ゲームで子育て『MH4』
なぜなら、こんなに楽しいゲームが豊富にあるから。今の時代にわたしが生まれたなら、肩までどころか頭まで浸かって、戻ってこなくなるに違いない。「勉強の合間にゲームする」のではなく、「ゲームの合間に生活する」になり、学校行ってる暇なんてなかっただろう。暇つぶしで始めたはずなのに、暇じゃない時間まで潰れてゆく、ハマれるゲームに満ちているから。
しかも、独り黙々とするのではなく、集団で連携しながら一つの目的を達成するという、昔とは異なるスタイルになっている。ゲーム機を持ち寄って、あるいはネット越しで一緒にプレイするのだ。まさに隔世の感。
「ゲーム脳」なんて言葉で脅してくる自称研究者がいるけれど、ゲーム脳化しているのはこのわたし(さんざんやってきたからね)。「ゲームと現実の区別ができなくなる」という批判は、まさにゲームと現実の区別がついていないから起こりうる。ゲームに熟達すればするほど、現実とはクソゲーであり、ゲームとは、抽象化された現実を遊ぶインタフェースに過ぎないことが分かってくる。現実とは違い、何度でもチャレンジできるシミュレーターなのだから。
こうした考えのもと、ゲームを子育てに積極的に取り入れてきた中で、特大の奴にぶちあたる。『モンスターハンター4』だ。3DSを持ち寄って、顔つきあわせ、あるいはネット経由でモンスターを「狩る」ゲームだ。トライ&エラー、コミュニケーション、チャレンジ精神、「子どもにやらせたいゲーム」として求めていたものが全部入っている。休日の午後、子どもと一緒に「狩り」をする経験は、なかなか得がたい。
とはいっても限界を感じることはある。ランクが上がるにつれ難度も格段に上がってゆき、ソロプレイでは到底クリアできないくらいになる(もっとも、わたしが下手なだけかもしれないが)。二人がかりでもやられてしまい、涙を呑むこと幾度もあった。だが、協同プレイのための装備を整え、連携戦術を練り、アイテムを使うタイミングを計画することで、膝と頭をつきあわせる。うまくいって達成した瞬間のドーパミンは半端ない。この達成感は、クセになる。
ゲームを「悪者」にしたい人々は、おそらく、子どもと一緒にこういう遊びができることを知らないのだろう。この喜びを知らないまま大人になるのは、悪いことはないのだが、無知に付け込んで恐怖心を植えつけるのは犯罪だろう。
『ゲームと犯罪と子どもたち』は、ゲームに対する誤った認識を植え付け、保護者の恐怖を煽ったのは「報道」であると、はっきり述べている。暴力的なゲームが子どもたちを暴力的にしているとか、ゲームのせいで残虐な犯罪が増えているといった事実が無いことを、学術的な調査により、はっきりと示している。
そして、ゲームに限らず、テレビ、マンガ、映画、大衆小説といった新たなメディアが誕生した際、もっともらしくその弊害を主張し、規制しようとした歴史を振り返る。恣意性にまみれ、わずかな証拠と不正確な仮定、似非科学に基づいた魔女狩りであったことを、徹底的に暴いてみせる。新しいメディアは、いつだって時代の非難の的なのだ。
「ゲームとネットが融合した環境を、リアルとネット越しで扱う」、これが常態化した世界で育つわが子たちは、どういう未来を見ることになるか。追い抜かれないよう鍛えるか。ホントは、ゲームをダシにして子どもと遊びたいのが本音、「だいん」という名で★5あたりをウロウロしている大剣使いがいたら、お付き合いくださいまし。
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