砲口から見た世界史『兵器と戦術の世界史』
古代ギリシアから元寇、ナポレオン戦争、日清日露、世界大戦、ベトナム戦争、中東戦争に至るまで、古今東西の陸上戦の勝敗を決めた「兵器と戦術」の役割を検証する。元々は自衛官の幹部向けの教書で、豊富な図解と詳細データに基づいている。長らく絶版状態だったのだが、復刊されたのは名著故か。
類書と大きく異なるのは、兵器(特に火力)の視点から分析しているところ。兵器装備が戦闘の勝敗に果たした役割を中心に、戦闘の変遷を歴史的に観察したものなのだ。「決勝点における火力の質量が上回る方が勝つ」という、ミもフタもない原則に貫かれていることが分かる。もちろん、彼我の差を用兵の妙で越えた、ハンニバルやナポレオンや信長の戦術も紹介されているが、「いかに決勝点に戦力を集中できるか」に焦点を当てている。
剣や槍から弓、騎兵、歩兵、砲兵、戦車と、それぞれの時代に登場した「新兵器」に対抗する兵器や戦術の開発の経緯に力点が置かれている。必ずしも重厚長大にならないのが面白く、軽装備への回帰や砲兵の復権が繰り返し行われてきた。中世、装甲を厚くした騎士の落馬を誘い、鎧の重さゆえに行動の自由がきかず、歩兵の格好の餌食にされた経緯は、そのまま近代の戦車にも適用される。
また、新兵器や戦術に、それぞれの文化の思惑(もしくは国柄)が出ていて面白い。特に第二次大戦直前の戦車性能を比較した考察が面白い。装甲、速力、火力、航続距離、無線、居住性能など、戦車に何を求めるかが、フランス、ドイツ、ソ連、日本とそれぞれ違っており、陸戦の思想が如実に反映されている。
さらに、「歴史は繰り返す」メカニズムが、兵器・戦術の開発とフィードバックの立場から説明されている。戦車の万能性に期待をかけすぎたドイツの思想は、中東戦争のイスラエルで繰り返され、白兵戦重視の日本の考え方は、朝鮮戦争の中国軍の人海戦術で再現されているという。相対する国家は異なれども、戦略状況により怖いくらい似たようなパターンに陥っている。
長年の疑問も氷解した。それは、「黒船」の威力。ペリー来航まで西洋式兵力の威力を知らなかったわけでもないだろうと思っていたのだが、当たりだった。長崎町奉行の砲術師範・高島秋帆が、ペリー来航に先立つ10年前、幕府に進言していたことが紹介されている。
秋帆は、私財を投じてゲベール銃や野砲や榴弾を購入して軍事学校を開き、幕府に洋式訓練の採用について建議し、オランダ式軍事演習を行った。ところが、演習は空砲で行われたため、見学者の受けた印象は薄く、「洋式戦法は力をもってする邪道で、和漢の智略をもって勝負する軍法に劣る」とされ、取りやめとなったという。
対照的なのが島津藩。視察した演習では実榴弾が用いられたため、藩主以下に与えた影響は決定的だったという。演習中、砲の一部が破裂して重傷者が出るのだが、その威力を間近に見て、同藩は即座に採用を決めたのだ。この決定が、西南、戊辰と後々まで響く。歴史の分かれ目は、プレゼンの差だったんだね。
ただし、古い本ゆえ「戦車+補助兵が最強」で留まっている。執筆時点でデータがそろっていなかったからか、航空機の地上攻撃はあまり言及されていない。本書は情報を得るというよりも、得た情報から何を戦訓として引き出すか、という読み方をするのが吉。個々の戦況の多寡よりも、それに先立つ何年も前に下された、「どんな戦略に基づいて、いかなる兵器を開発・発注するか」という判断のほうが、何百万もの生命を左右する。これは、時代を超える原則だろう。

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