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死ぬのはなんでもない。恐ろしいのは、生きていないということだ『レ・ミゼラブル』

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 世界で一番短い手紙は、作品の売れ行きを心配した作家が送った「?」と、出版社の返事「!」だという。その作品が『レ・ミゼラブル』なのは、エスプリが効いてる。膨大な紙数を費やした大長編の評判が、ただの一文字で伝わってくるから。

 ちくま文庫で全5巻、確かに長い。長いだけでなく、スタイルも手を変え品を替えてくる。随筆や論説、脚本のような体裁や詩や歌にまで様々だ。淡々とした書き口だったのが、ときに抒情的に翻り、さらに叙事詩的になり、なんでもやりたいことやってやれという熱情に満ち満ちている。

 この情熱が、伝染する。ヴィクトール・ユゴーの輻射熱が、ヒリヒリするほど伝わってきて、一種はずみのようなものをつけて、一気に、滑空するように読める。子どものころ『ああ無情』でストーリーは知っていたものの、これほど作家自身が饒舌な作品とは知らなかった。ジャン・ヴァルジャンとコゼットの軸で物語は貫かれているものの、その背景や歴史を作家自らが語るパートが長大なのだ。

 でも大丈夫。どこかの長期連載のように、薄めすぎて中身のなくなった“人気作品”ではなく、物語パートは特濃だから。つまり、これは大きく二つに分けられると思えばいい。一つは、登場人物を突き飛ばすがごとく話が転がる物語の章、そしてもう一つは、語り手が腰を落ち着けて風景や背景を延々とおしゃべりするエッセイの章である。

 物語のパートの面白さは保証する。スリリングで、ドラマティックで、ハラハラドキドキで、ページをめくる手ももどかしく思えるだろう。魅力的なキャラクターに好きなだけ感情移入すればいい。サブキャラの方がハマれる。片想いを遂げられなかったら、せめて死地を一緒にしようと画策するツンデレ・エポニーヌや、極貧の浮浪児・ガヴローシュの最期に涙する。世界で一番面白い小説『モンテ・クリスト伯』と比較されるのも頷ける。

 そして、ユゴーのおしゃべりが始まったら「解説」だと思って付き合えばいい。丸々一巻使ってナポレオンの戦跡をめぐる旅行記まで盛り込んで、フランス礼讃を綿々と語り続けるので、面倒だったら飛ばしても可(読んだから言える、本編にほとんど絡まない)。物語パートは、いわゆるドラマの「いいところ」で終わっている。そのため、この後どうなるんだーと悶々としながらユゴーの冗漫にうんざりするよりも、あっさりバッサリするほうが吉。ただし、キャラの間に糊のように立ち回る悪漢・テナルディエ(こいつ好き)がさり気なく混ぜ込んであるので、彼の名前が出てくるところを拾っておくことをお薦めする。

 登場人物は、ことごとく葛藤を抱えている。良心か正義か、恋か親か、金か命か、革命か生活か、突撃か自死か―――キャラクターの性格や運命までもが、「あれかこれか」に集約されており、非常に分かりやすい。過去の罪を購おうとしながら、それが現在の破滅を招くことを恐れるジャン・ヴァルジャン。純な恋に堕ちた先が妊娠であり出産であり生活苦であり借金苦に陥るフォンチーヌ。法の番人としての役割を果たすのならば、恩人を牢獄に送り込むことになるジャヴェール。分裂する自己に苦悩する姿が生々しく、ともすると滑稽なくらいだ。

 なぜなら、「あれかこれか」の二択しかないから。なぜ「待つ」ことができないのか。独り抱え込むのではなく、どうして「相談」することができないのか。そもそも、"not to be"(やらない)という第三の選択肢がなぜ見えないのか。ロマン主義に彩られ人間賛歌を謳いあげた本作の中に、どうしようもないほど凝り固まったユゴーの人間不信を読み取ることができる。

