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論破の快感『ダンガンロンパ』

ダンガンロンパ 言葉で相手をやっつける快楽。この悦びは性的なものに近い。

 言葉尻を捕えてやり込める。レトリックを弄して丸め込む。論理矛盾を突く。感情を込めた表現による人格批判―――リアルでは封印している言論術を駆使して、「学級裁判」を勝ち抜くPSPのゲーム。『ダンガンロンパ』は快感論破なり。

 家でも会社でも、「相手を論破する」ことに注力すると、必ずしこりが残る。会議の議論であれ、夫婦の会話であれ、ゴールは「正しさ」ではなく、「妥当さ」。だから、論破は御法度になる。「真実はいつも一つ」だが、解釈は無数。痛い思いをくり返し、口チャックができるようになった。これがオトナになること。

 しかし、このゲームではコドモになる。主張の弱点に狙いを定め、矛盾点を「発射」する。相手の詭弁テクニック「早まった一般化」や「類推のミスリード」の、まさに要(かなめ)の言葉を粉砕する。カ・イ・カ・ン。

 さらに、「悪魔の証明」が突きつけられたら、「動かぬ証拠」をカウンター。逆ギレしてマシンガントークになると、こっちもテンポにあわせて撃ち返す。口喧嘩シミュレーションやね。タイミングと紋切言葉、口喧嘩は音ゲーそのもの。議論の負けは、即処刑なので、ヒリヒリする緊張感と、ワクドキする多幸感に追いかけられるようにプレイする。

 監禁された学園内で、次々と起こる殺人事件。主人公は話を聞いてまわり、証拠を集め、「学級裁判」で犯人をあぶりだす。捜査+推理+裁判がリアルタイムで進み、「ハイスピード推理アクション」という謳い文句に偽りなし。

 ただし、トリックは古典的だし謎解きはありがち。捜査開始の段階で犯人の目星はつくし、事件の黒幕であるモノクマ(声:大山のぶ代)の正体も早い段階で見えてた。だが、面白いのはここから。犯人が分かったからといって終わりではない。それを「学級裁判」で皆に納得させなければならない。これが難しい&面白い。犯人のみならず、他のクラスメイトとの駆引・撹乱・言訳が入り混じり、議論がトンでもない方向へ転がってゆく。その“場のゆらぎ”にキリキリさせられる。

 そして、何よりもストーリーが素晴らしい。「生徒で殺し合いをさせる」なんて、まんま『バトルロワイヤル』を想起させられるが、なぜそういう状況になったのか、どうしてその状況を受け入れられるのか、物語全体を包む謎が解されていくに従って、慄然とする。ああ、これはプレイヤーを包む状況のメタファーなんだと。

 「学校から脱出したい」「学校では生き残りのサバイバル」「他を蹴落としてまで這い上がれ」「でもクラスメイトは仲間」「外の世界は分からない」、これらをプレイヤー自身に重ねると、何層も身に染みるだろう。

 モノクマという黒幕も強烈なメタファーだ。ラストで絶望的な光景がディスプレイに映し出されるシーンがある。モノクマという姿を取っているものの、その爆発や暴力に見覚えがある。そこにモノクマという記号を当てはめているだけ。プレイされた方は、“あのシーン”からモノクマを外してみるといい、(マウス反転表示)911やロス暴動まんま。

 隠喩が強力すぎるから、描写で緩和しているのだろうか。キャラの造形が、ぺらぺらの紙のようだし、血はショッキングピンクの蛍光色で、現実離れしている。サイケでポップでリアリティゼロなのに、「公開処刑」のシーンになると、妙に重厚な書き込みになり、生々しさが俄然出てくる。絶望の世界でも、「死」はリアルに描かれる。

 ネタバレがそこらじゅうに転がっているので、未プレイヤーは検索を一切しないほうが吉。ぜひ、「論破の快感」と「学校の隠喩」を味わって欲しい。

 7月からアニメ放送開始らしい。かなり期待。

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結婚は素晴らしい v.s. 結婚は人生の墓場

01

 オススメ本を持ち寄って、まったりアツく語り合うスゴ本オフ。今回は「結婚」をテーマにした作品が集まったぞ。シーサー株式会社の一室を会場にして、結婚に夢を抱いている未婚の方も、結婚にだいぶ疲れた既婚の方も、生々しい話に及ぶ。

 今回はいつもと違って、二つのアプローチから選んでもらった。すなわち、「結婚は素晴らしい」という肯定派と、「結婚は人生の墓場だ」という否定派だ。

 最初は、結婚のダークサイドな作品が中心に紹介されていたけれど、後半になるに従って、結婚をポジティブに捉えた本が続々と出てくる。そういや、「結婚は人生の墓場」という人には、「夜は墓場で運動会」と返しなさいって、ばっちゃが言ってた。

 著者対決も面白い。林真理子のネガティブv.s.西原理恵子のポジティブを並べてみると、如実に出てくる。ゴジラ対ガメラの対決じみてて面白い。どっちに軍配が上がるかはレポートしているので、ご自身で判断してほしい。

02

 もちろん結婚にはその両面が間違いなく存在するが、「なぜそれを選んだのか」を語ることは、そのまま本人の結婚観(未婚なら結婚願望感)が透けて見えて、非常に興味深い。本を通じて本人がプロファイリングできる場と相成った。わたしが選んだのは、以下からたぐれる。

 結婚のスゴ本
 【私のハマった3冊】この世で最も危険な食べ物“結婚”を解毒する三冊

 たった数回のサンプル数で、分かった気になって語り出すのが「結婚」。そしてそれが、見事に色々ある。わたしなんざ、「サンプル数=1」で語っているから痛すぎるかも。「仕事」や「社会」もそう。普通こういうのは、酒が入って呂律が回らなくなりかけた時に、ひょっと出てくる本音だけれど、本をダシにすると滑舌がよくなる。

 だから、つがい方は人それぞれ。安穏とした墓場かもしれないし、航海を共にする同志かもしれない。

03

 面白い「読み」も紹介される。スゴ本オフが素晴らしいのは、新しい本との出会いだけでなく、既読本の新しい読み方が出てくるところ。かつて、『十五少年漂流記』をBLとして読み直した方がいらしたが、今回はパワーアップしている。

 例えば、ガース・ウイリアムズ『しろいうさぎとくろいうさぎ』をBLとして読むとすごいらしい。また、『源氏物語』の浮船のくだりは、ディカプリオ『タイタニック』という喩えが面白い。「源氏物語で幸せになった女は誰一人としていない」という意見があったが、確認したくなる。結婚を「事業」として捉えると、「欲望の分散発注」とか「男はリストラされないように再契約を」という主張になる(岡田斗司夫だ)。俺様結婚観の一つとして拝聴する。

