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やめられない止まらない絶品ミステリ『時限紙幣』

 極上のクライムノベル&今年のベストミステリ。

時限紙幣 スピード、パワー、ヒリヒリ感、どれも一級の犯罪小説。ページめくる手が止まらないどころか、疾走するようにイッキに読む。非情で、優秀で、あくまで己に忠実な「私」は、今まで読んで/観てきた悪党小説の主人公を彷彿とさせる(一番近いイメージは、リチャード・スタークの悪党パーカー)。読めば読むほど、アドレナリン出まくる、ヤバい読書と相成った。

 『時限紙幣』は、文字通り時限爆弾つきの120万ドルの札束だ。GPSが付いていて、誤った場所に動かしたり、電池が切れたり、時間切れになると、爆発する。これを48時間以内に奪還するのが「私」の仕事だ。「ゴーストマン」と呼ばれ、名前、特徴、指紋、過去、あらゆるアイデンティティを消し去ることで、誰にでもなれる。抑揚と描写を削ぎ落としたキレッキレの一人称は、彼の仕事ぶりをそのまま表している。ときに裏社会のディテールや、犯罪の薀蓄を語るが、簡潔かつ的を射ているので、それが伏線であるかなんて気づかず駆け抜けてしまうほど。

 面白いところは、二つの現場を行き来している構成だ。5年前、失敗に終わったクアラルンプールの銀行強盗のプロセスと、現在進行形である時限紙幣を追いかける「私」―――危険で、緊張に満ちている過去と現在が、カットバックのごとく互い違いに進められてゆく。過去の失敗を現在のしぐさにつなげたり(主人公は学習する)、「鞄を持ち上げて顔をほころばせる」など、引きのタイミングで動作をシンクロさせることで、志村後ろ効果が遺憾なく発揮されている。たとえこれに気づかなくても、無意識のうち、緊張感のボルテージが否応なしに昂ぶってくる仕掛けになってる。極めて映画的、ハリウッド的なり。

 不思議なのは、なぜ「私」が現金やゴールドにこだわるのか、という点。銃を持ち、物理的に押し入って、撃たれる危険を冒してまで、札束や金塊に手を伸ばす。ナンバリングや刻印がされており、ロンダリングや換金が難しいのに、わざわざ物理的な銭金に固執するのはなぜか。クラッキングなら、二桁違うマネーが手に入るのに―――これだけ用心深い「ゴーストマン」が、どうして強奪に手を染めるのか?ラストで理由が語られるのだが、彼の陥っている状況との相乗効果で、カタルシスが凄まじい。その悪党っぷりがいい。こいつの狂気が素晴らしく正気でイイ。

 しかし、息もつかせず読みきった後、冷静に考えるとツッコミ所もある。マウス反転の白文字で記述するので、読了された方は一緒に考察していただけると嬉しい。

  1. 時限紙幣のセロファン : 麻薬取引で使うことで、相手に「爆弾」を押し付け、連邦政府のお尋ね者にするというアイディアはいいね!だが、取引現場で本物か確かめるために、セロファンを破るよね?セロファン破ったら爆発するはずなのに?
  2. 重い金塊をどうやって"盗む"か : 予め借りておいた貸金庫に、金塊を"移動"させ、ほとぼりが冷めたら堂々と持ち出す―――このシナリオが変だ。貸金庫の鍵は物理的な鍵だけでなく、電子的に解除する必要があるのでは?つまり、物理キーで開けられるようにするため、貸金庫をアクティベートさせる支配人を眠らせた時点でアウトでは?
  3. 5年前の「私」の失敗 : 名前がバレちゃったから、あとは芋づる式で同時に入国した面子が割れちゃった……が、そもそも全員同じフライトで到着したり移動するのが、プロらしくない。誰かが捕まったり殺されることも考えて、接触は最小限にするのでは?
  4. GPS付き携帯で撮影したら : 「時限紙幣」を携帯で撮り、取引現場で見せるシーンがある。ここで「私」の身柄を取り押さえて、携帯を奪ってしまえば、Exifから位置情報を割り出せるんじゃね?「私」もウルフも馬鹿じゃね?と思ったが、モーテルでGPS機能をOFFにしていたね(p.274)。でも、その旨をウルフに伝えておかないと、「Exifが取れる!」と思われて撃たれるぞ

 ともあれ、精密に描こうとする心意気に、緻密に読んだアラ探しにすぎぬ。英国推理作家協会賞をはじめ、英米ミステリ賞を総なめした、抜群の悪党小説なり。本作は「このミステリがすごい」の一位だろう。でなければ、その順位を基に選者を判定したり、一位になった作品を評価すればいい。(それぐらいの試金石)。

 明日の予定がない夜に、夢中になって読み耽るべし。

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