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『神々の山嶺』は徹山小説

 徹山小説=徹夜するほど面白い+山岳小説。

 上下巻の1000頁、一気に読める・止まらない。2ちゃんねらが絶賛してて、blogやfacebookで猛烈プッシュされ、「さすがにハズれないだろう」と気軽に手にしたが運の尽き。

神々の山嶺上神々の山嶺下

 前人未到の「エベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂」に挑む伝説のクライマーを描いた話なのだが、ラノベのように軽やかに青臭く、おっさんたちの生きザマを泥臭く描く。読むと心の奥に火が点けられ、ずっと昔に封印した「自分は何のために生きているのか」そして「自分が本当にやりたかったこと」を沸々と思い出す危険な副作用がある。

 しかも、ただ「山に登る」だけを単線的に描いていない。ジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂を成し遂げていたか、という登攀史上最大の謎解きに呑み込まれたり、陰湿で痛々しい人間関係のドロドロに絡みつかれたり、生活のために夢を矮小化させている自己欺瞞を暴かれたりと、なかなか忙しい。手に汗握る、抉られる読書になるだろう。

 そういう、汗臭さが滲み出るのと対照的に、そこから離脱し高みに昇ってゆく山が、ひたすら崇高に見えてくる。それでも、あいかわらず、人の熱や念じみたものが抱えられてゆく。というよりも、そういう人臭さがないと、登ってゆけないのかもしれぬ。

 「山」の話なのだから、登山に馴染みがないとハマれないか、というと全然ちがう。山にのめり込み、注ぎ込み、これしかないと思っていた自分が、時が経ち、金を稼ぎ、生活に削がれ、磨り減ってゆく人生と向き合わざるを得ないとき、どう向き合うのか。

 このテーマだと、「山」と「生」が見事にオーバーラップする。登山というドラマを使って、夢枕獏は、「なぜ登るのか」という繰り返されてきた問いかけを「なぜ生きるのか」の代わりに突付けてくる。読み手は「なぜ登るのか」に向き合わされる登場人物の心胆に同調しつつ、その裏面の「なぜ生きるのか」に直面させられる。昨年のNo.1スゴ本、『垂直の記憶』(山野井泰史著)を彷彿させる一節はここだ。

死にゆくために、山にゆくのではない。むしろ、生きるために、命の証しを掴むためにゆくのだ。その証しとは何かが、ぼくにはうまく語れない。山にいる時、危険な壁に張り付いている時に、ぼくはそれを理解しているのに、町に帰ってくると、ぼくはそれを忘れてしまう。考えてみれば、山にゆくというのは、それを思い出すためにゆくようなものだ。

 ここまで来ると「○○のために登る」というのは無い。山に何か良いものでも落ちているわけじゃない。"何か"のために山に行くんじゃないんだ。換言するなら、「○○のために生きる」という目標があるか!?と自身に問いかける。家庭やら仕事やらを持ち出してきてもいいが、それらは全て「生き甲斐」のカテゴリ。生きた「結果」、生きててよかったと言えるもの。そうじゃぁないんだ、生きる目的なんてない。できることは、ただ「生きる」だけ。

 でもね、もし"それ"(=生きる/登る目的)が見つけられたら、限りなく幸せだと思わなければならない。いや、ひょっとすると、限りなく不幸なのかもしれぬ。自分も周りも、ぜんぶ突っ込んで、"それ"を果たす───言い換えるなら、それを果たすために[生き/登ら]ざるを得ないのだから。

 これは、まちがいなく「面白い」と断言できる小説。言い換えるなら、これが次点なら頂点を見せろ、いや見せてくださいお願いします、と断言できる傑作。

 エヴェレストで撮影された動画を見つけたのでメモ。

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コメント

同じく夢枕獏の「上弦の月を食べる獅子」は、生きるとは何なのかをさらに踏み込み?「わたしとはなんなのか」を描いたスゴ本です。未読であれば、間違いなく徹山小説としてオススメ出来ます

投稿: | 2013.06.15 23:33

>>名無しさん@2013.06.15 23:33

ありがとうございます!速攻注文いたしました。そういや『上弦の月』は嫁さんがプッシュしていたことを思い出しました。

投稿: Dain | 2013.06.16 07:57

谷口ジロー画の漫画版も珠玉の作品です。小説と漫画にそれぞれの良さがあり、読み比べるのも一興。

投稿: 介護人 | 2013.06.17 15:10

>>介護人さん

コミック版もあるのですね、教えていただき、ありがとうございます。ほとぼりが冷めてから手にしたいです。

投稿: Dain | 2013.06.17 23:29

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