結論 : 酒は飲んでも呑まれるな『酒が語る日本史』
歴史の裏に酒あり。神代から近代まで、「酒」で斬った日本史。つくづく結論は変わっていない。
有名無名に限らず、昔の呑ん兵衛を探し出し、飲みっぷりをダシにして、各時代の様相、歴史像を描く。酒豪と思っていたら、敵を欺くための演技だったとか、逆に意外な飲み助が見つかって面白い。酒席の振る舞いから見える時代の気質の移り変わりが面白い。
たとえば、万葉集の「酒を讃むる歌」で有名な大伴旅人。酒は心の憂さのはらしどころ。これは酒を讃える素直な歌に読めるのだが、本書の解説を読むと、彼のニヒリスティックな視線に気づく。
験なき 物を思わずば 一杯の
濁れる酒を 飲むべくあるらし
あれこれ悩んでも、たいした結果にならない。それよりいっそ、濁り酒でも飲んでいたほうがよい。なぜそんな心境になったのか?旅人の半生を振り返ると、ままならない歯痒い立場だったらしい。酔い泣きに徹底したほうがむしろ結構だ、という吐露に共感する。
下戸の光秀が信長の盃を辞退したエピソードが凄まじい。激怒した信長は脇差を突きつけ、「この刃を呑むか、酒を飲むか、どちらかにしろ」と迫り、むりやり飲ませたという。こうした遺恨が本能寺につながったかどうかというと、そこは歴史学者、光秀の叛逆の必然性をおもしろく語ろうとしてつくった話だと評する。酒にまつわるエピソードは、史実か否かというより、「酒に性格が出る」格言を用いた、一種のプロパガンダなのかもしれぬ。
そう、「呑むと人が変わる」というのは嘘で、酒とは自制心を取り除いて、その人が本当にしたいことを拡大してくれるものなのだ。泣き上戸は本当は泣きたいのであり、大虎は暴れたい衝動をガマンしている(酒が入るまで)。「酒が人を駄目にするのではない、元々駄目なことを気づかせるだけ」とはよく言ったもので、この真実は日本史にも数多く見つけることができる。
相手を酔わせて魂胆を聞き出し、後に有利な言質をとろうとする「ずるい」酒が頼朝。「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起これ」と罪科を並べる一方、注しつ注されつも良いものよと、どっちつかずの兼好。「酔ってるときに頼みごとをしてはいけない」と戒めた結城氏新法度は、よっぽど痛い目にあったのだろうとニヤリとする。
神前での儀式ばった酒席から、奢侈・豪傑を標榜するツールとしての酒肴。愚痴を言い合い、謀反の企ての場となったり、政治社交の具材になったり。
そして、酒から出た過ちや成功が、どの時代も似通っているのが面白い。酒席で出た一言で、文字通り首を切られた人や、能力的にはアレだけれど、酒の場のとりもちで出世した人、泥酔して大事な用をすっぽかした人、ぜんぜん変わっていない。呑まぬ人には、あきれるしかないだろうが、日本人は一生、酒から卒業できないのかも。酒を通して日本史を見ると、ありきたりな結論が歴史の分だけ重くなる。酒は飲んでも、呑まれるな。
寒い夜、熱燗を片手に読みたい。
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コメント
酒についての本は薀蓄が愉しいものが多いですね。
ご紹介の本も面白そうです。日本の酒の歴史は長そうですね。
最近コリン・ウィルソンが亡くなったので、彼の『わが酒の賛歌(うた)』なんかを思い出します。
彼はワイン党で、主にワインについての古代からの薀蓄や彼一流の仮説が書いてあるのですが、結構面白かった記憶があります。
名著ってほどではないですけど、リラックスして書いているのが伝わってきて好きでした。
何より翻訳が田村隆一で、訳者あとがきに詩が挟まれてるのがなかなかおつでした。
投稿: sarumino | 2013.12.12 13:19
酒は友、いつも共に、生きている。
肝硬変、いつも変、生きている。
早死に、一気に、生きている。
投稿: 長尾吉隆 | 2013.12.12 17:35
>>sarumino さん
コリン・ウィルソン!『アウトサイダー』ばっかり目が行っていたので、これは知りませんでした、ぜひ手にしてみたいです。教えて頂き、ありがとうございます。
投稿: Dain | 2013.12.14 00:17
イタ書きはやめてほしい。
投稿: 汚いやつは・・・ | 2015.05.11 14:06
肝硬変じゃねーよ
投稿: 俺の名を語るバカがいる | 2015.05.11 14:07