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スティーブン・ピンカー『心の仕組み』はスゴ本

 「心とは何か」について、現時点でもっとも明快に説明している。

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 一言でまとめると、心とは、自然淘汰を経て設計されたニューラル・コンピューターになる。心とは、複数の演算器官からなる系であり、この系統は、狩猟採集によって生きていたわれわれの先祖が、日々の問題を解決しながら進化する過程で、自然淘汰によってつくり出されてきたという。

 この枠組みを持って思考と感情の仕組みを、情報と演算活動で説明しようとする。ヒトの心は脳の産物であり、思考は脳の演算処理の一つだというのだ。情報を処理する上で、複数のモジュールがそれぞれ特定の目的をもって設計されており、外界との相互作用を受け持つという。

 そして、これだけ精妙なモジュール性が生まれたのは、進化的適応によるという。外界の環境を把握し、どれほど適応できるかが、種にとって生存と繁栄の鍵を握る。食物の場所を把握し、天敵を察知し、ライバルを出し抜き、配偶個体と出会うといった問題を効率よく処理できる個体が、結果として生き残り、子孫を残してきた。そこでは、汎用性よりも状況依存的なシステムの方が効率的になる(フレーム問題を見るべし)。自然淘汰で生き残ってきたのは、生存や繁殖にダイレクトにかかわる問題ごとにチューニングされたモジュール的な情報処理システム───これがすなわち、心になる。

 認知科学の事例が面白い。サールの「中国語の部屋」への反論や、爆弾処理ロボットの思考実験、2次元の視覚に奥行き情報を追加した、2.5次元の立体視差の仕組み、さらに、「もっともらしさ」を「起こりやすさ(確率)」に置き換えてしまうバイアスなど、ヒトが世界をどのように認識しているのかを興味深く解き明かす。

 より深く知りたいと感じたのは、数学の認知科学。アナログ的な数学的感覚を説いた『数覚とは何か』や、数学の正しさの“感覚”に疑義を呈した『数学の想像力』を通じて、数学とは、人間が世界を認識するための道具なのではないだろうか───と考えるようになった。つまり、ヒトが世界を認識するために抽象化・一般化したものや、その操作に“数学”という名前が付いているのだ。

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 この仮説に則れば、認知学として数学を俎上に載せることで、ヒトが世界をどのように認識しているかを解明できるのではなかろうか。数学をリバースエンジニアリングすると、人の認識の方法(もしくは限界)が分かるのではないか───そんな問題意識をずばりと突く一節があり、非常に興奮した。

 すなわち、「数学は数学的直感の延長である。算数はあきらかに数の概念から出てきたものだ。幾何学は形態や空間の概念からきている」という。そして、ソーンダース・マックレーンを引いて、基本的な人間行動が数学のあらゆる分野にインスピレーションを与えたのではないかと推測する。

  • 数える⇒数論
  • 測る・量る・計る⇒実数、解析
  • 形をつくる⇒幾何学、位相幾何学
  • 構成する⇒対称、群論
  • 見積もる⇒確率、統計学
  • 動く⇒力学、動力学
  • 計算する⇒代数、数値分析
  • 証明する⇒論理学
  • 判じる⇒組合わせ理論、数論
  • グループ分けする⇒集合論、組合わせ理論

 これを逆解析することで、例えば「人が数えるとはどういうプロセスが働いているのか」に迫れるのではないか。一定量を超えると、人は数を「まとまり」で把握するのはなぜか。離散量(自然数)と連続量(実数)の性質を超えて「数」として捉えられるのは───ここに認知の本質が隠されているのではないだろうか。レイコフ御大の『数学の認知科学』に手を出してみよう。

 認知科学の洞察から心に迫る一方で、ヒトの認知の歪み(バイアス)への説明がさらりとしていて拍子抜けた。俺の嫁が美人なわけ『ファスト&スロー』でカーネマンが示した下記の認知バイアスについて、触れてはいるのだが直接対決は避けている。これらの認知の“歪み”も淘汰によって最適化された生存戦略の一つなのだろうか。あるいは、統計的な判断の前提で見落としがあるのだろうか(後者のように思える)。

  • 直感から最終判断までの一貫性を求めたがる
  • 整合的なパターンを欲しがる
  • 相関関係から因果関係を探したがる
  • 難しい質問を簡単な質問に置き換えてごまかしたがる
  • 自分が見たものが全てだと考えたがる

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 喜怒哀楽といった情動に対しても、適応から説明を試みる。心のある部分は「快」という感覚を与えることにより、適応度が増えたことを記憶させ、他の部分は、因果関係の知識を使って目標の達成をはかるというのだ。これらが一緒になると、心は生物学的に無意味な挑戦をする───なんとか脳の快楽の回路だけを動かして、適応度の増大をしぼりとる面倒なしに、快楽を生じさせる方法を考え出そうとする。

