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ラノベでもジュブナイルでもない青春前夜『悠木まどかは神かもしれない』

悠木まどかは神かもしれない 息子の授業参観に行ったら凹んだ。

 というのも、女子に囲まれてたから。「お父ちゃんよりモテやがって!」という嫉妬ではない(断じて)。「クラスの女子とナチュラルに話すという、俺がどうしても越えられなかった壁」を、易々とクリアーしていることに、断絶を感じたわけ。

 女子は基本無視、会話は最低限、それも耳だけ立ててるギャラリーの中、照れと見栄の板ばさみになりながら、ぶっきらぼうに振舞う。「気になる」女子がいても、気取られないよう全力を尽くす。でもコッソリ目の端で、彼女の動きを追いかける……これが普通だろ?常識的に考えて。そういうナイーヴな、中年男ゴコロの真ん中を、きゅんと貫く一冊。

 主人公は、まったくもって平凡な男子。「気になる」子への熱い思いと、女子一般への冷たい視線が、まるでわたしで面白い。この「気になる」が「好き」になる、胸の鼓動を焼き付けろ。恋だの愛だのに落ちる一瞬前の、とても貴重な猶予期間なのだ。

 ただ、この男子、勉強「だけ」はできるようで、難関系の学習塾に通っている。子育て本に埋め尽くされた本棚を持つ母と、「俺みたいな普通のサラリーマンになるなよ」と自嘲する父のもと、勉強に最適化された生活を送っている。唯一の息抜きは、塾が終わってからバーガー屋で、塾友達とたむろすることぐらい。いるでしょ?夜もいい時間なのに、Nのマークの青い鞄の小学生。家に帰ると勉強が待ってるから、チーズバーガーをぱくついている。

 決して何者にもなれない人生が敷かれていたはずなのだが、それが変わる。「彼女が気になる」という、ただ一つの動機だけが、彼女の行動をミステリに変え、ひいては彼の逸脱のきっかけになる。それはとてもささやかだけど、たいせつなこと。「好き」は人生を変える。

 おバカで、コミカルで、ユーモアたっぷりの会話を笑っているうち、この男子が確かに変わっていくのが分かる。悠木まどかにはっきり伝えるある台詞で、男子が少年にクラスチェンジするのだ。こんな子を好きになってしまったら、きっと苦しい思いをするにきまってる。酸いも苦いも飲み下したオッサンは、その青春は最適化されてないぞといいたい。だが、地の文だった心情や、今まで黙っていたことを口に出すようになり、自分で軌道変更するようになるんだろうね。人生を変えるきっかけをもたらすのが神なのなら、悠木まどかは神かもしれない

 授業参観日の夜、「モテモテじゃん」と息子をからかうと、「気になってる子には素っ気なくされてるから意味ない」という(ちょwww)。なんにも知らないあの頃に戻って、やり直したい夜は、まさにそのとき。わたしの代わりに、「今」をやり直せ(おまえにとって初かもしれないが)。あのとき感じた予感はホンモノ、おまえを動かすのは「好き」という金剛石なのだから。

 恐れるな、ボーイズ&ガールズ・ビー・アンビシャス。

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砲口から見た世界史『兵器と戦術の世界史』

兵器と戦術の世界史 古代ギリシアから元寇、ナポレオン戦争、日清日露、世界大戦、ベトナム戦争、中東戦争に至るまで、古今東西の陸上戦の勝敗を決めた「兵器と戦術」の役割を検証する。元々は自衛官の幹部向けの教書で、豊富な図解と詳細データに基づいている。長らく絶版状態だったのだが、復刊されたのは名著故か。

 類書と大きく異なるのは、兵器(特に火力)の視点から分析しているところ。兵器装備が戦闘の勝敗に果たした役割を中心に、戦闘の変遷を歴史的に観察したものなのだ。「決勝点における火力の質量が上回る方が勝つ」という、ミもフタもない原則に貫かれていることが分かる。もちろん、彼我の差を用兵の妙で越えた、ハンニバルやナポレオンや信長の戦術も紹介されているが、「いかに決勝点に戦力を集中できるか」に焦点を当てている。

 剣や槍から弓、騎兵、歩兵、砲兵、戦車と、それぞれの時代に登場した「新兵器」に対抗する兵器や戦術の開発の経緯に力点が置かれている。必ずしも重厚長大にならないのが面白く、軽装備への回帰や砲兵の復権が繰り返し行われてきた。中世、装甲を厚くした騎士の落馬を誘い、鎧の重さゆえに行動の自由がきかず、歩兵の格好の餌食にされた経緯は、そのまま近代の戦車にも適用される。