 ユニークな結婚観も飛び出る。「結婚したい女子」と「仕事をしたい女子」は、だいたい20年の間隔で入れ替わるという指摘に頷く。これは、その母親が反面教師になっているのがカラクリ。「結婚すればなんとかなる」と思っている女子にガツンとくるかも。

04

 みなさんの事前のコメントに加え、オフ会での発言を織り交ぜながらご紹介。人称が変なのはご容赦。

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■結婚は素晴らしい(結婚ポジティブ)
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『アンナ・カレーニナ』トルストイ(光文社古典新訳文庫)
読めば結婚が捗る。アンナは、どうすれば結婚を破滅に導くか、リヨーヴィンは、どうすれば満足度の高い結婚へと至れるか。アンナはネガティブだが、もう一人の主人公リヨーヴィンを追うと、結婚にポジティブになれる。
『乙嫁語り』森薫(エンターブレイン刊)
12歳の旦那と結婚した20歳の嫁。世界は中近東。世界が違っても、結婚生活の基本は違わないのではないか。家族、相手を思いやる気持ち、自分の役割など結婚って本当はこんなにシンプルなものなんだよ、と教えてもらえる。
『ゼクシィ』リクルート
これこそ結婚をポジティブにとらえた究極のスゴ本。ただし重量は4kg弱で、鈍器としても使用可能。
『おセイさんのほろ酔い対談』田辺聖子(講談社)
作家系中心に夫婦をネタにした対談エッセイ。ラインナップがイイ。井上ひさしさんとか。女房が歌うとヤバい~という話が面白い。笑いあり、毒あり、結婚してるほど味わい深い。
『ベスト・パートナーになるために』ジョン・グレイ(三笠書房)
マニュアルっぽい。男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきたという。(『地図が読めない女~』に似てる)。
『スナックさいばら おんなのけものみち』西原理恵子(角川書店)
一見、結婚の毒本みたいに見えるが、おおらかな気分にさせてくれる、紆余曲折しつつやっていけるような本。林真理子と読み比べると、女として、どっちがあっぱれか分かる。結婚だけじゃなく、恋愛から出産、子育てまで、女の人生の真実をズバズバ語っている。特に結婚に関しての女サイドの意見がどれもリアルで男性にもぜひ読んでほしい。そして、イヤなことも辛いこともあっても、結局「結婚ってイイ」と思えるところがスゴい。
『ほんとに建つのかな』内田春菊(祥伝社)
実録・家づくりドキュメントコミック。子どもが四人居て、全部父親が違う春菊。お舅さんとのバトルが凄い
『カレーライス』KAN
結婚てこういうもんだよね、ということをストレートに歌った曲。色々あるけど、「一度さめて、またあっためて、それでいい」んだよ。肩の力が抜けててすごくいいのは、KANの結婚生活がすごくいいからなんだろう。
『西原理恵子の「あなたがいたから」』NHK「こころの遺伝子」制作班
サイバラと鴨ちゃんのアル中との戦いの話。壮絶な中でも最後は夫婦の絆が精神を救うというのが、キレイゴトでなくどろどろと生々しい状況下でも滲み出てきている点がおすすめ。結婚なんてキレイでタノシイばかりじゃない、人生という戦場を一緒に駆け抜けてく同志なんだよと。還ってくるところは、パートナーなんだな、と思わせる。喪ってはじめてわかる関係もある。何度もリフレインしたり反省できる本。
『乗り移り人生相談』/『人生は冗談の連続である。』島地勝彦(講談社)
週刊プレイボーイの編集長のエッセイ。柴田錬三郎、開高健の人生相談担当だった著者に三大文豪が乗り移り、現代人の悩みに答えまくる。会社のカネも使い、自分の財産も使い、カネのかかるたいていのものをやり尽くした、やりたい放題した人の人生相談。一筋縄でゆかなさそう。「飯を食ったらヤるもんだ」という発想がすげぇ。ロードマップかよ。凄い人なり→『乗り移り人生相談』。テイストはイタリアンなホイチョイプロダクション。「食事には誘うんだけど、ヤりたいそぶりは1mmも見せるな」というスタンスは面白い。これを繰り返すと落ちるらしいwww つーか、落ちる人を選んでいるマーケティングの勝利だと思う
『夏雪ランデブー』河内遙(祥伝社)
低温一途青年×さっぱり未亡人×草食系執着霊の3者が紡ぐ純情三角関係(amazon評)
『このたびは』えすとえむ(祥伝社)。テーマが冠婚葬祭での人生の瞬間を切り取ったオムニバス。相手を含めて家族って面倒くさいんだけど、一番頼りになるし、安心できるのも家族なのだ。結婚の話がいい。ちょっとしたサプライズにほろっとくる
『隣にいても一人』平田オリザ
オリジナルの脚本で、ネットで注文して入手可。「ある日、結婚することになりました」という不条理を、なんとなく分かる戯曲。劇的なものがない結婚。まさに「隣にいても一人」が結婚なのだろうか。
『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』深尾葉子(講談社):日本人はなぜ生活水準が高いわりには不幸なのかという謎を解き明かしたもの。タガメという虫と、樽のタガを掛けている。日本の男は奥さんに吸い取られているから経済が回らないんだという本。発想が面白い。「いい男がいない」と愚痴る若い女向けに、「いい男とは何か」を考えさせられる。
『サムライカアサン』板羽皆(集英社)
強力な結婚ポジティブ本。家族愛が熱いマンガ。好きなもの好きと大事なものを大事と言うこと、言えることの素晴らしさを教えてくれて、自分もこういう親や夫でありたいと思わせる一冊。
『氷と炎の歌』ジョージRRマーティン(早川書房)
最悪というのとは違うが、少し変化球。大サーガを編む複雑な人間関係、その縦糸が血のつながりなら横糸が婚姻関係、そこには愛情、愛欲、権力欲など様々なものが絡みついている。
『海からの贈物』アン・モロウ・リンドバーグ(新潮文庫)
女が好きな人に出逢って、結婚し、子どもを産み、さまざまな役割を荷うなかでどうやって心の平安を保ち、夫や子どもたち、社会と向き合っていけばよいかを考える本。こんな素晴らしいロングセラーがあったなんて知らなかった、読みたい(吉田健一訳が鉄板だって)。
『さよなら、ソニヤ』アンジェロ・ロメオ(求龍堂)
ホロコーストを生き延びた天蓋孤独の少女ソニヤとNY生まれの青年アンジェロが出会い、惹かれあって結婚した。夫婦で写真家となったふたりの作品はメトロポリタン・ミュージアムをはじめ多数の美術館やギャラリーを飾っている。無二のソウルメイトとして深く愛し合うふたり。やがて、ソニヤが癌に冒され……
『式の前日』穂積(小学館)結婚が素晴らしいというよりは、この短編集で描写されているキャラクターの背景を想像するのが楽しかったのかも。結婚する当人ではなく、祝福される側、残される側にも色々な思いがあるのだな、と。
『未来予想図』志羽竜一(メディアファクトリー)
きっと何年たっても、こうしてかわらぬ気持ちで過ごしてゆける……互いに深く信じあった恋(amazon評)
『結婚写真』中江有里(小学館)
結婚とは、家族とは、女とは、幸せとは?「独り立ちしていく逞しい現代女性の姿を描いた爽やかな物語(amazon評)
『進化と人間行動』長谷川寿一、長谷川真理子(東京大学出版会):東大の教科書(般教かな?)生物的・遺伝的に考えて、人の婚姻システムを考察する。進化生態学からした結論は、「一夫一妻が良い」とするが、島耕作と比較したプレゼンが面白すぎる。
