地震の人類史『図説・地震と人間の歴史』
西欧人の立場から、人類が地震現象をどのように受け入れ、科学としての地震学がどのように誕生し、発展していったかを解説する。地震の測定方法の変遷、プレートテクトニクス理論の浸透、予知の可能性、文化や精神面への影響など、図解を多用しながら多角的に説明する。
大いに興味をそそられたのは、地震が人類に与えたインパクトを大きめに見積もっているところ。1755年のリスボン大地震や1923年の関東大震災を引きながら、人やインフラへの被害のみならず、国家経済そのものへもたらした影響を強調する。ポルトガルを衰退期に追いやり、昭和金融恐慌を引き起こし、急速な軍事化をもたらしたのは、それぞれの首都を直撃した大地震だというのだ。
歴史学者は、社会が変容する原因を「人」の営為に求めようとするあまり、地震など自然災害による変化を最小限に見積もろうとする傾向があるという。ヒロシマやアウシュビッツは20世紀における大惨事として記憶される一方、地震による大破壊があったサン・フランシスコと東京への反響がそれほど強くないのは、そのせいだというのだ。震災と人災を一緒くたにする発想は、新しいというより珍しい。
地震予知と社会との葛藤も描かれている。ヴェスヴィオ火山がまもなく噴火するという予兆や警告を無視した結果、被害が拡大し、ポンペイの災害は記憶に留まったという主張には納得。今村明恒なる地震学者が1905年に関東大震災を予測したが、当時の主流派に否定されていたエピソードや、2009年にイタリア政府の科学者が否定したラクイラ大地震が、1週間後に現実になったという話が紹介されている。数知れない外れた予言は葬られ、本当に災厄がやってきたときにだけ、狼少年の名は刻まれるのかもしれぬ。
自然現象ではなく、「人が引き起こした地震」という着眼点もある。ダムの地下にある断層に水が浸透して地震が起きる「ダム誘発説」のことだ。2008年、四川省で起きたM7.9の地震により、7万人近くが死亡し、市街は壊滅した。この震央が紫坪補ダムに非常に近かったことが、研究者の注目を集めたという。このダムが3億tの水を貯水し終わったのが2006年のことだった。後戻りはできないだろうから、因果関係が解明されることはないだろう。
ちと恐ろしいのは、同国にある「三峡ダム」。この世界最大のダムは、生態系を変え、群発地震や異状気象を誘発しているという「噂話」をネットで聞く。Wikipedia[三峡ダム]によると、その有効貯水量は、220億tになるという。本書には無いが、美国のシェールガス革命も「人が誘発させた地震」になるのではと懸念している。
時にシニカル、時にジャーナリスティックに描いているが、地震が日常である日本に住む立場からすると、切迫感が薄いような。あちらからすると、警戒しつつ付き合う、という感覚が異様なのかもしれない。地震から見た文明史を振り返ると、世界一の地震国の強さ・しなやかさを教えられる一冊。

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