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ヌードが誘うアートの世界『官能美術史』

 ほんとこれ。

“女性の身体から生み出される様々な曲線は、男という生き物の生きる糧となっています”
via tumblr[utiar]

 視覚や嗅覚のどこかにインプリメントされていると思うくらい行動原理となっている。愛を求め死を避ける動機は、生存戦略なのかも。愛と死は人類の二大関心事に他ならず、本書はその半分を視覚化したものになる。

 本書は、西洋美術における性愛の歴史をとりあげ、その広がりと奥行きを味わおうとするもの。同時に、文化史における愛の定義の歴史を追いかけ、さらに美術史におけるヌードと身体意識の変遷を解説する。文庫本という制約はあるものの、きれいに一冊にまとめている。

 著名な画家が、強烈な性愛の作品を残していたことを知って、驚くというより納得する。むしろ、「あれはこの人だったのか」と結びつく作品もしばしば。光と影の画家レンブラントの官能的で冷たい裸体や、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた性交中の男女の輪切り図、中性的な美少年として描かれたダヴィデ像など、身体が最も優れた形をとるのは、性か死かに瀕したときだと思えてくる。

 編集の妙は、キーワードごとにまとめているところ。ありきたりな編年方式ではなく、「キス」「ラブレター」「同性愛」「近親相姦」といった性愛のキーワードを掲げ、その言葉から引き出される作品をあつめているところ。恋愛のさまざまな場面ごとに作品を眺めたり、さまざまな愛のかたちを名画の上で試したりできる。紹介の仕方が上手いな、と思うのは、「ナマで見たい」欲求を掻き立ててくれるところ。なにしろ絵が小さいから、どうしても検索して画像で見たくなる。ディスプレイだと飽き足らないから、ホンモノを見たくなる、という仕掛け。

 名画の読み解きも愉しい。ボッテチェルリの「春(ラ・プリマヴェーラ)」に描かれたヴィーナスの“背景の木々”に注意を向けさせる。そして、木陰の模様は、聖母マリアの図像に頻出する光背の形と同じだと指摘する。その視線を下にずらすと、ヴィーナスのお腹がぽっこりと膨らんでいることが分かる。つまり、このヴィーナス像は、胎内にイエスを宿したマリア像の、別の姿だということもできるというのだ。古代の多神教文化を、キリスト教的一神教の枠組みに重ねる運動としてルネサンスが語られている。これがめっぽう面白い。

 最も興味深かったのは、ダ・ヴィンチの「性交図」。根本まで挿入された男女を、ちょうど縦に輪切りにした構図で、最近のエロマンガに頻出する人体輪切り図と全く同じだ。人体の外側が省略して描かれる一方で、挿入している/されている部分は詳細に記されている。解剖学的なデッサンなのに、強烈なエロスを醸し出している。時代がようやくダ・ヴィンチ追いついたというべきか。未来のポルノグラフィーは、レントゲンで撮影した性行為だという予言もある[スタニスワフ・レム『虚数』]

 魅惑的なヌードが明かす西洋文化の謎は、妄想力のみならず創造力も呼び覚ます。時代と文化によって定義・再定義が繰り返されてきた「美とは何か?」を念頭に読むと、いっそう愉しい。

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