『塩狩峠』三浦綾子(新潮文庫)
これを結婚本として出してくセンスが素晴らしい。結婚の愛を人類愛にまで拡張している。
『細雪』谷崎潤一郎(中央公論社)
細々とした人間関係の機敏の描写がとてもうまい。結婚をとりまく姉妹関係が優美で良い……というご紹介。蛍狩のワンシーンは鳥肌ものの絶品なので、うつくしい日本語を読みたい方はぜひ。
『人生はあきらめるとうまくいく』ひろさちや(幻冬舎)
結婚のみならず人生の本。「がんばる」は耳に心地よいかもしれないけれど、悪だよ、と教えてくれる。「あきらめる」はイイことだよ、ということが分かる。期待しなければ失望することもない。フラットな気持ちになれる。
『神去なあなあ夜話』三浦しおん(徳間書店)
都会に住んでいる若い男がやることがなくて三重の山奥で林業をする。神去村の神話伝承から夜の生活まで。過疎の村。独身は自分ともう1人女性だけ。素敵な人なのでいつか付き合いたい……林業エンタテイメント。
『理系クン 夫婦できるかな』高世えり子(文藝春秋)
便利な(×)頼りがいのある(○)夫の話。お互いのバカさかげんが分かるのがいい。結婚って、サンプル数が1~と小さいのに、(私をはじめ)皆さんが語る語る結婚観が面白い。
『そうか、もう君はいないのか』城山三郎(新潮社)
奥さんが他界して、ちょっと参った三郎さんに、娘さんが心配するストーリーらしい。この「君」とは奥さんのことだって。A.ビアスの「人が頭がおかしくなるとやることが二つある。一つは自殺、もう一つは結婚だ」という箴言が刺さる。40超えたら絶対読め、という本らしい
「ぽっかぽか」深見じゅん(集英社)
特別なことは何も起こらない、家族と過ごす日常こそが最大の幸福を教えてくれた本。ここに書かれている夫婦が理想、これが結婚というものならば結婚したい!という、結婚ポジティブマンガ。お見合い結婚して、結婚してからゆっくり恋愛しようね、というスタンスがいい。
『しろいうさぎとくろいうさぎ』ガース・ウイリアムズ
「君とずっといたい」というお話。白いうさぎと黒いうさぎたちが真実の愛を見つけるまでを描いたラブストーリー。驚くべき「読み」が紹介される→これって、男×男の話じゃないのか……という指摘がすごい。「え~!?」という反論と、「同性婚もアリ」という賛同。これは読みたい!BLとして読めるのか~
『喰う寝るふたり 住むふたり』日暮 キノコ(徳間書店)
交際10年、同棲生活8年の恋人以上、夫婦未満のアラサーカップル。ユニークなのは、二話で一つになっているところ。同じイベント(喧嘩するとか、実家の話とか)を、男の視点で一話、女の視点で一話の構成で描いている。伏線の回収や男女の心理のネタバレに満ちており、ニヤニヤしながら読める。
『娚の一生』西炯子(小学館)
晴耕雨読的女一匹人生物語らしい。結婚に必要なのはよりかかること。ドライだけど凄いファンタジーだから、男子のファンタジーである『島耕作』と比べて読むと面白いかも。
『地球恋愛』ヤマザキマリ(講談社)
中年の男女が寄り添うかたちが、昔のチャーミーグリーンのCMでおじいちゃんとおばあちゃんが手を繋いで歩く姿と重なる。世界各地の中高年の恋愛模様で、未婚者には理解されにくいかも。出稼ぎから帰ってこない夫を待って、立ち退きと戦う話とか。冴えない男だけどモテる理由だけど。こうゆう結婚できたらいいなあ、と。読む人に人生経験があればあるほど、味が出るらしい。
『パーマネント野ばら』『鳥頭紀行』『毎日かあさん』西原理恵子
結婚というか家庭の話。無頼派マンガ家、西原理恵子の赤裸々な家庭生活を笑い飛ばす『毎日かあさん』と、夫の故・鴨志田穣との出会いを描いた『鳥頭紀行 ジャングル編』も一緒に。最悪な男どもに対して、「男は、はようにおらんになるの限るなー」と言い放つ、雑草のような女たちの物語。今回の「結婚」をテーマに集まった本は、サイバラ率高し。結婚を語るには外せない人なのかも。
『ダーリンは外国人』小栗 左多里(メディアファクトリー)
外国人うんぬんではなく、義理の家族の話とか。道しるべになる。外国人とか関係なくて旦那のトニー・ラズロが宇宙人なんだよね(でみんなの意見一致)
『向田邦子の恋文』向田和子(新潮文庫)
向田邦子は結婚せず、不倫を続けていたまま無くなった。死語見つかった5通の手紙を妹の和子さんが考察する。人のクラスタから一人を選ぶというのは精神的な結婚なのではないか。公的な結婚は契約にすぎないのだ。
『妻の超然』絲山秋子(新潮文庫)
猛毒本。妻の独白による3つの短編。結婚って些細なことが疑惑となる。90日サイクルの浮気。妻は超然とするしかない。読むとつらいけど、最後まで読みとスっとする。これが結婚だよな、と。日々、つまらないこともある中で、これがあるから結婚を続けられるんだな、と。凄く面白い。結婚したいと思っている女性は読んで欲しい。男性が読み上がると縮み上がってしまう。どの言葉もいちいち心に刺さる。辛くて読むのをやめてしまいたい。でも面白い! 最後まで読み通した時の爽快感たるや!
『長い道』こうの史代(双葉社)
結婚はイベントではなく、長い長い生活だということが分かる。その中で、小さいけれど嬉しいことを見つけていくのが、幸せな結婚なのだ。人それぞれ、小さすぎて見えない幸せを、ひとつひとつ形にしてくれるこうの史代は、あたたかい。
『フリーダム』ジョナサン・フランゼン(早川書房)
米国のミドルクラスに属する夫婦の半生を描いた作品。21世紀にはいって50代くらいという設定。現代の米国の家庭像、政治観、夫婦観、宗教観などなどの一断面を眺められる。日本からはちょっと想像するのが難しい生活とか夫婦観かも。
『セキララ結婚生活』『7年目のセキララ結婚生活』『いっしょにスーパー』けらえいこ(メディア・ファクトリー)
独身時代、同じ著者の『たたかうお嫁様』で「結婚式」というものを知り、この3冊で「結婚生活」とは何かを知る。性格も育ってきた環境も違う2人が、いかにして「生活」を成り立たせていくか、というとても根本的なところを、ヘタウマっぽい絵柄と面白おかしい表現で描いており、とても楽しく読める。
『宋姉妹―中国を支配した華麗なる一族 (角川文庫) 』伊藤 純、 伊藤 真
戦略結婚のような感じもし、純粋さとは異なるが、三姉妹それぞれが、理想や目的に沿って結婚して国が動いたというのはある意味圧巻。
『きみに読む物語』ニック・カサヴェテス監督/ライアン・ゴズリング主演
1人の人を思い続けるのはこういうことなのか、に対する一つの解になる。純愛に泣ける。
『ビューティフル・マインド』ロン・ハワード監督/ラッセル・クロウ主演
数学者ジョン・ナッシュの話だが、数学的な話ではなく統合失調のナッシュを支え、それに応えようとした家族がテーマ。各自が目の前にある物事を認め、共に1つのことに向き合って進んでいく姿は、ただただ誠実な印象を受ける。
『生むと生まれるそれからのこと』岩井秀人脚本(NHKドラマ)
「線引き」を大事にしている、超個人主義のカップルの話。妊娠が発覚するが、それでも個人主義を貫く。でも、だんだん二人の関係が変わっていって、「他人は自分とは違う」ことを大切にした夫婦になっていく。向田邦子賞を受賞。結婚であっても「普通」に縛られなくていいんじゃないかと安心できる作品(月刊ドラマ2012年7月号にシナリオ掲載)。