 また、新兵器や戦術に、それぞれの文化の思惑(もしくは国柄)が出ていて面白い。特に第二次大戦直前の戦車性能を比較した考察が面白い。装甲、速力、火力、航続距離、無線、居住性能など、戦車に何を求めるかが、フランス、ドイツ、ソ連、日本とそれぞれ違っており、陸戦の思想が如実に反映されている。

 さらに、「歴史は繰り返す」メカニズムが、兵器・戦術の開発とフィードバックの立場から説明されている。戦車の万能性に期待をかけすぎたドイツの思想は、中東戦争のイスラエルで繰り返され、白兵戦重視の日本の考え方は、朝鮮戦争の中国軍の人海戦術で再現されているという。相対する国家は異なれども、戦略状況により怖いくらい似たようなパターンに陥っている。

 長年の疑問も氷解した。それは、「黒船」の威力。ペリー来航まで西洋式兵力の威力を知らなかったわけでもないだろうと思っていたのだが、当たりだった。長崎町奉行の砲術師範・高島秋帆が、ペリー来航に先立つ10年前、幕府に進言していたことが紹介されている。

 秋帆は、私財を投じてゲベール銃や野砲や榴弾を購入して軍事学校を開き、幕府に洋式訓練の採用について建議し、オランダ式軍事演習を行った。ところが、演習は空砲で行われたため、見学者の受けた印象は薄く、「洋式戦法は力をもってする邪道で、和漢の智略をもって勝負する軍法に劣る」とされ、取りやめとなったという。

 対照的なのが島津藩。視察した演習では実榴弾が用いられたため、藩主以下に与えた影響は決定的だったという。演習中、砲の一部が破裂して重傷者が出るのだが、その威力を間近に見て、同藩は即座に採用を決めたのだ。この決定が、西南、戊辰と後々まで響く。歴史の分かれ目は、プレゼンの差だったんだね。

 ただし、古い本ゆえ「戦車+補助兵が最強」で留まっている。執筆時点でデータがそろっていなかったからか、航空機の地上攻撃はあまり言及されていない。本書は情報を得るというよりも、得た情報から何を戦訓として引き出すか、という読み方をするのが吉。個々の戦況の多寡よりも、それに先立つ何年も前に下された、「どんな戦略に基づいて、いかなる兵器を開発・発注するか」という判断のほうが、何百万もの生命を左右する。これは、時代を超える原則だろう。

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ゲームで子育て『MH4』

MH4 わたしの時代と比べると、今の子どもは羨ましくも可哀想だ。

 なぜなら、こんなに楽しいゲームが豊富にあるから。今の時代にわたしが生まれたなら、肩までどころか頭まで浸かって、戻ってこなくなるに違いない。「勉強の合間にゲームする」のではなく、「ゲームの合間に生活する」になり、学校行ってる暇なんてなかっただろう。暇つぶしで始めたはずなのに、暇じゃない時間まで潰れてゆく、ハマれるゲームに満ちているから。

 しかも、独り黙々とするのではなく、集団で連携しながら一つの目的を達成するという、昔とは異なるスタイルになっている。ゲーム機を持ち寄って、あるいはネット越しで一緒にプレイするのだ。まさに隔世の感。

 「ゲーム脳」なんて言葉で脅してくる自称研究者がいるけれど、ゲーム脳化しているのはこのわたし(さんざんやってきたからね)。「ゲームと現実の区別ができなくなる」という批判は、まさにゲームと現実の区別がついていないから起こりうる。ゲームに熟達すればするほど、現実とはクソゲーであり、ゲームとは、抽象化された現実を遊ぶインタフェースに過ぎないことが分かってくる。現実とは違い、何度でもチャレンジできるシミュレーターなのだから。

 こうした考えのもと、ゲームを子育てに積極的に取り入れてきた中で、特大の奴にぶちあたる。『モンスターハンター4』だ。3DSを持ち寄って、顔つきあわせ、あるいはネット経由でモンスターを「狩る」ゲームだ。トライ&エラー、コミュニケーション、チャレンジ精神、「子どもにやらせたいゲーム」として求めていたものが全部入っている。休日の午後、子どもと一緒に「狩り」をする経験は、なかなか得がたい。