 その象徴的な例はバリケードへの突撃だろう。1832年6月5日、パリ蜂起で打ち立てられたバリケードに、官軍は何度も突撃を繰り返す。市街戦で補給線を断っているのだから、一日包囲するだけで衰弱し、二日囲むだけで壊滅するだろう。しかし、現場の指揮官の判断で、若い命どうしが幾度もぶつかりあい、至近距離で撃ち合い、血が河のように流れる。蜂起側の弾薬が尽きるのを誘っているくらいだから、食糧が尽きることになぜ気づかないのか。描写が陰惨であればあるほど、その愚かしさが際立ち、苛立ってくる。

 登場人物のことごとくが、このジレンマに押し潰される。そして無謀で発作的な自己犠牲の下に、魂を燃やし尽くす。それはドラマチックであるにはあるが、作られた悲惨である。あれかこれか、さもなくば死か。人生はそんなに単純なものか。物語として受け入れられるために図った運命のカリカチュアライズは、「たたかう」「ぼうぎょ」の他に「にげる」コマンドを知っている人にとっては苛々しいものになる。

 心を入れ替え、更生したジャン・ヴァルジャンは、その後ずっと聖人が如く振舞っていたかというと、そうではない。精神的危機に襲われるたびに、鉄の意志で自分を押さえ込み、「正しい人」であろうとする姿を何度も見ることになる。頑ななまでに「にげる」を拒絶する。その方が楽であり丸く収まることも分かっていながらだ。彼の独白を垣間見せてくれるため、性根は変わっていないことが分かる。それでも自分を鍛えなおし、そこから立ち上がっていく姿に撃たれる。解説にこうある。

ひとは誰しも、正しい人"である"のではなく、正しい人"たろう"とする限りにおいて、ただそのときにのみ、そうした存在に"なる"ことができるにすぎない

 「正しさ」とは性質ではなく、状態なのだ。「生きる」も一緒。彼にとっては、「正しい人」でない限り、生きていないにも等しいのだろう。「死ぬのはなんでもない。恐ろしいのは、生きていないということだ」はジャン・ヴァルジャンの今際の言葉であり、『レ・ミゼラブル』の本質を言い当てている。彼の不幸とこのドラマは、「正しさ」がただ一つしかないと信じてしまったことにあるのだ。

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『読書狂の冒険は終わらない!』本好きあるある

 「読書狂」と書いてビブリオマニアと読む。

 『R.O.D』の倉田英之と、『ビブリア古書堂の事件手帖』三上延の対談。ベストセラー作家であり、書痴である二人が、これまで読んできた本についてトコトン語りつくしている。語りがそのまま良いブックガイドに仕上がっており、本好きをこじらせた人にうってつけ。

 序盤はモダンホラー。キング、マキャモン、クーンツと、モダンホラーの洗礼を受けた二人が、選りすぐりを紹介してくれる。新潮文庫からハマり、扶桑社ミステリーで短編を漁り、リチャード・バックマンという宝を見つけて歓喜するというお約束のルートを踏破しているところが楽しい。お薦めが『デッド・ゾーン』なんて(キングにしては)短めなので、良い選択だね。「クーンツは何読んでも同じ」や「“キング絶賛”はアテにならない」など、あるあるネタをぶちまける。

 そして、「“キング絶賛”はアテにならない」例外として、クライヴ・バーカーやジャック・ケッチャムを挙げるのは正しい。バーカー『丘に、町が』や『ジャクリーン・エス』は血の本シリーズの傑作だろう。ケッチャム『隣の家の少女』を読み終えた日は、絶望感のあまり仕事にならなかったというが、激しく同意。"語り手"の少年にうっかり感情移入しようものなら、殴られたかのような衝撃を受けるだろうし、これまでの読書経験で最高の、「次のページをめくるのが怖い」思いをするだろう。