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■結婚は人生の墓場だ(結婚ネガティブ)
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『愛しのアイリーン』新井英樹(太田出版)
結婚とは、sexと欲望の交換であることを突きつけられる(欲望は、肉欲、自己顕示欲、安楽欲etcに置換可)。読めばガツンとくる、劇薬度の高いコミック。
『結婚のアマチュア』アン・タイラー(文春文庫)
めくるめく魔法にもシンデレラ・タイムがあるのです。それに気づかないところから不幸が始まる……結婚のレベルは、何年やっても、誰とやっても変わらない。誰しも結婚のアマチュアであることを思い知らされる。「あわてて結婚、ゆっくり後悔」まんまの結婚生活。
『夫婦ゲンカで男はなぜ黙るのか』タラ・パーカー=ポープ(NHK出版)
原題は「結婚のサイエンス」。医学、脳科学、心理学の観点から、より健康的な夫婦関係を築くための実用的なアドバイス。
『素晴らしい結婚生活』スティーヴン・キング(文春文庫)27年間も幸せな結婚生活を送っていたと思っていたら、夫はシリアルキラーだったという話。気づいた妻がどう考え、何をするか?ウィリアム・カッツ『恐怖の誕生パーティ』と一緒で、「夫婦は絶対わかり得ない」が底にある。
『死の棘』島尾敏雄(新潮文庫)
奥さんが旦那の浮気で気が狂っちゃうんだそうで、結果として旦那も爆発するっていう恐ろしい本。愛とは執着だからこそ、結婚とは地獄の契約であることが分かる。
『不機嫌な果実』林真理子(文春文庫)
結婚の毒本。「フツウの結婚」をした女の人生にポッカリ空いた落とし穴。こんなはずじゃなかった、と思う彼女の心情を嗤える女はどれくらいいるのか。「わたしはいつも損をしている」というセリフにぐさっとくる。お金があって時間もあって、何も不自由していないのに、不倫に走る話。独身の時に読んだら、「やっぱり結婚したって駄目じゃん」と思わせる。
『フロン―結婚生活・19の絶対法則』岡田斗司夫(幻冬舎)
既婚男が読んだら、「俺、リストラされる」と衝撃を受けるらしい。「結婚するんじゃなかった」と思う妻がかなりいるんだって。「私は損をしている」というのが理由らしい。林真理子の『不機嫌な果実』でも出てきたセリフ。生涯一人の人に添い遂げる結婚という制度は、もう時代遅れ。母子の「シングルマザーユニット」を中心とした一妻多夫制度を提案する……夫婦関係の本質に気が付かされる。「フロン」とは、「夫論」もしくは「婦論」にも読める。
『悪女と紳士の経済学』森永卓郎(日経ビジネス人文庫)
で、恋愛市場を開放しなさい、という主張。仕事、家庭、恋愛の三権分立をすれば、みんながハッピー、生涯ときめいて活き活きできる。仕事を家庭に持ち込まない、家庭を恋愛に持ち込まない、恋愛を仕事に持ち込まない。ネタとして面白い。
『ボヴァリー夫人』フローベール(岩波文庫赤)
ふわふわする空想癖から虚栄と不倫に身を滅ぼす妻の話。オチは「ないわー」らしい。amazonの評が賛否両論に割れているのも愉快。
『崩れる』貫井徳郎(集英社)
結婚にまつわる八つの風景。崩れる女、怯える男、誘われる女、ストーカー、家族崩壊など、どれを読んでも(特に男性は)、妻への見方が変わってしまう?結婚、子育て、家庭に入りこむ「厭な話」、ホラーなの? 発言小町でよく見られるお話が詰まっている。
『毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記』北原みのり(朝日新聞出版)
最悪かどうかは別ですが、結婚詐欺より確実にタチの悪い犯罪。でもこれも結婚という言葉に囚われてしまった人間の物語。kindle版でプレゼンされたのだけど、参加者が一様に「おお~っ!」と声を上げたのが印象的。
『共依存』信田さよ子(朝日新聞出版)
「私がいないと、あなたは生きていけない」という幻想の背後にある「共依存」の罠。引きこもりの息子と母、アル中の夫と妻など、「○○という駄目な息子・夫を支えている私」という存在。駄目な息子や夫が立ち直ってしまっては困る。なぜなら、それを支える自分が自己否定されるから。「家事が出来ない夫」を主張することで、家事ができる私の肯定につながる。
『セカンド・バージン』大石静(幻冬舎文庫)
「結婚」そのものでは無く、それから生じる年齢差や社会的地位の不協和音が、どう変質し、闘い、崩れ去って行ったのかを、わずか270ページの中で、独特の腐臭を含んで語りつくした傑作。「結婚に正解なし」であることが分かるサラリーマン・ファンタジー。
『夢の浮橋』倉橋由美子(中公文庫)
深窓の令嬢、桂子は、学生運動を尻目に学業にいそしんでいる。そんな桂子にも思う人があった。耕一である。働くことなど望まない桂子は、耕一との結婚を望んでいる。だが、なぜか親が頑として首を縦に振らない。そんな両親には秘密があった。月に一度、京都のお茶会へ夫婦そろって出かける。ふたりは長年にわたり、ある夫婦とスワッピングに応じていた……
『課長 島耕作』弘兼憲史(講談社)一人の女の人に結婚で縛られるよりも,道行く先で女の人に出会って恋を重ねたほうが楽しいんではないかと思える。確かに最初から破綻した結婚生活だけど、これを結婚本として持ってくるのは、極めつけの反面教師やね。大まじめにサラリーマン生活のバイブルとして信じているけれど、これはファンタジーなんだよッ。
『行人』夏目漱石(新潮文庫)
思想にしばられた感情が悲鳴をあげるさまが他人事でないように感じられる。妻の直からしたら、こんな結婚はたまったものではないだろうなあと。
『カポーティ短編集』トルーマン・カポーティ(ちくま文庫)
失意の日々の中、読んでのけぞるほど恐ろしい戦慄を受けた本。『楽園へのい小道』が特にスゴいらしい。結婚できない女性が、葬式とかで出会いを求める話。
『飆風』車谷長吉(講談社)
ほのぼの絵本との落差がいい。生きることは自他を痛めつけること。結婚のパートナーにおける他者性に悩む男の話。『死の棘』のブラックな世界から距離をおいた冷静な妻の対比が面白い。併せて読むといいのかも。
『ウェイトレス おいしい人生のつくりかた』エイドリアン・シェリー監督/ケリー・ラッセル主演
「相手を選び間違えたら、結婚は最悪だ」という作品。離婚しようとしていた、身勝手で子供で暴力夫の子供を妊娠してしまった主人公の話。ジャンルはラブコメだが、この暴力夫の描写がリアルで辛くて、本当に見てて辛くなる。吐き気がするほど嫌なシーンもあり。舞台は閉そく感が感じられるアメリカの片田舎で、パイを作ることだけが得意な主人公にとってはこの最悪な結婚から逃れることがすごく困難。相手を間違えば、離婚すればいいのではなく、離婚することすらものすごく大変になる。
『話を聞かない男、地図が読めない女 男脳・女脳が「謎」を解く』アラン ピーズ、バーバラ ピーズ
ベストセラーにもなったので賛否両論あるが、結婚する前にざっくりと意識や認識のズレを埋めるには役立ちそう。

