を効率化せよ『医師の一分』

 「死を効率化すべき」という世になるのかも。

 命には値段がある(一人一年、一千百万円)。「優先すべき命」とそうでない命がある(子供・労災を優先、自殺未遂・暴走族は後)。こうした本音は、トリアージのような切迫した状況だと見えやすいが、普通は病院の壁の向こうにある。ひたすら死を先送りにしようとする現場では、「もう爺さん寿命だから諦めなよ」という言葉が喉元まで迫ったとしても、口に出すことは許されない。

 だから、これを書いたのだろう。がんの専門医として沢山の臨終に立ち会ってきた著者が、現代医療の偽善を批判する。自己決定という風潮を幸いに判断を丸投げする医師を嘲笑い、90過ぎの老衰患者に、点滴+抗生物質+透析+ペースメーカーまで入れるのは、本当に「救う」ことなのか?と疑問を突きつける。

 毒舌を衒ってはいるものの、ナマの、辛辣で強烈な批判は、わたしが死ぬ際の参考になる。他人に振りかざしたなら「不謹慎」であり「乱暴」と非難されるかもしれないが、自分の死のコストを考えるならいいだろう。

 たとえば、命の値段を、一人の寿命を一年延ばす(治癒させる場合は、次の病気や事故で、あわよくば老衰で死ぬまで)にいくらかかるのかという指標で計算すると、一人当たりGDPの3倍に相当するという(Sullivan R,et al. Lancet Oncol 2011;12:933)。そして、「一人一年」の延命効果を示すのに、これ以上の費用がかかる治療はコストパフォーマンスとして見合わないという。この主張は画一的だろうが、少なくとも「見える化」は図られている。

 患者の自己責任なんて不可能だとする事例が面白い。食道癌の権威である、フランツ・インゲルフィンガー教授の話を持ってくる。医者の不養生とは言ったもので、この教授、自身の専門の食道癌になる。いざなってみると、これまでの知識は、自分の治療方針を決めるのに全く役に立たない。データなんて他人の結果から出てきた「確率」にすぎず、自分がどうすればいいか答えが出せず、ついにノイローゼになる。

 その時、教授を救ったのは、友人の一言だったという。

 「君に必要なのは先生(doctor)だよ」

 ハッと悟った教授は、同僚を主治医として治療を任せ、自分は職場に復帰する。後の手記の中で、教授はこう述べる。患者の前に「できること一覧」を並べ、あんたの人生なんだから自分で選んでくれというのは、自分の義務を矮小化しているphysicianであって、doctorではないというのだ。

 この教授の話にあわせて、著者は自身に聞かせるように言い切る。「医者は、自分で責任を負わねばならない、患者に負わせてはいけない」と。そして、責任回避に汲々とし、「期待するな」「自分に頼るな」という医者は、「自分に任せておけ、治してやる」という民間医療に負けてしまうと尻を叩く。

 ついでに民間医療のカラクリも教えてくれる。「絶対治る」という民間医療は、ほとんどが入院施設のないクリニックで、いざ悪くなったときに、「うちは入院ができないのでどこかよそへ行け」という逃げ口上を用意しているというのだ。これは上手い、もとい卑怯なテクニックなり。だが、病ではなく現代医療を敵にしてしまった事例を見る限り、[バカは死ななきゃ治らない]は本当だ(わたし自身がそうなる可能性も大なり)。

 今から見える、少し先の未来も興味深い。国立社会保障・人口問題研究所の予測によると、高齢者人口のピークは2042年の3878万人になる。この時代には、現在より40万人多い167万人が毎年死亡することになる。死を「特殊化」して扱うことなどできるわけがなく、否が応でも何らかの「対策」が必要となる。

 高齢者が多くなるということは、死ぬ前の「元気でない期間」も長くなり、ただでさえパンク寸前の病院は収容しきれなくなるという。「自宅で死にたい」というのも良いが、手厚い介護と医療サービスのない「在宅死」なんて、孤独死もしくは野垂れ死にと大差ないそうな(「ピンピンコロリ」は、めったにないから理想扱いされていることを忘れないように)

 かくして、連日、老人の死体であふれる日比谷公園という20年後の未来は、ぞっとするほどリアルだ。65歳以上の志願者を集めて安楽死させろと書いた山田風太郎や、「80以上は死刑!」と言ったビートたけしは、時代を先取りしていたのか。

 使えない国民を自殺まで誘導する国家プロジェクトを描いた『自殺自由法』(戸梶圭太/中公文庫)という鬱小説があるが、似たようなプロットで『往生促進法』のような話が出てきてもおかしくない。コスパの悪い人生を、まとめて楽にさせる世界。ハクスリー『すばらしい新世界』が、気味悪いほど近くに見える。病院のベッドの上で、生身の人に看取られながら死んでゆくというのは、すごく贅沢なことになるのかもしれない。

 現代の医者は、死ぬまで患者と家族につきあうのだから、寿命の番人みたいなもの。つまり、「死神」の仕事まで担っているという。

 どうせなら、いい死神にあたりますように。

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