 その分かりやすい例として、麻薬やストロベリーチーズ、そして芸術が語られる。われわれは、ストロベリーチーズケーキをおいしく味わうが、それはストロベリーチーズケーキに対する嗜好を進化させたからではない。私たちが進化させたのは、熟した果物の甘い味や、ナッツや肉の脂肪分のなめらかな舌ざわりから、快楽を私たちに与える回路だという。チーズケーキは自然界のどんなものとも違う強烈な感覚をもたらすが、それはチーズケーキが、刺激快楽ボタンを押すという特別な目的のためにある快刺激を大量に混ぜ合わせたものでできているからだ。

 このスタンスで語られる芸術論、とりわけ音楽の快楽論が面白い。まず著者は、「音楽は普遍的な言語だ」という表現は誤解を招きやすいと批判する。音楽のスタイルが文化や時代によって異なることや、人が子どもの頃から親しんだイディオムを好むことから、言語とは違うと断定する。さらに、音楽は言語と違って演奏するために意識的な訓練を要することからテクノロジーであって適応ではないことを示す。音楽とは、ヒトの精神機能の敏感な部分を快く刺激するよう精巧に作られた、聴覚のチーズケーキなのではないかと述べる。

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 先日、「テクノや民族音楽で『本能が昂ぶる』理由が解ける動画比較」を聴いたので激しく頷く。ダンスミュージックや民族音楽に心拍数がグイグイあがって興奮する理由が、実は本能に根ざしていることがよく分かる。音楽の本質はこれだ、というと乱暴かもしれないが、少なくともわたしが音楽を聴きたくなる理由の一つは、間違いなくこれだ。『音楽の科学』で学んだ、人が音楽を好む理由が説明されている。

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 だが、必ずしも心の全ての問題に決着をつけたわけではない。むしろ、(数学で示されているように)認知の限界を示している。ピンカーは、解決できない問題として自由意志を挙げている。独在性をめぐる心脳問題を深堀りした名著『転校生とブラックジャック』でさんざん悩まされた問題だ。ほらあれだ、2chやtwitterで見かける「おまえ以外全部bot」を世界レベルまで拡張したやつ。

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 自分の脳の設計図をコンピュータに読み取らせてから、体を壊し、記憶も何もすべてを再構成してもらったとすると、私はひと眠りしていたことになるのか、それとも自殺をしたことになるのか?もし二人の「私」が再構成されたら、私は二重の喜びを感じるのだろうか?こうした問題は『まだ科学で解けない13の謎』の一つとして残されていることを知っている。

 ピンカーは、こうした哲学的な問題がむずかしいのは、神聖だからではなく、換言不可能だからでも、意味がないからでも、無味乾燥な科学だからでもなく、ホモサピエンスの脳に、これを解決する認知装置が欠けているからだと述べる。人は生物であって天使ではないし、その心は器官であって、真理につながるパイプラインではないという。心は、私たちの祖先にとって生死に関わる問題を解決するために自然淘汰によって進化したのであって、私たちが問える問題のすべてに答えるために進化したのではないというのだ。

 そして、面白い思考実験をする。人とは別の認知能力を持つ生物を仮定し、自由意志や意識がどのようにして脳から生じるか、意味や道徳性がどのように宇宙に適合するかを理解できるとする。そして、ヒトが理解できないことをおもしろがって、解説を試みたらどうなるか問いかける。もちろん、私たちはその説明を理解できいないだろう(認知能力がないからね)。

 この思考実験はどうしようもないほど証明不可能だが、反証は可能だ。この哲学の難問を万一誰かが解いた場合には、それが反証となるというのだ。
ところが、人類のもっとも優れた知性の持ち主がこの難問に何千年も取り組んでいるにもかかわらず、何も進展がないことを見ると、反証できそうもなさそうだ。

 「心を説明する」現時点でもっとも分かりやすく、納得の行くスゴ本。

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コメント

こんにちは。
ぜひ読んで頂きたい作品がございます。
(もしかすると既読かもしれませんが)
「数学の女王」
私が今読んでいるスゴ本
「11/22/63」スティーヴン・キング著
ご関心ございましたら、検索してみてください。

投稿: | 2013.10.17 20:49

>>名無しさん@2013.10.17 20:49

オススメありがとうございます。『数学の女王』は数論の歴史みたいですね。知りませんでした&絶対楽しめそうなので、ぜひ手にとってチェックします。
そして、そのキングの大作は、当たりの予感がします。ずいぶん昔にハマったのですが、中毒を起こして遠ざかっていたので、リハビリがてら手にしてみます。

投稿: Dain | 2013.10.18 00:31

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