 余談だが、ここでケッチャムを誉めるたび、「たいしたことない、もっとすごい残虐あるぜ」と腐す(?)方がいらっしゃる。残酷描写を求めるなら、早見純やY太を味わえばいい。だが、『隣の家の少女』が刺さるのは、虐待の目撃者の立場から動かず(動けず)、ひたすら視ることしかできない少年と、この作品を読む立場から動けぬ"わたし"が重なることを、痛感させられるから。これは、一言でいうなら「読むレイプ」。しかも、(安全である)読む立場を愉しんでいるわたしが、心底厭になる。

 ダークでトラウマ系として紹介されているのが、江戸川乱歩と日野日出志。グロく書きすぎて乱歩自身が嫌いになった曰く付きの『闇に蠢く』は未読なので、楽しみなり。カニバリズムがらみから、『蔵六の奇病』の『百貫目』を持ってくるセンスはさすが、と思ったら、同年代の方なのね。エドワード・ゴーリー『おぞましい二人』が食いついてくれそうだ。劇薬小説・トラウマンガは、むしろわたしが紹介したい。[劇薬小説ベスト10と、これから読む劇薬候補]がいいリストになりそうだ。澁澤龍彥も未読っぽいので、背徳の愉しみと目の悦びの5冊『ホラー・ドラコニア少女小説』シリーズをお薦めしたい。

 不思議なところもある。お二人方の傾向からすると、(1)ストーリーラインがしっかりしてて、(2)キャラクターが魅力的で、(3)きちんと物語している(実験・文芸的でないという意味)が好みだということが分かる。なのに、『三国志』はスケールが壮大すぎて共感できないという。横山光輝で同じ顔でキャラ区別がつかなくなり、そこへ『蒼天航路』でグチャグチャになったという。明言されていないものの、時代的に吉川三国志を指しているように見えるが、じゅうぶんキャラものかと。講談社文庫に挟んでいる人物紹介表で挫折したクチとみた。

 また、「一目ぼれがAmazonにはない」という指摘にも首をかしげる。確かに、「本に呼ばれる」「本と目が合う」ような瞬間は、書店でよくあること。だが、それはリアル書店ならではであり、Amazonにそれが無いと言われると、そうかな?と思えてくる。おそらく、ネットとの付き合い方が異なるのだろう。「ネットで買うか、近所の書店で買うか」という言い方から、Amazonはタイトル指名で買っているようだ。それもいいが、心に響くコメントを残す「人」を追いかけてゆくと、思わぬ鉱脈に出会えることを、このお二人は知らないのかも。もったいない。本を探すのではなく、人を探すのだ。

 このお二人なら、世代的にも好みとしても口に上って当然という本を選んでみた。いわば、「この作家を絶賛するなら、この人も外せないだろう」というノリだ。抜群に面白く、寝かせてくれない作品ばかり。本書の続編が出るならば、きっと紹介されるだろう。もし読んでいないのなら……うらやましいですな、今からこの徹夜小説にハマるという幸せを堪能できるのだから。

 中島らも『ガダラの豚』
 隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』
 半村良『妖星伝』
 アリステア・マクリーン『ナヴァロンの要塞』
 パトリック・ジュースキント『香水』
 フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』

 本好き、というより小説好き・物語好きやね。いわゆるノンフィクションは資料としての位置づけなので、その点ご注意を。

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すべての小説好きにお薦め『荒涼館』

 絶品。終わらないでと願いながら、惜しむように読む。

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 小説を読むことは 沢山の人生を生きることだ。そこに描かれた人々と、それを読む自分を掛け合わせ、好悪の反応から"私"が何者であるかを知る。デフォルメされた人物や、神視点の作者を通じ、人生劇場の一員として、自分をそこに放つ。『荒涼館』には、小説のあらゆる面白い要素、醜い感情、愛すべき人情、哀切そのものが、人生の形で詰まっている。小説はフィクションだが、湧きあがる喜怒哀楽の涙は、ぜんぶ本物だ。

