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『あいどる』を嫁にしようとした男

あいどる 強いて喩えるなら、Michael Jackson が初音ミクと結婚しようとした話。ウィリアム・ギブスンが17年前に幻視した、サイバーでジャンキーで未来な東京。

 「見たことのある未来」に大いに親近感を抱くのだが、微妙にずれた(というか懐かしさ)をひしひし感じる。たとえば、大震災を経てナノテクで急造された東京とか、アイフォン(iPhoneじゃなくって、eyePhone)というゴーグル型インタフェース、ネットの痕跡から人物を「特定する」専門職などがそう。今や古語となった"サイバーパンク"から照らした未来(=現在)は、懐かしさに満ちあふれている。

 特にバーチャル・アイドルたる麗投影(レイ・トーエイ)に過去を見てしまう。ホログラムに映し出されたリアルと仮想空間を自由に行き来できる一個の仮想人格になる。作中では「主観的欲求の集合体」と「統合された"憧れ"のアーキテクチャ」などと表現されているが、伊達杏子や初音ミクを彷彿とさせてしまう。

 初音ミクについてギブスン御大は補足済みで、2010年に「アニメ調ではなく、もっと高解像度(higher rez)でないと、私の心には響かない」とつぶやいている(via:[まなめの週刊Twiterなう])。ただ、ミク本体は「バーチャルアイドル」というよりも、音楽や映像を結集させる「場」のように見える。

 だから、人々の夢や憧れ、あるいは欲望を投影させる偶像としての「アイドル」なら、ミクのほうが近しい。というのも、『あいどる』の麗投影は完全な一個性のAIであり、言動の予測は(人間よりも)不可能だから。何かの技芸を披露することもなく、ただそこにいるキレイなお姉さんにすぎない。どんなレスポンスが返ってくるか、パターンが読めないから、偶像というよりも霊的な(あるいは神的な)存在に見えてくる。

 一方で、「俺の嫁」としてのバーチャルアイドルなら、恋愛シミュレーション「ラブプラス」を思い出す。プレイヤーの数だけ、DSの数だけ「俺嫁」は存在する。ギブスンが視た未来との違いは、コピーの有無だろう。「ミク」や「寧々さん」といったアイコンは共通だけど、セーブデータは無数にある。賛嘆や崇拝や熱望といった感情を、一個の人格で受け止めるのには無理がある。

 過去から見た未来が「電脳空間に究極のアイドルを作ろう」というのであれば、現在から見た未来は「アイドルをコピーして欲望をカスタマイズしよう」になる。

 新奇なものに出会っているのに、昔を思い出してしまう感覚が面白い。ギブスンのサイバーパンクは、もう古典なのか。物語そのものよりも、そこから想起される発想に翻弄される。ティプトリーJr.『接続された女』やアイマスと絡めると、「バーチャルアイドルに恋した男の悲話」ができあがる。

 懐かしい、でも違和感ある未来(=現在)をデジャヴする一冊。

 お知らせ、スゴ本オフ「アイドル」をしますぞ。わたしは『あいどる』を始め、アイドルの根っこについて一席ぶつつもり。

 日時 9/7(土)15:00-20:00
 場所 麹町KDDIウェブコミュニケーションズ
 参加費 2000円(軽食、飲み物をご用意します)
 申込 facebook「アイドル」のスゴ本オフ


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