良い本で、良い人生を『読書案内』
なぜなら、この薄い一冊に、あなたの人生にとってのスゴ本(凄い本)が必ずあるから。読書と文章の達人サマセット・モームが、人生を豊かにする作品を厳選し、鋭い寸評とともに「読みたい!」気分にさせてくれるから。
ただ単に、名著や傑作と呼ばれる作品を挙げるだけならGoogleればいい。だがモームは、「読んで楽しい」という第一条件でピックアップする。なによりも、読書は楽しくあらねばならぬという原理主義だ。文学はどこまでも芸術であり、芸術は楽しみのために存在するものだと言い切る。
だから、紹介文そのものが魅力的だ。わたしのレビュー[大学教師が新入生に薦める100冊]と比べてみてほしい、モームは『カラマーゾフの兄弟』をこうお薦めする。
身の毛のよだつほどおそろしい場面があるかと思えば、美しいが上に美しい場面もある。わたしは、人間の高貴な姿と邪悪な姿が同時にこれほどすばらしくうつし出されている小説を、ほかに知らない。また、わたしは、人間の魂に可能な悲劇的な冒険と破壊的な経験を、これほど同情をもって、またこれほど力づよくとりあつかった作品を、ほかに知らない。そして、この小説を読み終えたときに感ずるのは、絶望感ではなく、魂の高揚だという。みにくい罪のあいだから、美しい善がその光を放っているからなのだと。ここは烈しく同意する。そしてまた一度、これを読みたくなる。モームの紹介は、未読に誘い、既読を再読したくなる強い力を持っている。
しかも嬉しいことに、退屈だったら飛ばして読めという。18世紀に愛好された道徳上の議論や、19世紀に喜ばれた長々しい風景描写など、その時代の流行りで増し増しされた箇所は、今日の読者には退屈なもの。そこを飛ばして読んだとしても、その作品が偉大であることには変わりないというのだ。
そしてご丁寧にも、飛ばして良いところと、押さえるべきところを示してくれる。『戦争と平和』のフリーメーソンの件を飛ばしていいが、『失われた時を求めて』のヴェルデュラン夫人とシャルリュ男爵のところは読み落とすなと注意する。他にも、モンテーニュ『エセー』は三巻からが面白いとか、ゲーテ『ヴィルヘルム・マイステル』なら『遍歴時代』ではなく『徒弟時代』を読めとか、緩急強弱をつけてくれる。
無批判に使われる台詞「良書は人生を豊かにする」のカラクリも見える。良書とは、愛情や欲望、神と性など、誰にでもあてはまる普遍性の高いテーマでありながら、読み手を夢中にさせる独創的なストーリーと魅力的なキャラクターをもち、あなたを揺さぶり打ちのめし絶望させる一方で、あなたを高揚させ労り奮い立たせる。つまり、高質の経験が得られるのだ。それは、あなたの一生を何倍も生きることを可能にする。自分にかかりきりになって本を読もうとしない人は、ひとつの生しか生きられない。
たとえば、「完璧な作家」と賞されるジェイン・オースティンの優れたところは、「人間を見る目」だという。彼女ほど、細かい心遣いと慎重な分別をもって、人の心の奥底に探りをいれた者は、他にはいないという。読み手は、彼女の小説のなかで、この鋭い目を持つことが可能になる。イチオシの『マンスフィールド・パーク』は必ず読む。
モーム一流のベストセラー論も愉快なり。「ベストセラーは屑」と読まないのは不当だという。あまつさえ、ベストセラーを読まぬことによって、己の識見の高さを誇るのは愚の骨頂なんだと。『デイヴィッド・コパフィールド』、『ゴリオ爺さん』、あるいは『戦争と平和』でもいい、いずれも出た当初からベストセラーだった。まさにわたしに言われているようで耳が痛い。古典とは、当時のベストセラーが淘汰された生き残りであることを思い出すべし。ただし、逆もまた必ずしも真ならず。ベストセラーだからといって良書とは限らないことも釘を刺す。
本書自体が古典になりつつあるいま、もちろん欠点もある。1940年当時、英語圏からアクセスしやすい状況により、視界が欧米文学に限られている。アジア、アフリカ、そして南米文学がごっそり無い。今ならポストコロニアルやフェミニズム文学への目配せが必要だろう。紹介されていないものとしてパッと思いついたのは、フレイザー『金枝篇』やラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル』、キャロル『不思議の国のアリス』、ユゴー『レ・ミゼラブル』あたりが出てくるが、余計なアラ探しだね。
この薄い一冊をパラパラをめくって、惹かれる文句や気になる評の赴くまま、紹介された本を手にすればいい。それはきっと、あなたの一生を何生にもする一冊になるだろう。
この本で、良い人生を。
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