 とはいっても限界を感じることはある。ランクが上がるにつれ難度も格段に上がってゆき、ソロプレイでは到底クリアできないくらいになる(もっとも、わたしが下手なだけかもしれないが)。二人がかりでもやられてしまい、涙を呑むこと幾度もあった。だが、協同プレイのための装備を整え、連携戦術を練り、アイテムを使うタイミングを計画することで、膝と頭をつきあわせる。うまくいって達成した瞬間のドーパミンは半端ない。この達成感は、クセになる。

 ゲームを「悪者」にしたい人々は、おそらく、子どもと一緒にこういう遊びができることを知らないのだろう。この喜びを知らないまま大人になるのは、悪いことはないのだが、無知に付け込んで恐怖心を植えつけるのは犯罪だろう。

ゲームと犯罪と子どもたち 『ゲームと犯罪と子どもたち』は、ゲームに対する誤った認識を植え付け、保護者の恐怖を煽ったのは「報道」であると、はっきり述べている。暴力的なゲームが子どもたちを暴力的にしているとか、ゲームのせいで残虐な犯罪が増えているといった事実が無いことを、学術的な調査により、はっきりと示している。

 そして、ゲームに限らず、テレビ、マンガ、映画、大衆小説といった新たなメディアが誕生した際、もっともらしくその弊害を主張し、規制しようとした歴史を振り返る。恣意性にまみれ、わずかな証拠と不正確な仮定、似非科学に基づいた魔女狩りであったことを、徹底的に暴いてみせる。新しいメディアは、いつだって時代の非難の的なのだ。

 「ゲームとネットが融合した環境を、リアルとネット越しで扱う」、これが常態化した世界で育つわが子たちは、どういう未来を見ることになるか。追い抜かれないよう鍛えるか。ホントは、ゲームをダシにして子どもと遊びたいのが本音、「だいん」という名で★5あたりをウロウロしている大剣使いがいたら、お付き合いくださいまし。


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スゴ本オフ@御岳山ハイキング

 好きな本をもちよって、まったりアツく語り合うスゴ本オフ。

 今回はハイキングいってきた。行く先は、目にも綾な紅葉に彩られた奥多摩は御岳山。きりっと引き締まった空気をたっぷり吸って、次々と変化する山道をゆっくり歩んで、おいしい山ご飯と宿ご飯を堪能してきた。ふだん液晶画面を凝視している眼に、関東を一望する景色は贅沢以外のなにものでもなかったですな。

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 これはお昼ご飯(の一部)。本好きは食いしん坊であることが、これまでのスゴ本オフで証明されている。

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 お宿は山楽荘、由緒ある宿坊で、旬の食材をふんだんに取り入れた薬膳が美味だった。特に、鱒の竹皮蒸しはほろほろと柔らかく、頭からまるごといただく。

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 じっくり薬湯につかった後、カルカソンヌで遊ぶ。これは初体験なので、おっかなびっくりやるのだが―――面白い、ハマる!シンプルだけど、奥深い。UNOのように性格と運が戦略に出る一方で、それだけでは勝てないのがミソ。プレイヤー同士の「協力」が必要になってくる。いわば衆人環視の下で囚人のジレンマをするゲームなのだ。

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 (一応)スゴ本オフなので、本のプレゼンをする。お題は「旅先で読みたい本」なのだが、申し合わせたように、短篇集が並んで面白い。待ち時間や細切れ時間にさらりと読めるというメリットと、どっぷり浸る長編だと時を忘れて乗り過ごし・乗り遅れになるデメリットを避けた結果だろう。ごっそりiPhoneにラヴクラフトを入れて、空いた時間にちびちび読むというのはナイスアイディア。ただ、旅先の不慣れな場所で、ホラーを読むのはヒヤヒヤしそう……

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 『おくのほそみち』松尾芭蕉(岩波文庫黄)
 『すべてはモテるためである』二村ヒトシ(文庫ぎんが堂)
 『モーム語録』サマセット・モーム(岩波現代文庫)
 『陰影礼賛』谷崎潤一郎(中公文庫)
 『ラヴクラフト全集』H.P.ラヴクラフト(創元推理文庫/iPhone)
 『悪魔のいる天国』星新一(新潮文庫)
 『旅はゲストルーム』浦一也(知恵の森文庫)
 『らくだい魔女の出会いの物語』成田サトコ(ポケット文庫 ガールズ)

 企画していただいた佐々木さん、何から何までありがとうございました。次回は「酒」がテーマ。本をダシに旨い酒が集まりそう。本が好きな方、好きな本について語りたい方、既知のスゴ本から未知のスゴ本に出会いたい方は、[facebook:スゴ本オフ]をcheckあれ。

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行為の哲学『それは私がしたことなのか』

それは私がしたことなのか 安全運転していたのに、飛び出してきた子どもを轢いてしまったとしよう。

 自責の念に押しつぶされそうになりながら、「あのときもっと注意していれば」と後悔する。親しい友人が、「運が悪かったのだ、いつまでも悩んでもしょうがない」と慰める。このとき、「そうだね、ボクのせいじゃないよね」とケロリと気持ちを切り替えたなら、その友人は不審に思うだろう。

 なぜか?

