アイドルは殺されなければならない『金枝篇』
アイドルは殺されなければならない。アイドルは復活しなければならない。
100年前、英国のフレイザーによって著された『金枝篇』を読むと、「王殺し」は世界的に共通な風習であることが分かる。そして、現代では王の代わりに「アイドル」が、その役割を果たしていると考えることができる。
物語作家にとって、『金枝篇』は宝の山だ。人類学・民俗学・神話学・宗教学の基本書であり、世界中の魔術・呪術、タブー、慣習、迷信が集められている。スケープゴート、死神の追放、外在魂、樹木崇拝、王と祭司のタブー、王殺し……おびただしい事例と、膨大な文献の引用で成り立っており、「本からできた本」という異名の通り。
物語背景や世界観、ガジェット、仕掛けとなる材料がてんこ盛りで、たとえば『まどか☆マギカ』のソウルジェムは、「民話における外在の魂」の章に出てくる「ソデワ・バイの首飾り」から拝借しているだろうし、シャーリイ・ジャクソン『くじ』は、「スケープゴート」の章で紹介される風習そのままだ。独創的でありながら、人類の奥底で共通するアイディアなのだろう。
ここでは、そうした風習から一つ、刺激を受けた「王殺し」について書く。
一万年単位で人類史を眺めると、人間とは明らかに異なる、人間に優る、超自然的な存在という観念が、ゆっくりと醸成されてきたことが分かる。いわゆる、神という存在だ。「この世界は何らかの意思や働きかけによって具現されたもの」という考え方は、時と場所を問わず共通している。神の普遍性は、好奇心が普遍的なことの裏返しなのかも。
同様に、超自然的な力を与えられた「人」も普遍的だ。いわゆる王や祭司のこと。祈りや生贄を捧げられるほど敬われる一方、干魃や凶作や疫病や嵐が起れば、王の怠慢もしくは罪であるとして責任を負わされた。ムチ打ちや縛めから、廃位や死の罰が下されたという。王そのものが生贄だったのだ。
面白いのは、災いの癒すためのみならず、王の中にある神聖なるものを受け渡すため、殺される運命にあったというところ。老齢による衰えから「神」を守るため、非業の死を必要としたのだ。つまり、まだ十分活力に満ちている状態で後継者に移し替えるため、王殺しは必然だったというのだ。時代や文化によってやり方は異なるが、人類に共通して、「神聖なるもの」のリレーが行われたのはなぜか?
フレイザーはこれを、植物になぞらえる。植物が毎年死んで甦るという考え方は、古代から文明に至る人類のあらゆる段階において、容易に現れてくるという。自らの生活や、ときには生死を左右する、植物の衰退と再生が、毎年広大な規模で起ることを、何万年も人類は目撃してきたのだ。これほど重要で、顕著で、普遍的な現象であれば、人類レベルで同様な発想に至らせて、類似した儀式を誕生させたことは、驚くにはあたらないという。
神を弑することで、神を受け継ぐ。儀式の本質は、植物の死と再生の擬態だっという主張は、古今東西に渡る膨大な文献の裏付けられている。本書では一言も触れていないが、死と再生に関するあらゆる証言や論拠は、イエス・キリストを指しているのでは……と勘ぐりたくなる。フレイザーは遠回しに、キリスト教の起源を普遍思想へ求めているのではないか。
儀式としての「王」は残ってはいるものの、現在、神聖が宿るのは「アイドル」だ。崇拝される偶像としての存在は、現代の王・司祭といっていい。あこがれや欲望を一身に受ける、器としての存在だ。すると、死と再生の擬態はアイドルに受け継がれていると解釈できる。偶像役の、人としての盛りを過ぎるまで、「あこがれ」や「期待」や「欲望」が捧げ続けられる。そして、絶頂を超えて衰退しそうなとき、その神性を剥ぎ取られ、別の偶像へ移される。アイドルの栄枯盛衰は、王殺しの風習の現代版として見ることができる。
すると、アイドルは「殺され」なければならぬ。殺人、という意味ではなく、神聖を失う儀式が必要とされる。スキャンダルかもしれないし、引退コンサートの場合もある。必ずしも耳目を引かなければならない、ということはないが、アイドルの神聖が強ければ強いほど、終わりは演出される。
そして、アイドルは復活しなければならぬ。同一人物である必要はなく、先代を襲名したり、歌姫という地位を与えられたり、シリーズ続編の主役を代替わりすることで、神聖は引き継がれる。アイドルは、現代の王の代わりとして、死と再生を担っているのだ。
───このように妄想中枢を刺激して、新たな目線を与えてくれる。『金枝篇』は王殺しまで詳細にしてくれるが、そのネタが現代でどう生きているかを視るのは、読み手の想像力(創造力)に拠る。
千年万年単位で人類を眺めると、そこには「野蛮」「非科学的」といったレッテル貼りで回避するには大きすぎる共通的な理解の仕方があることが分かる。現代の「科学」だって、いまの人類にとってほぼ共通する「世界の理解の仕方」(世界の説明の仕方)に過ぎぬ。百年前を振り返ると、「科学」は時代遅れとなり、千年経ったら、野蛮な俗信の一つとして数えられるだろう。巨視的な立場からすると、人間の肉体構造がさほど変わっていないように、精神構造も変わらない部分が大きい。非科学的、と斬って捨てるのではなく、「人類は世界をどのように理解しようとしたか」「その理解の仕方はどんな形で受け継がれているか」に注目しながら読むといいかも。
民俗学・神話学・宗教学の基本書にして、自分の発想の根っこを照らす一冊。
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コメント
んー、これは『初版』金枝篇の話ではないですよね。
投稿: | 2013.10.10 23:36
>>名無しさん@2013.10.10 23:36
どこについて述べているのか分かりません……
投稿: Dain | 2013.10.11 21:44
カーツ大佐もお風呂で愛読してますね。
投稿: ナイナイチー | 2013.11.06 16:18
目から鱗が落ちるような卓見ですね。
自分は某グループアイドルオタですけども
人気が上がらないのはセンターが悪いから変えろとか
あのメンバーは劣化したから下げろとか
「王殺し」がありますわ。
フレイザーの凄さと人間の基本が古代から変わらないとに痛感します。
投稿: 谷山 | 2014.02.12 22:41
>>谷山さん
コメントありがとうございます。その「王殺し」は、凄く殺意がこもっているような……ドルオタでない私からすると、全てのアイドルは、何かの贄のような気がしてなりません。その懸命な様子から、その支持のされ方からすると、「食べられてしまっても仕方がない」ように見えます。
投稿: Dain | 2014.02.14 00:39