05

次回は、来週。「学校」をテーマにやりますぞ。

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兵站とは戦争のインフラである『補給戦』

戦争を「補給」の観点から分析した名著。勝敗は兵站によって決定されることが分かる。

ナポレオン戦争からノルマンディ上陸作戦まで、軍隊を動かし、かつ軍隊に補給する実際的方法───兵站術を論じ、戦略に与えた影響を考察する。戦略は政治と同じく可能性の技術だといわれるが、国力や思想、情報、兵器あるいは戦術によって左右されるだけではなく、冷徹なる現実によって決定されると主張する。すなわち、軍需品や組織、管理、輸送、通信線についての諸現実によって決定されるというのだ。

 進撃や包囲、戦闘や殲滅といった「戦う」局面に目を向けがちだったのが、本書により「補う」ことの重要さを、これがなくては戦うことすらできない単純な事実を思い知らされる。兵站とは戦争のインフラであり、戦略ゲームの「補給車」のような「点」というよりも、補給ライン、戦争をする動脈のようなものだということが理解できる。

 たとえば、16-17世紀の略奪戦争では、軍隊はいわば「動く都市」だった。そこには補給の概念がなく、現地調達───軍税であれ掠奪であれ、必要なものは敵地で入手していた。軍隊は食っていくためには、常に移動し続けねばならなかったのだ。敵から略奪し敵の犠牲において消費してゆくことで、敵のリソース(人、物資、国土)を消費していることになる。この時代では、河川の利用方法を熟知している側が勝利した事実が述べられている。船による運搬能力が荷馬車と比べて大きいし、何よりも荷馬車そのもののための補給物資(かいば)が必要になるから。

 これが19世紀になると、水路に合わせて鉄道が“動脈”となる。ドイツの大モルトケの作戦は鉄道や電信を利用したことで有名だが、本書では補給の現場の観点から「理論倒れ」と手厳しい。鉄道守備隊の不十分な武装や、修理設備の不備により運用実績は一割程度だったという。何よりも、鉄道輸送中央本部が設けられず、請負業者をコントロールできなかったことを問題視する。鉄道線の限界超えた過大量を前方へ送り込む一方、列車の荷下ろし労働力や車輌・貯蔵設備が足りず、補給物資を腐らせたり破棄させたりする事例が多々あったという。輸送ラインの動脈硬化やね。

 兵站の視点からバサバサと斬ってくる。第一次大戦では、シュリーフェン計画の壮大さに比べ、輸送の現実は貧弱すぎて、補給がうまくいったのは、たまたま季節がよかったからだという。ヒットラーは、自軍を三つの異なった軸に分散しないで、モスクワに集中すべきだったという主張に反論し、兵站状況からするとヒットラーの判断は妥当だったという(利用可能の道路と鉄道線が少ないため、軸を集中させたらモスクワ攻撃に補給ができなかった)。