 これを解き(説き)明かす行為論が熱い。ヴィトゲンシュタインから始まり、心脳問題を俎上に乗せ、認知科学に代表される精神を物質に還元しようとする考えに真っ向から反論する。後半は「過失という行為」を深堀りすることで、カントに代表される合理主義的哲学が覆い隠そうとしている、義務や責任と運との緊張関係を暴きだす。

 前半を「心の哲学」に割き、物心二元論を批判するライルの議論や行動主義、決定論、リベットの実験やミルグラム実験などを通じて、行為の哲学を手際よく紹介している。ただ、「心の働き」=「脳の働き」に反対するあまり、脳の活動の一つ一つに「意図」があると想定するなど、こじつけに近いような“反論”が展開されている(これはこれで、興味深い)。

 特に後半の行為論がめっぽう面白い。「そもそも行為とは何か」という命題を、哲学から探求し、「何かが(自然に)起こることと、人が(意図的に)行うことの違いは、一体どこにあるのか」を突き詰める。そして、その狭間に当事者ではコントロール不能だったもの、「運」の要素を見出す。そして、近代以降、義務を課し責任を追及する、道徳的・法的な視点から、「運」という要素が、いわば不純物として排除されている傾向があるという。

 これは、「過失」というキーワードをどのように扱っているかで明らかになる。ある過失に対し、「回避できた」を「回避する能力をもっていた」と同一視することによって、「過失を犯すかどうかは行為者の意のままになったことだ」と牽強付会したい思想が透け見える。だが、コントロール可能性という観点から道徳的・法的な義務ないし責任を根拠づける考え方は、我々の生きる現実の世界と齟齬をきたしているという。

 たとえ自分のコントロール能力を超え出ていたとしても、自分はその出来事に対して、他人とは置き換えのきかない位置―――いわば、その出来事に対して最も近い位置―――に立ちうる。そこで抱く後悔と申し訳なさは、単に「自分には落ち度はない、自分の過失ではない」と考えることによっては取り除くことのできない、割り切れない感情になる。

 この感情こそが、行為者として我々個人が経験するものは本質的に他人と置き換えがきかない証左になる。出来事と行為者と傍観者が等距離にある「均質な世界」ではなく、行為性と出来事の間に、運も含んだ濃淡があることが分かってくる。

 これまでは、客観的な責任や義務、社会全体の幸福の最大化を論じた、「偏りのない公平な倫理学」だったという。そして著者は、本書を通じ、新たな倫理学の方向性を提案する。そこでは、当事者たちの「傷」を受け止め、偏った視点と公平な視点を共に視野に入れながら、具体的な問題ごとに手探りの探求がなされるというのだ。

 均質な普遍性を是とする哲学(や科学)と、個別の問題を実地で考える倫理学(や文学)の、“もやっとした部分”を垣間見る。ブンケイリケイと分けて悦に入るより、こうしたぎりぎりのところまで考え抜き、グレーゾーンの舌触りを味わう。なかなか愉しい。

カーヴァーズ・ダズン ブンケイ観点なら、『レイモンド・カーヴァー傑作選』[レビュー]がすぐに浮かぶ。日常のちょっとした異物感や、突然訪れた悲劇を、削ぎ落とした過去完了のセンテンスで重ねるように描いている。行為の哲学に最も太く接続されるのは、『足もとに流れる深い川』や『ささやかだけれど、役に立つこと』だろう。まさに行為者の身の上に降りかかった出来事に対し、どのように振舞うか(振舞えるか)が、虐げられた心によりそう形で提示されている。

 リケイ観点なら、『心の仕組み』[レビュー]がそれにあたる。心とは、自然淘汰を経て設計されたニューラル・コンピューターであり、複数の演算器官からなる系であり、進化によって作り出されてきたというのだ。『それは私がしたことなのか』において、哲学の観点から反論されていた、「心の働き=脳の働き」については、暫定解答が思考実験の形で与えられている。