 同時に小説は、読むこと通じてのみ肉薄できる芸術である。絵のように一望したり、音楽や料理のように「入ってくる」ものではない。こちらから読むという行為を通じ、その世界にもぐりこむことで「世界になる」経験だ。そして『荒涼館』は、読むことでしか堪能できない傑作である。重厚・巧妙に張り巡らされた伏線が引き絞られ、からめとられるとき、これまで通り過ぎてきた舞台や人物や事件やテーマでさえ(!)、実はそのシーンのために周到に準備されていたことに気づかされる。

 それは、昨今のカチッとした一瀉千里の伏線ではない。徐々に、浮上するように姿をあらわす秘密は、暴かれるというよりもむしろ、気づいたら目の前に対峙している。「おお!あれはこういう意味だったんだ」と何度も読み直し、振り返り、噛み締めることになる。そんな戦慄が沢山、待っている。

 しかもこの伏線、人によって反応が違うから面白い。この小説を、映画や音楽のように出されたものを順番に消費するというやり方で取り組むと、ほとんど何も気づかずにくぐりぬけてしまうだろう(あるいは、途中で力尽きるかもしれない)。それは、仕掛け満載のオバケ屋敷を、全速力で駆け抜けるようなものだ。ぜひ、気になるところは戻って読み直して欲しい、その度に新たな驚きが、密やかに背中を駆け抜けてゆくだろう。母と子の贖罪と再生、高慢と偏見と現実逃避、自分自身を喰らう英国の疾患、whydoneitとwhodoneit、この小説を貫くテーマは、いたるところに張り巡らされている。どのテーマに反応するかも、人によって異なるから面白い。

 では、どのように気づき・手繰ってゆけばよいか?ディケンズはその点、抜かりない。すべての伏線の端っこは、登場人物が握っている。物理的・精神的に人が"動く"とき、伏線は自動的に張られる。誰かを陥れる罠だったり、過去の秘密を嗅ぎつける鼻だったり、そもそも作者が隠した穴だったりする。キャラクターは戯画的に(分かりやすく)描かれているので、そうした性格付けにふさわしくないとあなたが思ったとき、物語が大きく回転する。

 しかし、出てくる人物のなんと多いことか!主な登場人物だけで60人を超える。そこはいったん、付き合ってほしい。善良、狡猾、高慢ちき、欲深、冷酷、陽気……どの人物も、必ず何らかの性格付けがなされている(メモを取ることをお薦めする。ネットはネタバレだらけだ)。ディケンズは、リアリスティックな態度を保ちながら、読み手に注意を促したい性格を、意図的に拡大したり歪めてみせる。その均衡の破綻が、エキセントリックな笑いを呼び、読み手に強烈な印象を残す(失敗した読者は、この人物造型のカリカチュアライズについていけず、「早く話が進まないかな」などと考えながら先を急ごうとする。違うんだ、その性格描写を読むことは、もう"話の中"にいる。その性格そのもの、キャラ自体が伏線となっているのだ)。

 そして、すべての伏線のもう一つの端っこは、この物語の語り手であるエスタが握っている。だから、すべての登場人物は、彼女との関係性をもって把握すれば、おのずと分かる仕掛けになっている。一見、彼女を関係なさそうな人物が登場しても、その隣人や家族といったつながりから、思いもよらぬ仕方でからんでくる。純朴で、素直で、それでいて知るべきでないことまで(なぜか)語りかけるこの美少女は、楕円をなす物語の焦点なのだ。

 もう一つの焦点は、ディケンズ本人が握っている。神の視点から、喜劇、悲劇、メロドラマ、サスペンス、様々なドラマを重層的に展開させてゆく。なんでも知っているくせに、肝心なトコは伏せながら、エスタの独白と撚り合わせるように紡いでゆく。細部を執拗と列挙し、直喩と隠喩を畳みかけるように重ねてゆき、物語の盛り上がりでは雄弁口調で質疑応答を連ねる。

