『ヒストリエ』を10倍楽しく読む方法
過去は確定してるから、あらゆる歴史はネタバレである。だが、「なぜそうなったのか」は時代によって違う。あるいは為政者の都合で改変される。
史家も人の子、自分が生きている時代の風潮というか要請に従い、歴史を書き直す。ネタは割れているのだが、その解釈が変わる。そういう意味では、あらゆる歴史はネタ割れである。ある事実が、それぞれの時代でどのように解釈されてきたかを辿ることにより、その時代が浮き彫りになる。
岩明均『ヒストリエ』は、アレクサンドロス大王を描いた傑作漫画(彼に仕えたエウメネスを主役にしているのがミソ)。未読なら強くオススメする「四の五の言わず、黙って読め」と。ただし、連載ペースがゆっくりしているため、「続きが読みたい病」に罹ること必至。ここでは、そんな患者の方々に、『ヒストリエ』を10倍楽しむための一冊『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』をご紹介。
神か魔物か伝説か、毀誉褒貶の激しいアレクサンドロス大王をテーマにした作品は多々あれど、「彼をどのように解釈したか」という視点が面白い。偉業を成し遂げた英雄と評価される一方で、野蛮で無慈悲な殺戮者の側面を持つ。感情的になるあまり○○を殺してしまったというエピソードを知って、思わず『ヒストリエ』6巻~8巻を三度読みする。アンビバレントな行動を、『ヒストリエ』では「一つの身体に二つの人格」として説明し、さらにはそうなるに至った母親との"事件"をおどろおどろしく描く。
いっぽう本書では、ミニマリズム=最小限評価主義を取る。時代の空気を読んで脚色された、さまざまな着色を取り除き、彼の行動や政策はその時々の状況に応じて個別になされた決断の結果だと見る。目的と手段を冷静に見極める有能な政治家像が浮かぶ反面、英雄的なカリスマ性が剥ぎ取られた等身大の大王が見えてくる。すると、それぞれの時代の為政者を正当化するための歪みが逆照射されるのだ。
たとえば、『英雄伝』プルタコスは、地中海を統一し「遅れた」異民族に平和と文明の果実をもたらした英雄として、ローマ帝国にふさわしい歴史的意味づけを大王に与えた。「蛮族」を服従させる正当性をもたらすストーリーの主役としての大王像だ。ヘーゲルは『歴史哲学講義』で、「彼のおかげで、成熟した高度な文化が東洋に広がり、占領下のアジアはギリシア的な国土になった」と述べた。東西文明融合の旗手というスローガンは、植民地支配につながる。即ち、文明の進んだヨーロッパは、アジア・アフリカを支配すべしという論調を裏付ける伝説が、アレクサンドロス大王なのだ。
あるいは、イギリスの学者ターンが提唱した人類同胞観念の先駆者という観点も然り。諸民族の同化・融合政策を進めた大王は、史上初めて民族差別を乗り越えようとしたのだと位置づける。折しも1930年代、英国は支配下の諸民族の要求に応じて自治を与え、イギリス連邦を結成した時代だ。国際協調の「気運」が着色された大王像だ。それぞれの時代衣装をとっかえひっかえ着せられ、ヨーロッパ中心主義の視点を内在化させた大王は、図らずもオリエンタリズム手先となっていたのだろう。この英雄像が、『ヒストリエ』でどう再解釈されるかが楽しみだ。先に挙げた粉飾とは異なるだろうが、あの優しい/禍々しいアレクサンドロスが、どう「化ける」のだろうか。
このように、巨大な矛盾をはらんだ複雑きわまりない人物だからこそ、傍らから描いた方がドラマティックになる。だから『ヒストリエ』の主役はエウメネスなのだろう。また、周辺の友人や武官たちの運命を辿れば、「書記官」であるほうが好都合だ。読み進めるうち、ネタが割れていくに従って、『ヒストリエ』を読み返すことは必至。あの人が……こんなことになるなんて……と絶句すること請け合う。アレクサンドロスとエウメネス、比べきれない両者は、ブレヒトの戯曲『ガリレイの生涯』がしっくりする。
アンドレア「英雄のいない国は不幸だ!」
ガリレイ「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」
まず『ヒストリエ』を読むべし。そして『興亡の世界史』を読むべし。

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