がんで死ぬより辛いこと『さよならを待つふたりのために』
「ラノベ」を軽い小説だと思っている人は、「けいおん」を軽い音楽だと思ってる人ぐらい微笑ましい。液晶画面の視野では狭すぎるから、書店に足を運んで、その目で見るといい。レッドオーシャンのラノベ棚からあふれ出て、文庫・文芸・教養書から海外文学まで飛び火しているぞ。
見るもの全てクソ扱いするのは、その目がクソまみれだから。スタージョンの法則を思い出せ、いいものはちゃんとある。自らの偏見に囚われて、素晴らしい作品を逃すのはもったいない。
なので、極上の一冊を紹介する。ラノベの源流Y.A.(ヤングアダルト)のジャンルだが、その範疇ではもったいない。これは、果汁100%の青春小説(無糖)であり、唯一無二の恋愛小説であり、軽妙で強靭な会話に彩られた、海外文学の格好の入り口となっている。よくある「ニッポンの難病モノ」とは別物であり、お涙ちょうだいの感動ポルノを期待して読むと、もっとずっと深いところから突き上げられる。
あなたが、16歳のヘイゼルに近い年齢なら、がんの進行を薬で抑えている生活を三年も続けているときに思うそのままの言葉を目にするだろう。あなたが、ヘイゼルの両親に近い年齢なら、娘を喪う前にすることが何であるか、今あなたが思ったそのままの姿を目にするだろう。うらやましいのは、これを読む若い人だ。ヘイゼルの年代に読んで、親になったらもう一度読める(きっと再読したくなる)。どちらに引き付けても、自分の胸からくみ出される感情は、強く美しい。
自分が死んだ後、悲しむ人は少ないほうがいいと考えるヘイゼルと、自分が生きた証を残したいと思っているオーガスタス。対照的なふたりの恋は、痛いほどリアルに胸に迫る。けれども、「かわいそう」な話じゃないんだよ。そういうイメージを一番嫌い、薄っぺらな同情を拒絶する。
自分の命はそう長くないことなんて分かってる。だが、それだけの理由で「かわいそう」なのか? 読み手はヘイゼルがくぐりぬけてきた感情を追体験する。そして、「生きがい」という言葉は、そのために生きる目的などではなく、生きててよかったと心底思える、病気なったことも引っくるめて今の自分が大好きだと感じられる瞬間のためにあることに気づくだろう。
「がんで死ぬより辛いこと」の答えを書いておく。彼女が、オーガスタスと出会うきっかけとなる、サポートグループの会合に出席する理由を自問するところだ。
両親をよろこばせたかったから。16歳でがんで死ぬより最悪なことはこの世でたったひとつ、がんで死ぬ子どもを持つことだ
重要なのは、この台詞を16歳の女の子に言わせている点だ。不治の病に罹って辛いとか悲しいとかいうシーンは全部くぐりぬけているんだ。そうなる前の日常は思い出となっていても、人生は(どれくらいか分からないけれど)続く。それでも、「わたし」をやめることができない。親も同様。子どもが死んでも、親は親をやめることができないのだ。
もうすぐ映画が公開される(タイトルは、『きっと、星のせいじゃない』)。予告編を見る限り、小説に隠してある構成ギミックを意識しているみたいなので、“あたり”だと思う(要するに、監督が原作をきちんと読んでいるということ)。
自信を持ってオススメする、これは読め。あなたにとって、かけがえのない一冊になるから。

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