 カメラを空に向けたときは要注意だ。ロンドンの黒い霧が象徴する泥沼の訴訟戦や、殺人犯を告発するかのごとく指さすローマ人の天井画など、まるでわたし自身に与えられた啓示のごとくイメージを沸きあがらせる(そしてそのイメージは、後々効いてくるのだ)。イメージは言葉によって喚起させられることを痛感する。ナボコフは、『ナボコフの文学談義』において、このイメージの寓意的・象徴的な喚起こそが、文学を文学たらしめていると主張する。神は細部に宿るのだ。

わざわざ立ち止まって見つめるに価しないつまらぬものだと考える人もいようが、文学とはこういうつまらぬものから成り立っているのだ。事実、文学を成り立たせているのは、一般的な観念ではなく、個別的な啓示なのである。

あれこれの流派の思想の啓示ではなく、個々の天才の啓示なのである。文学というものは何かに関するものではない、それはそれ自体であり、それ自体が本質なのだ。個々の傑作なしに、文学は存在しない。

 人物のデフォルメ具合や、描写のカメラワークを取り上げて、小説のリアリティをあれこれ論じる者がいる。そして、作家に歪められた小説世界をリアルでないとドヤ顔でいいう。しかし、わたしたち自身が、どれだけリアルを把握していることか。限られた感覚器官から取捨選択され、恣意的な記憶によって歪められた「リアル」は、物自体・それ自体では決してない。「そんなこたぁ分かってる」というエクスキューズお疲れさま。小説を読むということは、小説というリアルを生きることなのだ。『荒涼館』を読むということは、この世界で生きる経験そのものなのだ。

 あらすじを書くことで、この経験を水増しできぬ。ネタバレ無しで、主な登場人物を載せておくので、『荒涼館』の世界のよすがとしてほしい。もう一度言う、すべての小説好きに、強力にお薦めしたい。もちろん一筋縄ではいかない(かもしれない)。だが、きちんと向き合えば、得るものも大きい。それは、人生と一緒なのだ。

荒涼館
 エスタ 主人公、語り手
 エイダ その親友
 リチャード エイダの従兄
 ジャーンディス 荒涼館の主
 ボイソーン その友人、豪放磊落
 スキムポール 荒涼館の居候、自由人
 トム・ジャーンディス 荒涼館の前当主

デッドロック家
 レスタ・デッドロック 准男爵
 デッドロック夫人 その妻、高慢
 ヴォラムニア 六十歳の"令嬢"
 ミセス・ラウンスウェル 女中頭
 ウォット ミセス・ラウンスウェルの孫
 ローザ 女中、美少女
 オルタンス 女中、フランス女
 マーキュリー 従僕

リンカン法曹学院
 タルキングホーン 弁護士
 ケンジ 弁護士
 ガッピー 弁護士見習い
 トニー・ ジョブリング その友人、ウィーヴルは変名
 ヴォールズ 弁護士

ベル・ヤード横町
 コウヴィンセズ 取立屋
 チャーリー コウヴィンセズの子
 トム コウヴィンセズの子
 エマ コウヴィンセズの子
 グリドリー 怒れる男
 バケット 警部
 バジャー 医者
 アラン・ウッドコート 医者

セイヴィ法学予備院
 フライト 裁判傍聴が生き甲斐の老女
 ミセス・ジェリビー 慈善事業に狂った女
 ジェリビー氏 その夫
 キャディ その娘
 ピーピィ ジェリビー家の末っ子
 ミセス・パーディグル 疲れを知らない慈善家

