科学を伝える技術『サイエンスライティング』
リスクを極端に誇張したり、特定の団体を槍玉にあげつらうことに一所懸命で、エビデンスベースの話がない。新理論や新発見の解説をスルーして、それを成した人ばかりに焦点を当てる。不正確な報道を流布した挙句、訂正しない(わたしが気づかないだけ?)。俺様ストーリーに沿わない主張は、学会内の反対派を持ち上げて潰そうとする(バランスをとるつもり?)。
かくしてネット越しに海外ソースを確かめるのがデフォルトになる。さもなくば、雑誌や書籍といった「形」になったもので再検証するハメになる。日本のことなのに、海外から確認するなんて、哀しいやら情けないやら。では、BBCやNatureといった大御所の欧米ならさぞかし見習うものがあるんじゃないかと手にしたのが、本書だ。
本書は、第一線で活躍するサイエンスライターたちが、自らの知見を伝える実践的ガイドブックだ。いわゆる科学記者に限らず、TVの科学番組のディレクター、専門誌から大衆紙のライター、ウェブジャーナリスト、企業PRや大学、博物館の広報、大病院の危機管理担当など、科学を言葉で伝えることを生業とする人が集まっている。一人一章を担当してもらい、「技」と「分野」と「立場」の側面から、科学を伝える技術を開陳する。
「技」は、サイエンスライティングのノウハウ。「新しいことを、誰にでも分かるように伝える」のは難しい。具体的な書き方から、記述スタイルの選び方、大量のニュースソースと情報収集の技、インタビューの心構え、不正を暴くきっかけとなった質問、統計の使い方、リスク報道の仕方、矛盾した研究成果の比較法が挙げられる。ノーベル賞はタイムカプセルに入った発見だから、アルバート・ラスカー基礎医学賞や京都賞、MIT賞から追えという指摘は鋭い。
中でも、「バランスのとり方」が興味を惹いた。相反する意見を並列させるのがジャーナリズムの鉄則だが、あえてバランスをとるなという。世の中には、HIVはAIDSの原因でないと主張する人や、進化を否定する人がいる。そうした意見を並列させることは、いたずらに読者を混乱させるだけだろう。議論の背景や特定の主張を無視すべき事情を明らかにしておくことで、非主流の意見を取り上げる必要はないという。生々しいアドバイスを裏返せば、そのまま苦労話になる。海の向こうでも書き手は大変な思いをしてなおかつ読者に叩かれていることが、透けて見える。
「分野」では、専門に特化したサイエンスライティングになる。医療科学、精神疾患、遺伝学、宇宙科学、気象学、環境学、技術工学など、様々な分野に的を絞り、そのジャンル特有の取材・執筆の仕方、情報収集のソースを教えてくれる。もちろん米国仕様だが、いちいち具体的で面白い。
たとえば、新しい医療処置について、短時間で信憑性を確認したいという事例。企業のヒモつき研究なのだが、利害対立から評価を歪めたくない。どうするか?この場合は、コクラン共同計画(Cochrane Collaboration)にアクセスしなさいとアドバイスする。これは、医療処置や検査、薬剤の有効性と安全性をエビデンスベースで評価することを目的とし、臨床医、研究者、統計学者でつくられた国際的な非営利団体になる。バイアスのかからない最新医療の情報源として信頼できるという。これは、いかにインサイダーや利害関係の対立から歪んだ情報が行き交っているかのカウンターだろう。
「立場」では、大学、病院、政府機関、非営利団体(NPO)、企業PRの広報担当など、さまざまな「科学を言葉で語る人」の微妙な立ち位置が見える。科学なんだから真実はいつも一つと言いたいところだが、語る人によって変わってくる。特に、広報担当者とジャーナリストの相違点は顕著だ。新しい知見の発見について、世に広めたいという動機は同じだが、広報担当者は、所属する組織の最大利益を追求するという職務がある(そのため、時には両者は激しく対立する)。エンバーゴ・システム(報道解禁日時の設定)を取り巻くトラブルが紹介されているが、「特ダネ」や「出し抜き」があるからこそ、規制したいジレンマを体現しているのだろう。
このように、ノウハウの詰まったガイドブックなのだが、それを語る人たちが、率直に現状の不十分な点を認めている。気象は科学記事というだけでなく、政治、国際、経済問題でもあるから、政治的動機で歪められた情報が大々的に流されるのが常だという指摘は、「気象関係は割り引いて読もう」という気にさせてくれる。環境問題は、緩慢で大きな「誤差範囲」を含む統計解釈がつきもの。だが「緩慢」という言葉は、ニュースの編集部においては禁句である。そこでライターは、信憑性とニュースバリューのジレンマに悩むのだが、時には誘惑に負け、歪められた切迫感でもって書いてしまう―――そうした記者たちの、「べからず集」として読んでも面白い。