心の仕組み上心の仕組み下

 心脳問題に対する哲学からの視点で手にしたが、哲学と倫理の狭間にある行為論まで深堀りできる。行為の哲学入門と銘打っているが、門をくぐってかなり奥まで入り込んでいる。行為の哲学「それは私がしたことなのか」について、徹底的に考え抜きたい方に最適な一冊。

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贅沢な読書『ラピスラズリ』

ラピスラズリ 小説を読む喜びが、連れて行かれること、のめりこむこと、そして戻ってこられることであるならば、これは極上の喜びをもたらしてくれる。

 テーマは冒頭で分かる。三作の銅版画に表された情景を、後の連作が明かしてゆくように見える。中心となるのは「冬眠者」、冬のあいだ眠り続ける宿命を持つ人々だ。丁寧に研磨された描写を追いながら、輻輳した伏線を解いてゆくと、徐々に不穏な動きを見せつつ、破滅への緊張が高まっていくのが分かる。

 設定は作中にて説明されず、あちこちに散りばめられた描写や会話をヒントに、読者が汲み取らなければならない、読み巧者な仕様となっている。複数の人物の目線を次々と切り替えながら、畳み込まれたエピソードを丹念に広げてゆくと、隠された真実が徐々にたち現れてくる。かつ消えかつ現れるもつれたヒントが、ラスト近くなって一気に判明する。

 ただし、秘密は明らかになっていくものの、ラストに収斂したとしても、完全に見えるようになってはいない。ひっかかった箇所へ立ち戻って再読すると、さらに二重三重の意味が隠されていることが、あらためて分かるようになる仕掛けが施されている。ラストの余韻が木霊のように増幅していくのが愉しい。

 そして、自分の目で見たものが本当なのだろうかと疑う。連作で登場する同一人物らしき人々や、徘徊するものたちは、実は別の時間軸の存在ではなかろうか、と勘ぐったりする。描写が精緻であればあるほど、一貫した物語にすがりつきたくなるが、論理よりも感覚をドライブして読んだほうが楽に浸れるかも。作者は山尾悠子、精密で硬質な文体で描かれた幻想文学は、ぜんぶ“あたり”だと思っていいだろう。松丸本舗で『山尾悠子作品集成』を購入しておけばよかった。

 冬の午後、たっぷりと時間をとって、ゆっくりと読んでほしい。

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スゴ本オフ「トリック&マジック」

 好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合うスゴ本オフ。

 今回のテーマは、「トリック&マジック」。直球ミステリから古典、オカルト、SF、マジックリアリズムな作品まで集まったぞ。東京創元社の中の人やプロのマジシャンも呼んで、楽しく美味しく収穫ざくざくのひととき。参加された方、ご協力いただいた方、そしてKDDIウェブコミュニケーションズ様、ありがとうございました。

01

 しかしこれ……集まった作品たちは、見事にカオスで非常に面白い。それも単なる混濁ではなく、ある一定の方向をもった無秩序なラインナップ。その方向とは、「驚き」になる。

 あるものは、ラストのどんでん返しで「あっ」と言わせ、あるものはタイトルからして耳目を大いに驚かせ、そしてまたあるものは伏線と構成と叙述の妙で唸らせる。読み手の期待をことごとく裏切る形で唖然とさせたり、予想のナナメ上をつきぬける驚愕を引き起こす作品もある。

03

欺術 たとえば『欺術』。「史上最強のハッカーが明かす禁断の技法」と銘打たれているので、どんなハッキングテクかとワクワクしていると、どの時代にも通用する黄金則が書かれている。即ち、どんなに鎖を太く強くしても、「人」が一番弱い環であり、ソーシャルハッキングこそが肝であり弱点なのだ[ヒューマンハッキング・クックブック『欺術』]。zubapitaさんが喝破したとおり、欺術とは即ち話術で、それは詐欺師と営業の間にある。

モレルの発明 わたしのイチオシは『モレルの発明』。あのボルヘスをして「完璧な小説」と言わしめたほど完成された作品。SFとして読み始めると、実存主義に嵌まり込む仕掛けになっており、表紙を二度見すること請合う。巻末の解説を読んだら、今までの自分の「読み」がさらにひっくり返って、今度は裏表紙を三度見するだろう。本書を「完璧な小説」にするための最後のピースとして、自分という読者がいるのだ[完璧な小説『モレルの発明』]。