ダンス学院
 プリンス ダンス教師
 ターヴィドロップ その父、行儀作法の鬼

クック小路
 スナグズビー 文具商の主
 スナグズビー夫人 猜疑心の強い妻
 ガスタ その女中
 クルック アル中のくず屋
 ホードン 大尉
 ミセス.パイパー おしゃべり主婦
 ミセス.パーキンズ おしゃべり主婦
 ボグズビー 日輪亭の主
 スウィルズ 道化歌手
 メルヴィルソン 歌手
 チャドバンド 伝道師

トム・オール・アローンズ通り
 ジョー 浮浪児
 ジェニー 煉瓦職人の妻
 リズ その友人

嬉しが丘
 バート・スモールフィールド 弁護士見習い
 ジューディ その双子の妹
 スモールフィールド老 その祖父、金貸し

射撃練習場
 ジョージ 射撃場の経営者
 フィル その従業員

楽器店
 バグネット 音楽商、ジョージの友人
 バグネット夫人 その妻
 ケベック バグネットの子
 マルタ バグネットの子
 ウーリッジ バグネットの子

ウィンザー
 レイチェル エスタの幼少時の躾役
 バーバリ エスタ幼少時の養母

鉄工場
 ラウンスウェル氏 ミセス・ラウンスウェルの息子、工場主

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読むなら徹夜を覚悟して『その女アレックス』

 なんども瞠目するはずだから、明日の予定のない夜に。

その女アレックス この感覚を伝える、いちばんピッタリする言葉は、あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!『おれは奴の前で階段を登っていたと 思ったらいつのまにか降りていた』である。

 物語に作者に登場人物に、投げ飛ばされる先がスゴい。これまで読んできたどのミステリとも異なり、いくつかの傑作を彷彿とさせ、かなりグロい描写と、とんでもない着地点が待っている。完徹保証の◎印。

 誘拐・監禁されるアレックスと、犯人を追う警部の展開が、スピーディに交互するが、章を追う毎に全く違う様相と次元を帯びてくる。いわゆるミステリ王道の、読み進めることで新たな発見がある構成ではなく、見えていたはずのものが、これっぽっちも見えていなかったことに気づかされる。「私は今まで、何を読んできたのか?」と何度も自問するに違いない。これを、さかさ絵・騙し絵で評する人がいたが、言い得て妙やね。

 まず表紙が嘘だ。アレックスは全裸で木箱に閉じ込められているのであって、椅子に縛り付けられているわけではない。しかも檻は空中につり上げられ、飢えた鼠が眈々と狙っている。誘拐犯の目的は、「おまえが死ぬのを見たい」だけで、なぜそんなことをするのか?自分の糞便と血にまみれ、飢餓と発狂のぎりぎりのところで決死の脱出を図ろうとする───から始まるが、"そういう話"ではない。

 なぜなら、冒頭の人物紹介一覧に、誰が犯人か書いてあるから。にもかかわらず読者は、警察と一緒に犯人を探すことになるだろう。それだけでなく、なぜそんなことをするのかも悩み、仮説を立て、裏切られ、ハッと思い当たり、愕然とし、慟哭するだろう。優れたミステリを読んだという経験とは全く異質のドライヴがかかるに違いない。プロットのイントロダクション以上に踏み込めない。そして読み終えたいま、振り返ってみるならば、やはり表紙の女はアレックスなのだ、と思い至るだろう。

 何に似ているとも言えないので、マウス反転で書いておこう。強いて言うならば、これはジェフリー・ディーヴァーだと思っていたらウィリアム・アイリッシュであり、ジャック・ケッチャムだと思っていたらトマス・クックだったくらいの変化を見せる。それくらい、ドンデン返しのレベルを超えており、かつてない読書体験を請け負う。言い換えるなら、これを超える(≒似た)作品を挙げられるか、ちょっと考えて欲しい。皆無だから(万が一あるならば……請う!)。

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ジバニャン、ミギー、殺せんせー、『クリフハンガー』から『ブレイキング・バッド』まで―――スゴ本オフ「化け物、怪物、モンスター」