 ただし、独陸軍の兵站には、編成に問題があったという。鉄道・国内水路による輸送の指揮系統と、自動車輸送隊の統括が別の部局で、連携が取れていなかったという。いわば、一方は補給のパイプの両端を指揮し、他方はその中央部を握っていた状態で、一貫した兵站ラインが維持できていなかったという。

 補給の観点から過去150年間で最も“理想的な”作戦は、ノルマンディー上陸作戦だと主張する。準備の段階からも、指揮官の経験の面からも歴史上比を見ないほどに組織的な計画に頼って、作戦を準備し遂行した軍隊だったというのだ。

 計画の段階から独特だったという。立案者は、計画を立てる「前に」モデルを構築したという。上陸する18ヶ月前からさかのぼって、兵員と資材の流れに影響を与えるありとあらゆる要因について、包括的な展望をモデリングしたのだ。

 それは、舟艇や輸送船、貨物船、タンカー、はしけといった、一定時間内に陸揚げできる兵員、装備の最大量の条件。なぎさの広さと数、その勾配、海流、風、波浪の一般的状況、海浜から内陸部に入り込む道路といった、地形学的、気象学的条件。さらには、海浜からの停泊地や空軍の援護などの主要因から、「あるモデル」を作成したのだ。そして、このモデルを作り終えてから、計画担当者たちは地図にとりつき、これらの条件を満たせる場所をヨーロッパに探し始めたという。

 実際のところ、計画があまりに厳密すぎ、詳細すぎたと評価している。
実戦では計画に沿ってというより、計画なしで進み、計画とは違って進捗した。この乖離は、立案者たちが準備段階の価値を過大評価しすぎ、現場の決断や常識、即決処理の有用性を過小評価していたからだという。このような判断ができるのは、充分な計画がなされたからだろう。ダンドリが九割されていれば、後はそれに従わなくても計画が吸収してくれるから。

 「戦争とは残酷である。決定的な場所に最大の兵力を集中することを知っている者が勝つ」とはナポレオン・ボナパルトの言葉。だが、ひとたび、決定的な場所が確認されれば、そこに兵士と物資を投入するのは「兵站」の領域の問題となる。

 兵站が戦争に及ぼした影響を考察することで、兵站は戦争のインフラそのものであることが分かる一冊。

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力学と解剖学で強くなる『格闘技の科学』

格闘技の科学

 力学と解剖学から格闘技を分析した好著、強さの Why と How が分かる。

 勘所や虎の巻で示されているノウハウを、合理的に説き明かす。「強い人はなぜ強いのか」が分かり、「その強さを自分に適用するには」が理解できる。「なぜ」が分かれば「どのように」も引き出せるので、本書の方法で練習を積めば、効率よく上達する(はずだと著者は請け負う)。

 実をいうと、三年前から空手の稽古を続けている。本書を読むと、わたしの師匠がくり返すアドバイスには、ちゃんと科学的な根拠があることが分かって嬉しい。「指導の対象となっている筋肉・骨格の動き」を意識して動けるようになったのだ。

 たとえば、「拳を引くつもりで突き」をせよという(師匠は、「突く倍のスピードで引け」)。なぜか?本書では、「腕を曲げるときに働く上腕二頭筋を意識するな」と言い換える。上腕二頭筋の収縮感覚を大きくしようと力むほど、上腕二頭筋に力が入って、肘間接角度の変化の速さ(角速度)が落ちるからだという。つまり、「拳を引くことを意識せよ」=「拳を出す上腕二頭筋の収縮感にこだわるな」になる。文字だと分かりにくいが、本書のイラスト+角速度のグラフなら一発だ。

 または、「蹴りはそこに壁がある感じで」と言われる。空手に限らず、野球やゴルフのスイングでも「壁を作る」と言われるらしい。これは、角運動量の観点から説明がされる。物体の重心から離れた場所に力を加えると、物体が回転を始める性質がある。踏み込みモーションで体重が乗った蹴り足を、壁を作る(軸足を急停止させる)ことで急加速させるのだ。この急停止させる踏ん張りどころが「壁」なのだという。文字だとまだるっこしいが、イラストで見えない「壁」を見ながら自分で蹴ると分かる。

 原理が分かって興奮したのが、『B・B』の10cm爆弾。少年サンデーのボクシングマンガなのだが、「10cmの距離から人を粉砕するパンチ」が出てくる。かめはめ波と同じく、特訓したものよ(少年の浪漫なのだ)。ストレートパンチは、腕を伸ばす距離が必須だと思っていたが、ボクシングの「ショートパンチ」や八極拳「寸勁」は、この思い込みを覆す。

 パンチとは、力学的には両脚と胴体の大筋肉群のパワーを、肩を通じて腕に伝えて加速していくことになる。その原理どおりにパワーを伝えられるのであれば、腕を伸ばす、つまり腕自体からパワーをだすための距離が短くても、腕は肩の動きからエネルギーをもらって、高速に加速することができる。ブルース・リーは、ワンインチ・パンチと呼んで実演してみせたという。

 『台風の科学』で勉強した角運動量保存の法則が、回し蹴りに応用できることが分かって嬉しい。強い回し蹴りを出そうとすると、腕を逆向きに振ってしまう原理は、角運動量保存の法則から説明できる。

 角運動量とは、物体の回転の勢いのこと。物体が重いほど、回転軸からの距離が遠いほど、回転速度が大きいほど、角運動量は大きくなる。そして、角運動量に対し、外部から力がかからない限り、大きさは変わらない。これが角運動量保存の法則だ。回転椅子に座って両脚を浮かし、両腕を左右に強く振ると、両腕と逆向きに椅子が回る。両腕を振ることで発生した角運動量を打ち消そうと、椅子が逆向きに回転しているのだ。

 これを利用して、右回し蹴りのとき、両腕を右回りに振ると、その角運動量を打ち消そうと、右足と上半身がさらに速く、逆の左に回転する。両腕を大きく伸ばし(回転軸からの距離を大きくする)、高速で振るほど強い回し蹴りになる。同じ原理が、右ストレートから右回し蹴りへのコンビネーションにも働いている。これを読んで、力学を意識した稽古をするようになった。

 他にも、『あしたのジョー』のクロスカウンターの威力が衝撃力の最大値(kgw)で測られたり(静止状態270kgw・カウンター420kgw)、柔道の投技ごとに、力学的な原理がXYZ軸への回転で解説されたり、盛りだくさん。

