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読みだせば、徹夜を覚悟するだろう『ゴーン・ガール』

 厭ミス=厭なミステリの金字塔。

 テーマは「結婚」。夫婦が、男と女が、ほんとうにわかり合うということは、どういうことか、震えるほどの恐怖と迫力で伝わってくる。虚栄、欺瞞、嫉妬、支配、背信、復讐、嘘、嘘そして嘘……男女にまつわる、ありとあらゆるマイナスの感情を、こころゆくまで堪能できる。「夫婦あるある」すれ違いだと思っていたら、物語のフルスイングに脳天直撃される(しかも、二度も三度も)。

ゴーン・ガール上ゴーン・ガール下

 小説としては典型的な、「信頼できない語り手」で紡がれる。妻の日記と、夫の独白が交互に重なるのだが、どうもおかしい。「ある日突然、妻が失踪する」のだが、妙に冷静で何かを隠しているような夫ニックも、その日に至るまでのナルシズムまみれの妻エイミー日記も違和感を抱かせる。じわじわ不審感が増してくる、この誘導の仕方が抜群に上手いのだ。肘まで腕を差し込んだ腹の探り合いは、気持ち悪さとともに、自分とパートナーの不協和音を増幅させられているようで不愉快になることこの上なし。

 ジェットコースターの頂上、疑惑が暴かれる瞬間、思わず声に出した、「嘘だッ!嘘だッ!嘘だッ!」。そこから先は坂を転げ落ちるように一直線に真っ逆さまに。しかも、その直線上に剃刀やら爆発物が埋めこまれていて、読み手に、登場人物に、物語そのものに衝撃を与える。失踪事件を胸くそ悪いエンタメに仕立て上げるジャーナリズムに反吐が出ると共に、女の愚かしさを徹底的にえぐり出す描写に嫌気が差すし、信じがたいほどバカである男のいやらしさにウンザリさせられる。

 それでもページを繰る手が止まらない(むしろスピードアップする)のは、地獄の先が知りたいから。ただではすまないことは分かってる。こわいもの見たさ、禍々しいものに触れてみたさが読む動機となる。あらゆる予想を裏切ったナナメ上の展開は、ぜひご自身の目で確かめ、驚くべし。

 夫婦をテーマにしたミステリの傑作といえばスコット・トゥロー『推定無罪』を推す。ある女性検事補が絞殺された。捜査を指揮することになった検事「わたし」には秘密があった───彼女と不倫関係があるという秘密が。そして、犯行現場からわたしの指紋が発見され……第一級容疑者を一人称にした構成に、読み手はどこまで「わたし」を信じればいいか、大いに悩み、惑うだろう。

推定無罪上推定無罪下

 二重底三重底のプロットに、文字通り呼吸するのも忘れて読みふけろ。『ゴーン・ガール』は本書への目配せとして、“薪小屋”を登場させている。ちなみに、「読み始めれば、徹夜を覚悟するだろう」は『推定無罪』のオビのセリフ。この惹句に半信半疑で手にとって、ホントに徹夜になったことを告白しておく。こちらも、ぜひお確かめあれ。

ローズ・マダー 『ゴーン・ガール』は、スティーヴン・キング絶賛と謳われている。気軽に「絶賛」を連発するキングだが、これは掛け値なし。なぜなら、夫婦の強烈な愛憎劇を描いた『ローズ・マダー』を彷彿とさせるから。「このままでは殺される……!」夫の暴力から逃げ出し、自立を求める妻。執拗に妻を追いかける異常性格者であり、優秀な刑事でもある夫。キングには珍しくスピード感のある展開と、滲み出る狂気の逸脱っぷりは、『ゴーン・ガール』のニックにつながる。読むと間違いなく胸クソ悪くなるのでオススメ。

 これらを読むと、結婚とは一種の殺し合いにすぎないことが分かる。理想の自分だったり、自我そのものであったり、価値観の破壊し合いだったり、ともすると互いの命の奪い合いに至ることもある。もちろん極論なのだが、あらゆる結婚をドラマティックに拡大すると、こうなる。

 そして、夫婦愛とは自己愛の一種だと理解できるなら、結婚には、自己を肯定してくれる相手のための演技が必要となる。多かれ少なかれ、意識無意識にかかわらず、夫婦は互いにこれを演る。

 結婚は、相手の瞳の中に自分を見る合わせ鏡のようなもの。ただこの鏡、屈折率が変わっていて、「自分の見たくない姿」を拡大してくれる。本書の夫婦は無間地獄だ。『ゴーン・ガール』のニックは、わたしの最も厭な部分を極大化してくれる。エイミーは、わたしの妻の邪悪な部分をおぞましく見せつけてくれる。噂の怪物を見に行ったら巨大な鏡がありました、というやつ。そのおかげで、妻にもっと優しく接するように相成った。妻の幸せこそが、わたしの幸せであり、彼女が良ければそれでいい、そういう境地に達することができた。

 結婚とは、殺し合いであることが、骨身に染みる傑作。

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