科学を書く人、そして読む人にとって、得るもの大の一冊。
おまけ。本書からニュースソースのいくつか並べてみた。実際には、この10倍くらい紹介されている。
■雑誌
Science(特に News and Comment をチェックせよとのこと)
Nature(特に News and View をチェックせよとのこと)
PLoS Biology(公共科学図書館のオンライン雑誌)
Scientific American
Proceedings of the National Academy of Science(米国科学アカデミー紀要)
■専門誌
The New England Journal of Medicine(査読制の医学雑誌)
The Journal of the American Medical Association(米国医学学会誌)
Cell(生物学分野)
Physical Review Letters(米国物理学会)
Astrophysical Journal (天文学・天体物理学)
■ウェブサービス
arXiv(物理学、数学、計算機科学、量的生物学等の、プレプリント)
PR Newswire(共同通信PRワイヤーサービス)
Newswize(ジャーナリズムのためのサイエンスニュース)
Eurekalert!(アメリカ科学振興協会が運営するサイト、調べ物に最高らしい)
PubMed(国立医学図書館記事データベース/医学・生物学分野の学術文献検索サービス)
Association of University Technology Managers(大学技術管理協会/大学の研究資金の出所に着目するならここ)
Authers Guid(書くためのガイド)
もう一つおまけ。本書の魅力は目次に如実に出ているのだが、残念ながらAmazonにないので。
第1部 技(わざ)をものにしよう
第1章 ストーリーのテーマと情報源を見つけよう フィリップ・M・ヤム
第2章 学術専門誌から取材する トム・シーグフリード
第3章 統計を理解して活用する ルイス・コープ
第4章 よい記事を書く―サイエンスライティングの教師が教えるテクニック
第5章 ストーリーを一段階高める ナンシー・シュート 第6章 自分にあった語り口(ボイス)と文体(スタイル)を見つけよう デイヴィッド・エヴァレット
第2部 自分のマーケットを選ぶ
第7章 ローカル紙 ロン・シーリー
第8章 大手の新聞 ロバート・リー・ホッツ
第9章 一般雑誌 ジャニス・ホプキンズ・タンネ
第10章 科学専門誌 コリン・ノーマン
第11章 放送の科学ジャーナリズム ジョー・パルカ
第12章 フリーランサー キャスリン・ブラウン
第13章 一般向け科学書 カール・ジンマー
第14章 ウェブサイトの一般読者 アラン・ボイル
第15章 科学者向けのウェブ記事 タビサ・M・パウレッジ
第16章 サイエンス系の編集 マリエッテ・ディクリスティナ
第3部 多様なスタイル
第17章 締め切りに追われて記事を書く ギャレス・クック
第18章 調査報道 アントニオ・リガラード
第19章 驚きをもたらすサイエンスライティング ロバート・カンジグ
第20章 解説記事 ジョージ・ジョンソン
第21章 物語形式の記事 ジェイミー・シュリーブ
第22章 サイエンスエッセイ ロバート・カニゲル
第4部 ライフサイエンス分野のサイエンスライティング
第23章 医科学 シャノン・ブラウンリー
第24章 感染症 マリリン・チェイス
第25章 栄養 サリー・スクワイアーズ
第26章 精神医療 ポール・レイバーン
第27章 行動生物学 ケヴィン・ベゴス
第28章 人類遺伝学 アントニオ・レガラード
第29章 ヒト・クローニングと幹細胞 スティーヴン・S・ホール
第5部 物理科学や環境科学を記事にする
第30章 技術と工学 ケネス・チャン
第31章 宇宙科学 マイケル・D・レモニック
第32章 環境 アンドリュー・C・レヴキン
第33章 ネイチャーライティング マッケイ・ジェンキンス
第34章 地球科学 グレンダ・チュウイ
第35章 気象 ユーシャ・リー・マクファーリング
第36章 リスク報道 クリスティン・ラッセル
異なる道をゆく ジャーナリストと広報担当者
第6部 研究機関から科学を伝える
第37章 大学 アール・ホランド
第38章 病院における危機発生時の対応 ジョアン・エリソン・ドジャーズ
第39章 政府機関 コリーン・ヘンリックセン
第40章 非営利団体(NPO) フランク・ブランチャード
第41章 博物館、科学館 メアリー・ミラー
第42章 企業の広報 マリオン・E. グリック

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