人生は、競馬だ『優駿』
夢中本、これは面白い。大切な人に読んでほしい、大切な逸品。
とはいっても、けして美しい話ではない。一頭のサラブレッドを中心にした群像劇だが、どいつもこいつもロクでもない。女はビッチで男は亡者、それも銭だったり馬だったり権力だったり、様々な欲と修羅を抱えている。
だが、人間臭ければ臭いほど、サラブレッドが崇高に見えてくる。夢だの祈りだの、粘ついた欲望を綺麗に言い換えただけの願望を背負い込まされた馬が可哀想だ(この「馬が可哀想」というのも、わたしの勝手な想いだね)。そういう人間の弱さや悪意・狡猾さと、サラブレッドの美しさと闘争心が、見事なまでに対比をなしている。
構成が見事だ。優駿「オラシオン」を真ん中に、牧場主の息子、馬主、娘、秘書、そして騎手それぞれの視点が、章ごとに入替わり、全部で十章を為している。これは第1レースから第10レースを指しているのではないかと。そして、最終レースの日本ダービーが終章、すなわち第11レースを暗示しているのかも。
それぞれの“現実の章”と“夢の章”を描きながら、誕生や老い、病から死の四苦と、離別、憎悪、不得そして存在の苦を加えた八苦が練り込まれており、“狙って”書いているなぁと感心させられる。
さらに面白くさせているのが、どちらも血を媒介とした運命と必然に彩られているところ。優れた血統を求めるサラブレッドは当然として、登場人物の運命に隔世遺伝や親の呪いが混ざり込んでいる。科せられたものから逃れるため、もがき、逃げ、追い、まくる。見事に逃げ切る人、宿命に差される人、運命と沈没する人がいて、これは馬にかこつけた業の縮図になる。
登場人物に口寄せて、作者の思いが吐露されるのが愉しい。それぞれのキャラに言わせる名文句に、「サラブレッドの哀しみ」が共通しているから。
生き物はみなそれぞれに美しい。だが人為的に作り出されてきた生き物だけが持つ不思議な美しさというものが確かにある。サラブレッドの美しさが、その底に、ある哀しみに似たものをたたえているのは、他のいかなる生き物よりも過酷な人智による淘汰と、その人智だけでは到底計り知ることの出来ない生命の法則との対立によって生み出されて来たからなのだこのセリフを言う人自身が、「過酷な人智による淘汰」や対立に呑み込まれる。オラシオンと向き合うセリフは、言ったその人に降りかかる。恐ろしい暗喩だと思って読むとじわじわくる。
馬で業を描いた傑作。もっと早くに読めばよかった。
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