 (役に立ってほしくないが)知っておいたほうがいいのが、「ナイフを持った相手とはどう闘えばいいのか?」だろう。本書では、ずばり「全力で逃げろ」と強調する。そして、どうしても逃げられないときの構えといなしを指南する。

 1. 手の甲を相手に向けて、顔面、ひじで胸(心臓)を守る
 2. 腹部は正面に向けて相手の突きを誘う

 ポイントは「突かせる」場所(腹)をあけることだという。つまり、攻撃の種類を限定させるのだ。突きに合わせて体を右にひねり、同時に顔をカバーしていた両手を下ろし、右手で相手の手首を上からつかみ、左手または前腕で外から内へひじを押さえるのだ。

 他にも護身術のイロハとして「手首をつかまれたとき」「胸ぐらを押さえられたとき」などの対処が、力学的・解剖学的に解説される。もちろん読んだからといって、すぐ実践できるわけない。だが、知らないよりは、知っておいたほうが(そして実践なしで済ませたほうが)よい情報でもあるのだ。

武術の科学 本書には続編が出ている。『格闘技の科学』がボクシングや空手といった、打撃系中心なのに加え、『武術の科学』では剣術や体術といった、体さばきや崩しに力点を置いているようだ。これも読んで稽古に使おう。

 わたしが空手を始めた理由は、「わが子がイジメられているらしいと思った親が最初にしたこと」に書いたが、問題はその次。息子を鍛えるつもりだったのに、技はわたしを追い抜いてしまっている。リーチと体格差でねじ伏せているが、背が追いつかれたら勝てなくなるだろう。そうなる前に本書で対抗策を練っていたが、さっき息子に見つかった……

 格闘技に対し、科学的に理解する/強くなるための一冊。

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夫婦はどこまで分かり合えないか『素晴らしき結婚生活』

ビッグ・ドライバー 「この人は、誰なんだろう?」そう思う瞬間がある。

 一緒になってずいぶんだから、記憶も感覚もずっと共有してきたから、お互い分かり合っているというのは、錯覚だ。何かのはずみで感情の齟齬が破裂すると、目の前の女が分からなくなる。とはいうものの、意見の不一致やら感情のもつれは、お互いさま。そういうのに自分を慣らしていくのが結婚生活なのだろう。

 だが、夫が殺人鬼であると知ってしまったら、慣れることができるだろうか。二十七年の結婚生活、二人の子どもを大人に育て上げ、平凡だが満ち足りた日々が、ある出来事をきっかけに、「暗い容赦のない」ものへと変わる。

 スティーヴン・キング特有の、緊張感のもっていきかたが素晴らしい。日用品や何気ない仕草を濃密に描写していくうち、抜き差しならぬ圧迫感を共有させるやり口は、長いことキングから遠ざかっていたにもかかわらず、懐かしい恐怖を味わわせてくれる(本作が収録されている『ビッグ・ドライバー』もそうだが、残虐描写が際立っているのは、ケッチャムの影響か?)。

 そして、最高まで張り詰めたテンションのまま、一気にラストへ畳み掛ける。そこで妻がやったこと、夫がしたことは、「お互いを分かり合っていない」からこそ成りおおせたんだと、後になって分かる。二重の意味で互いに誤解していたのは皮肉が効き過ぎるが、(殺人こそしていないが)わたしの結婚も似たようなもの。結婚生活は、互いを理解しているという慣れと誤解の上に成り立っている。

 『恐怖の四季』といい、キングは中篇がページ・ターナーやね。読み手に対し、本能的といっていいくらいの反応を引き出し、「自分ならどうする?」とか、「なぜそんなこと?」といった考える余地を挟ませない。息するのも忘れて物語の最後へたどり着いたら、ほーっと安堵する。アドレナリンが脈打っているのが分かる、正真正銘のカタルシスなり。

恐怖の誕生パーティー 「見知らぬ夫」というテーマは、ウィリアム・カッツの傑作『恐怖の誕生パーティー』を思い出す。いわゆるサプライズ・パーティー(びっくりパーティー)のため、夫の過去を調べ始めた妻が恐ろしいことに気づくのだが……という中篇。暴かれてゆく過去というサスペンスと、夫は殺人者?という疑惑と、夫を信じたいという愛情が上手くブレンドされている。徹夜小説やね。一気に読んで、腰を抜かすべし。

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『死の棘』はスゴ本

死の棘 読んだら後悔する劇薬小説。特に独身男性は読んではいけない。既婚男は、相手を見る眼が変わる。夫婦の嫌らしいところ、生々しいところ、エグいところ、おぞましい所を、徹底的に暴き立て、拡大し、突付けてくるから。

 そりゃ、夫の不倫に発狂する妻の話だから、特殊かもしれぬ。ほとんどの夫婦は、これほど罵り合い、争い合い、狂い合うこともなかろう。だが、この結婚の極北は、あらゆる夫婦の最も醜悪な部分を追体験させてくれる。多かれ少なかれ、どの夫婦も、この夫婦を孕んでいる。この狂気は、覆われていたり、滲み出てたり、ひり出される。温度差ともかく、既婚者は、体感レベルでこの恐怖を感じるべし。

 夫である「私」は、妻の錯乱にとりみだし、便乗して自分もおかしくなってゆく。追い詰められ、無条件降伏し、それでも責め続けられ、嫌悪でからだが凍り付き、自己が粉微塵にされる。家を飛び出し、大声で叫び、己の首を絞めようとする。ただしこの夫、本気で死ぬ気はない。

 死ぬ死ぬ詐欺というなかれ。装われた狂気は本気に取って代わる。リアリズムが仇となる。時間が跳んだり、辻褄が合わなくなったりして「私」の記述が歪んでくる。妻の発作を待ち構え、一緒に堕ちようとする一種の共依存の関係に陥る。ここがサイコホラーとして怖い。夫婦喧嘩がヒートアップして、「もうどうなってもいいや」と捨て鉢な気分に陥ったことがある人は、拡大鏡を見ている気分になるだろう。

 そこには一切の救いも、癒やしもない。何らかの着地点を求めて読むなら、毒を飲むような読書になるだろう。ただし、学べるというか、予め諦めておくべき「女の追いつめの技術」は、結婚のアマチュア男子にきっと役立つ。「質問に質問を重ねる技法」「自己都合の記憶改変」「断定を単純に言いきって、相手を曖昧な立ち場に追い込むロジック」「二択への落とし込み」「思い出し怒り(感情による想起)」は、全男性の全ての譲歩を引き出すだけでなく、自ら洗脳されたほうがいいという気にさせる。