 好きな本を持ち寄って、まったりアツく語り合う。それがスゴ本オフ。

 今回は「化け物、怪物、モンスター」。このテーマ、わたしにとって、とっても楽だった。定番の浦沢直樹や西尾維新、藤子不二雄もいいし、モンハンの直球で勝負してもよかった。人に非ざる人外といえばいくらでも思いつくので、一回ヒネって「鬼」にまつわる本を選んでいったのだが……集まった作品は、わたしの想像をはるかに上回る凄いものばかり。

追記:twitter実況まとめは、[SFやファンタジーから冬山、バブル経済、女の妄念まで「化け物、怪物、モンスター」のスゴ本オフ]をどうぞ。

01

遺伝子操作+スチームパンク+冒険+恋愛

 たとえば、人が生み出したにもかかわらず、人の手にあまる「金融」を"モンスター"とする着眼点に膝を打ち、ジバニャンとピカチュウの共通点から、ポケモン市場の研究成果に激しく頷く。桐野夏生の『グロテスク』から、女の執念は怪物級という結論に傾く一方、ヒッチコック監督『サイコ』により男の妄念は怪物級だと痛感する。

02

ロシア民話から聖書偽典と幅広い

 勉強になったのは、おごちゃんお薦めの『エノク書』。聖書の「外典」や「偽典」になる。1世紀ぐらいに聖書が編纂された際、漏れたもの。聖書に載っていない天使、堕天使、悪魔の記述が大量にあり、西洋のモンスターもののルーツやね。現代日本でいうならば、聖書の「薄い本」だね。「薄い本を書きたくなるのは、人類の本能かもしれない」という指摘は正鵠だと思う。希少な『聖書外典偽典』は、ほぼ唯一の邦訳であるとのこと。

03

「仮面ライダー=モンスター」の発想が凄い

 国家権力を化け物にとらえたホッブズ『リヴァイアサン』の発想から、現代のモンスターといえば"マネー"だというルートさんの指摘が鋭い。吉川元忠『マネー敗戦』を読むと、わたしたちは怪物の背中のうえで暮らしているような気分になれるという。

04

人に化け、人が化ける『寄生獣』

 みかん星人さんの、妖怪ウォッチとポケモンがどう違うのか?という議論が面白い。どちらもNintendoDSだけど、片や異世界、片や現実世界。「ボール」に閉じ込められたモンスターと、「時計」から呼び出される妖怪。電気ネズミと地縛霊ネコ。色相関で隣り合う黄とオレンジ。主題歌が演歌調なのも、ポケモンを研究し、意識しているというのだ(『ミュウツーの逆襲』は小林幸子が主題歌)。

06

いろんなビールが飲めました

 上映会も楽しい。シルベスタ・スタローン主演の山岳アクションムービー『クリフハンガー』は、登山のプロ・佐々木さん曰く、「ロッククライマーとしてありえない」。これが公開されたとき、山岳業界は騒然となったそうな。本来、体重が軽い方が有利なのに、こんな体格の奴がどうして軽々と岩を登れるのかと。冒頭の墜落シーンまで見た皆さんの感想→「腕がぬるぬるしているから落ちた」「三点確保していない」「スタローンは服を着ろ」。

05

『ブレイキング・バッド』はイチオシ

 わたしのイチオシ『ブレイキング・バッド』は最初のシーン(ブリーフ姿で拳銃構えるところ)で皆の心を掴んだようだ。"Breaking Bad"は「やりたいことをやる」という意味(悪い意味で)。中年になるまで、まじめ一筋の高校の化学の教師が主人公。肺がんを宣告され、家族にお金を残すために、化学の知識を使って覚醒剤を作るのだが……という話。悪いほうへ悪いほうへ、どんどん転がっていく様は中毒性高いぞ。