もしも遠隔操作で家族が犯罪者に仕立てられたら かなり気になったのが、『もしも遠隔操作で家族が犯罪者に仕立てられたら』。外部から操られたパソコンには証拠が残っていない。警察は教えてくれず、自白を促すだけ。家族もネットにさらされ、拡散・炎上していく。裁判は、ほぼ有罪への一本道で、争ったら一家丸ごと針ムシロ。パソコン遠隔操作事件を題材にした、物語は、人ごとではない。ポイントは、捜査するほうにとっても「新しい冤罪」であるところ。現在進行形なのでノンフィクションにしにくいのか、小説仕立てにしたのは英断だと思う。願わくば結末が暗黒になっていませんように…

02

04

 王道ミステリからファイナルストライクまで、「トリック&マジック」で紹介・言及された作品は次の通り。

  • 『百年の孤独』ガルシア・マルケス(新潮社)
  • 『モレルの発明』カサーレス(水声社)
  • 『伝奇集』ボルヘス(岩波文庫)
  • 『あの犬が好き』シャロン・クリーチ(偕成社)
  • 『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド監督
  • 『最後の錬金術師カリオストロ伯爵』イアン・マカルマン(草思社)
  • 『ハッカーを追え!』ブルース・スターリング(アスキー・メディアワークス)
  • 『欺術』ケビン・ミトニック(ソフトバンククリエイティブ)
  • 『世界No.1詐欺師が教える華麗なる騙しのテクニック』フランク・W・アバグネイル(アスペクト)
  • 『営業と詐欺のあいだ』坂口孝則(幻冬舎新書)
  • 『老木に花の』中村真一郎(集英社)
  • 『ベスト・アメリカン短編ミステリー2009』ジェフリー・ディーヴァー編(DHC)
  • 『とりかえばや物語』(角川ソフィア文庫)
  • 『月の輝く夜に』氷室冴子(集英社コバルト文庫)
  • 『おちくぼ姫』田辺聖子(角川文庫)
  • 『チルドレン』伊坂幸太郎
  • 『暗黒女子』秋吉理香子(双葉社)
  • 『虐殺器官』伊藤計劃(早川書房)
  • 『伊藤計劃記録 第二位相』早川書房編集部(早川書房)
  • 『孤島の鬼』江戸川乱歩(江戸川乱歩文庫)
  • 『緑衣の鬼』江戸川乱歩(江戸川乱歩文庫)
  • 『ハサミ男』殊能将之(講談社)
  • 『半身』サラ・ウォルターズ(創元推理)
  • 『BIOSHOCK』(XBOX360用・spike)
  • 『噂』荻原浩(新潮文庫)
  • 『魔法少女育成計画restart』遠藤浅蜊
  • 『名探偵コナン・水平線上の陰謀(ストラテジー)』
  • 『なぞときブック』(ベネッセ)
  • 『はてなはっけんブック』(ベネッセ)
  • 『くろて団は名探偵』ハンス・ユルゲン(岩波少年文庫)
  • 『乱れからくり』泡坂妻夫(創元推理文庫)
  • 『ネジ式ザゼツキー』島田荘司(講談社文庫)
  • 『私という名の変奏曲』連城三紀彦(新潮文庫)
  • 『騙し絵』マンセル・ラントーム(創元推理文庫)
  • 『しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術』泡坂妻夫(新潮文庫)
  • 『アガサ 愛の失踪事件』マイケル・アプテッド監督
  • 『髑髏島の惨劇』マイケル・スレイド(文春文庫)
  • 『影武者 徳川家康』隆慶一郎(新潮文庫)
  • 『星を継ぐもの』ジェームズ・ホーガン(創元SF文庫)
  • 『空飛ぶ馬』北村薫(創元推理文庫)
  • 『もしも遠隔操作で家族が犯罪者に仕立てられたら』一田和樹(技術評論社)
  • 『天帝のはしたなき果実』古野まほろ(幻冬舎)
  • 『仮面山荘殺人事件』東野圭吾(講談社文庫)
  • 『首無の如き祟るもの』三津田信三(講談社文庫)
  • 『楽園のカンヴァス』原田マハ(新潮社)
  • 『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午(文春文庫)
  • 『絶望』ナボコフ(光文社古典新訳文庫)

 いつも通りの飲み会の光景(の一部)。ご馳走さまでした。

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05

 次回は「酒」か「サバイバル」か。ご興味ある方は、[facebook:スゴ本オフ]をご覧下さいませ。


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