« 巨匠ボルヘスが選んだ文学全集『バベルの図書館4 フランス編』 | トップページ | 『死の棘』はスゴ本 »

『立花隆の書棚』 vs 『松岡正剛の書棚』

 最初に結論、セイゴオ師の勝ち。

 物量は立花隆が圧倒的だが、質量は松岡正剛に軍配が上がる。書棚の写真を並べると、本に対する扱いが如実に現れており、とても興味深い。

立花隆の書棚 『立花隆の書棚』にある本は、「資料」だ。ビルを丸ごと書庫にした通称ネコビルは有名だが、百聞一見、噂に聞くのと写真を見るのとまるで違う。地下二階から地上三階までビッシリと占める本棚の光景は圧巻なり。さらに、屋上、階段、床上、三丁目書庫、立教大学研究室までを入れると、20万冊になるという。

 だが、それぞれの棚に詰め込まれた書物は、雑然としている。ストーリーも驚きもないし、整理すらされていない。その分野に絡む本は、ミソもクソも選り好みせずガツンと大人買いしてきましたといった感じ。これらは本ではなく、資料なのだ。

 「書棚は、持ち主の知的歴史の断片なのだ」と言い切る力強さは頼もしいが、同じ口から、「書棚は常にめちゃくちゃになる、そうならざるをえない」が飛び出してくる。この断定の不安定さがイイ。そう、一人の人間が扱うには“めちゃくちゃ”といってもいい物量がある。

 とはいえ、あたりまえやね。知識を仕込み、取材の下準備をするための、資材置き場をみせてもらったようなもの。あれだけの書物を生産するのに、これだけの莫大なインプットを要するのかと思うとクラクラしてくる。これらは、あの著作群の燃料なんやね。本というより薪に見えてくる。魔窟に迷い込んだ気分で、こわごわザッピングするのがちょうどいい。

松岡正剛の書棚 『松岡正剛の書棚』は、今は亡き松丸本舗に並ぶ五万冊の本の記録だ。濃くて深い書評千夜千冊に出てきた作品をキーブックとして、そこから派生する本を両隣や脇、上下に展開する。クロスオーバーな書棚は、その並べ方そのものが「作品」といえる。既読の一冊を手がかりに、まるで知らない(でも濃密に関連した)二冊に出会える仕掛けとなっている。見せるというより、魅せる本棚であり、想起や惹起を促すための記憶装置なのだ。

 もし、セイゴオ氏と話す機会があったら、試みに自分にとって大切な本をいくつか挙げてみるといい。瞬く間に「それならコレは読みましたか?」と思いがけない本を返してくる。あれだけの知の宇宙がごっそり頭に入っているだけでなく、かつ分野外のルートで意外な本がつながっていることに気付かせてくれる。読んだ本が血となり腸となり筋肉となっていることがよく分かる。小説を一頁ずつ(文字通り)食べるお下げの妖怪がいるが、あれと一緒。セイゴオ氏にとっての本は、(文字通り)食料なんやね。桃源郷に迷い込んだ気分で、うきうき桃狩りをするといい。

 松丸本舗で撮った、究極の書棚の極々一部は、下記の通り。セイゴオ氏と松丸スタッフの心気がにじみ出ている。『立花隆の本棚』をお持ちの方は、是非、比べてみて欲しい。

0

05

02

 松丸本舗はCDショップになってしまったが、セイゴオ師の書棚は豪徳寺にある。次の7枚は、編集工学研究所で撮影したもの。まさに時を失う知の伽藍、ここにお布団敷いてひねもす読書と対話だけの暮らしをしたい。

Seigo01

Seigo02

Seigo04

Seigo05

Seigo06

Seigo07

Seigo09

 松岡正剛氏の編集工学研究所は豪徳寺にある。ネコビルは一般公開されてないみたいだが、編集工学研究所は公開されている(事務所でもあるので、事前に確認してね)。百聞一見、ぜひ訪れて「ここにお布団敷いて暮らしたい」気分になって欲しい。

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 巨匠ボルヘスが選んだ文学全集『バベルの図書館4 フランス編』 | トップページ | 『死の棘』はスゴ本 »

コメント

>その分野に絡む本は、ミソもクソも選り好みせずガツンと大人買いしてきましたといった感じ。

あー、そういう意味では、僕のPDF化中の「書棚」は明らかに「立花式」ですなあ(いえまあ質量共に氏の足元の土くれにも及びませんが(笑い )

でも、司馬遼太郎も1作書くのにトラック1台分くらい古本を買ったというし、本を資料として扱うとなると、当然そうなっちゃいますよねえ。

SF人でいうと、生前拝見させていただいた、宇宙軍大元帥・野田昌宏氏の「書棚」(というか、「書室」)も、立花式でした。石原藤夫博士やヨコジュン氏の「書棚」はどうなんでしょうね。興味のあるところです。


>本というより薪に見えてくる。

僕なんか、現在、片っ端からPDF化してるんで、本好きの母や知人たちには痛罵されたり眉を顰められたりしておりますよ(笑

投稿: SFファン | 2013.05.10 12:09

>>SFファンさん

本を薪にして本を出す人にとっては、本こそ燃料なのでしょうね……『立花隆の書棚』には、読んで「愉しむ」本は、ないような気がします。

投稿: Dain | 2013.05.11 06:55

それは「愉しみ」の形質が違うんですよ。

上手い比喩を考え出せなかったんですが、

「食事」(卓について、美味しい料理や酒を味わう)のそれとはまた違う、
例えば、「運動」(自らの力を行使し、その結果として更にパワーアップ)の快楽や
「調査・探検」「狩猟」(未知の情報が存在することを知る、それを追跡し、手中に収める)の快楽、
に近しいものがあるのです。

故・野田大元帥が語ってくれた
「膨大な古雑誌の上に、アメリカSFの大きな流れが見えてきた」ときの震えるような感動
ヨコジュン氏が自身の明治小説の1シーンに必要な、実在の皇族が現実に発した一言を古本の中に発見できときの感動
そしてそれらを自分の著作に反映できる強烈な喜び
というのも、絶対に存在してるんですから。


あー、
獲物を捕らえ喰らい、それを血肉やカロリーとして更に大きく走りだす肉食獣の感じる「愉しみ」
という感じ?

……って、我ながら、これじゃ中二病的な血なまぐささですね。
こんなんで伝わるでしょうか?(苦笑

投稿: SFファン | 2013.05.12 20:29

>> SFファンさん

丸めると、「知的好奇心を満足させる」になりそうですね。頭に「獰猛な」とか付けるといいかも……知識を広げる本と、智恵を深める本があるとして、前者の極端な姿が、立花的「愉しみ」のように見えます。

投稿: Dain | 2013.05.13 06:41

「獰猛な」で、思い起こしました。
サメというのは、口に入るものには何でも貪欲に食らいついて、食べられなきゃ吐き出すのだそうです。
こっちの例えのほうが、より分かりやすく立花的書棚の成り立ちを説明できそうですね。

投稿: SFファン | 2013.05.13 15:56

>>SFファンさん

そういう意味で、この方は貪欲だし、好き嫌いもハッキリしているので、分かりやすいといえば、分かりやすいですね。

投稿: Dain | 2013.05.15 00:19

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『立花隆の書棚』 vs 『松岡正剛の書棚』:

« 巨匠ボルヘスが選んだ文学全集『バベルの図書館4 フランス編』 | トップページ | 『死の棘』はスゴ本 »