07

『百日紅』と『暗殺教室』の取り合わせが妙

 本に限らず、映画や「ホームページ」の紹介も凄い。人類が初めて経験する、海洋ドキュメンタリーの極北というキャッチの『リヴァイアサン』や、世界の猟奇事件および殺人事件を紹介するサイト[Monsters]など、要チェックがざくざく見つかる。


モンスターとは、人に非ざるもの

  • 『寄生獣』岩明均(講談社)
  • 『暗殺教室』松井優征(集英社)
  • 『不死の怪物』J・D・ケルーシュ(文春文庫)
  • 『魔界転生』山田風太郎(講談社文庫)
  • 『幻獣ムベンベを追え』高野秀行(集英社文庫)
  • 『へんないきもの』早川 いくを(新潮文庫)
  • 『魔性の子』小野不由美(新潮社)
  • 『どっこい巨人は生きていた』メアリー・ノートン作(岩波書店)
  • 『聖書外典偽典』日本聖書学研究所(教文館)
  • 『みずは無間』六冬和生(早川書房)
  • 『ねんどぼうや』ミラ・ギンズバーグ(徳間書店)
  • 『小説 仮面ライダーオーズ』毛利亘宏(講談社)
  • 『ウルトラマン研究序説』SUPER STRINGSサーフライダー21(中経出版)
  • 『リヴァイアサン クジラと蒸気機関』スコット・ウエスターフェルド(早川書房)
  • 『ベヒモス クラーケンと潜水艦』スコット・ウエスターフェルド(早川書房)
  • 『ゴリアテ ロリスと電磁兵器』スコット・ウエスターフェルド(早川書房)
  • 『八甲田山 死の彷徨』新田次郎(新潮文庫)

人間こそが、モンスター

  • 『サイコ』ロバート・ブロック(創元文庫)
  • 『オリジナル・サイコ』ハロルド・シェクター(ハヤカワ文庫)
  • 『ブレイキング・バッド』ヴィンス・ギリガン製作(Blu-ray)
  • 『クリフハンガー』DVD/シルベスタ・スタローン主演
  • 『グロテスク』桐野夏生(文藝春秋)
  • 『テティスの逆鱗』唯川恵(文藝春秋)
  • 『誰に見しょとて』菅浩江(早川書房)
  • 『魔笛』野沢尚(講談社文庫)
  • 『「怪獣」のそだてかた』紺野 美沙子(世界文化社)
  • 『この地球を支配する闇権力のパラダイム』中丸薫(徳間書店)
  • 『千利休 無言の前衛』赤瀬川源平著(岩波新書)
  • 『絡新婦の理』京極夏彦(講談社)
  • 『百日紅(三)』杉浦日向子(実業之日本社)
  • 『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です』カレン・フェラン(大和書房)
  • 『強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話』宝槻泰伸(徳間書店)
  • 『ある秘密』フィリップ・グランベール(新潮社)
  • 『すべての経済はバブルに通じる』小幡績(光文社)
  • 『マネー敗戦』吉川元忠(文春新書)
  • 『日米開戦』トム・クランシー(新潮文庫)
  • 『21世紀の貨幣論』フェリックス・マーティン(東洋経済新報社)
  • 『3つの鍵の扉: ニコの素粒子をめぐる冒険』ソニア・フェルナンデス=ビダル(晶文社)

 次回は12/6に「(コスプレで)今年のイチオシ」をやりまする。今年一番○○だった作品を持ってきてくださいまし(○○には、面白かった、泣いた、笑った、怖かった、寝かしてくれなかった等が入る)。本に限らず、映像や音楽、コミック、ゲームなんでもOKなとこは一緒だけれど、作品に因んでコスプレをしてくれるとイイナ。もちろん、「コスプレなんて恥ずかしい…」という方は作品だけでも大丈夫。詳しくは[スゴ本オフ忘年会「コスプレで今年のイチオシなスゴ本を語ろう!」]からどうぞ。どんな「今年の一番」が集まるか?お楽しみに~


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