 一方で、「昔の女語り」「情事の相手との日記(今ならメールか)を一緒に読む」「極論から極論への展開」「中途半端な暴力」など、夫婦の諍い事に関するあらゆる禁じ手がさらけ出されている。べからず集として読むのもありだ。

 そして、すさまじい狂態にもかかわらず、むしろこの狂乱こそが、妻の美しさを引き出す。結婚して十年、二人の子がいる疲れた女が、艶美で、崇高なものに変化(へんげ)する。軽く汗ばんだ鎖骨や、つり上がってきらめいている眼、上気してつやを帯びた貌は、鬼のように夜叉のようにも魅力的だ。起きているときは嫌悪と侮蔑しか向けない妻が、つかの間の眠りにつく姿を見て、はっきりと愛着を感じる夫、真性のMなのかもしれぬ。

 死ぬか別れるか、この関係を終わらせることもできず、不倫相手にけりをつけることもできない「私」に、ほとんどの読者はどん引きするだろう。あるいは放置され、どんどん荒れてゆく子らを不憫に思うだろう。

 だが、作者が羞恥の果てに掴み出した夫婦の「愛」は、驚くほどリアルだ。皮膚レベルで共有している夫婦だからこそ、相手が最も忌避したい部分を抉ることができる。殺したいほど愛しあう(でも依存先だから死んでほしくない)壮絶な夫婦の姿が、ここにある。愛とはすなわち執着なのだ。

 結婚を見直すに傑作、未婚にとっては禁止のスゴ本。

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『立花隆の書棚』 vs 『松岡正剛の書棚』

 最初に結論、セイゴオ師の勝ち。

 物量は立花隆が圧倒的だが、質量は松岡正剛に軍配が上がる。書棚の写真を並べると、本に対する扱いが如実に現れており、とても興味深い。

立花隆の書棚 『立花隆の書棚』にある本は、「資料」だ。ビルを丸ごと書庫にした通称ネコビルは有名だが、百聞一見、噂に聞くのと写真を見るのとまるで違う。地下二階から地上三階までビッシリと占める本棚の光景は圧巻なり。さらに、屋上、階段、床上、三丁目書庫、立教大学研究室までを入れると、20万冊になるという。

 だが、それぞれの棚に詰め込まれた書物は、雑然としている。ストーリーも驚きもないし、整理すらされていない。その分野に絡む本は、ミソもクソも選り好みせずガツンと大人買いしてきましたといった感じ。これらは本ではなく、資料なのだ。

 「書棚は、持ち主の知的歴史の断片なのだ」と言い切る力強さは頼もしいが、同じ口から、「書棚は常にめちゃくちゃになる、そうならざるをえない」が飛び出してくる。この断定の不安定さがイイ。そう、一人の人間が扱うには“めちゃくちゃ”といってもいい物量がある。

 とはいえ、あたりまえやね。知識を仕込み、取材の下準備をするための、資材置き場をみせてもらったようなもの。あれだけの書物を生産するのに、これだけの莫大なインプットを要するのかと思うとクラクラしてくる。これらは、あの著作群の燃料なんやね。本というより薪に見えてくる。魔窟に迷い込んだ気分で、こわごわザッピングするのがちょうどいい。

松岡正剛の書棚 『松岡正剛の書棚』は、今は亡き松丸本舗に並ぶ五万冊の本の記録だ。濃くて深い書評千夜千冊に出てきた作品をキーブックとして、そこから派生する本を両隣や脇、上下に展開する。クロスオーバーな書棚は、その並べ方そのものが「作品」といえる。既読の一冊を手がかりに、まるで知らない(でも濃密に関連した)二冊に出会える仕掛けとなっている。見せるというより、魅せる本棚であり、想起や惹起を促すための記憶装置なのだ。

 もし、セイゴオ氏と話す機会があったら、試みに自分にとって大切な本をいくつか挙げてみるといい。瞬く間に「それならコレは読みましたか?」と思いがけない本を返してくる。あれだけの知の宇宙がごっそり頭に入っているだけでなく、かつ分野外のルートで意外な本がつながっていることに気付かせてくれる。読んだ本が血となり腸となり筋肉となっていることがよく分かる。小説を一頁ずつ(文字通り)食べるお下げの妖怪がいるが、あれと一緒。セイゴオ氏にとっての本は、(文字通り)食料なんやね。桃源郷に迷い込んだ気分で、うきうき桃狩りをするといい。

 松丸本舗で撮った、究極の書棚の極々一部は、下記の通り。セイゴオ氏と松丸スタッフの心気がにじみ出ている。『立花隆の本棚』をお持ちの方は、是非、比べてみて欲しい。

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 松丸本舗はCDショップになってしまったが、セイゴオ師の書棚は豪徳寺にある。次の7枚は、編集工学研究所で撮影したもの。まさに時を失う知の伽藍、ここにお布団敷いてひねもす読書と対話だけの暮らしをしたい。

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 松岡正剛氏の編集工学研究所は豪徳寺にある。ネコビルは一般公開されてないみたいだが、編集工学研究所は公開されている(事務所でもあるので、事前に確認してね)。百聞一見、ぜひ訪れて「ここにお布団敷いて暮らしたい」気分になって欲しい。

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巨匠ボルヘスが選んだ文学全集『バベルの図書館4 フランス編』

バベルの図書館4 ボルヘスが編んだ傑作短篇集に、どっぷり漬かる。

 アメリカ編イギリス編ときて、今回はフランス編なのだが、ボルヘスが狙ってヤったのかどうかは別として、お国柄というか、対照的というか、臭うくらい性質が際立っている。

 ポーやメルヴィルの狂気と揶揄を堪能するのがアメリカ編なら、ウェルズやサキの残酷な寓意に震えるのがイギリス編になる。特に、トリックや意外なオチの宝庫はイギリス編で、後世のミステリ、幻想譚のネタバレ集になっている。初読なのに懐かしさがこみ上げる。

 フランス編で目を惹くのが、悪意。人のもつ純然たる悪意が、あからさまに描かれる。厭らしいことに、憎しみや妬ましさといった“不純物”が入っていないのだ。まじりっけなし、真っ直ぐな邪悪に触れてしまえる。ブラックユーモアといえばサキ(イギリス編)が有名だが、ブロワの場合、登場人物に敵意を抱いているとしか思えない。無邪気ともいえる書き口で、無慈悲な運命を抉ってみせる。そして、そのやり口も初読なのに懐かしいのだ。

 たとえば、ボルヘス曰く、『ロンジュモーの囚人たち』はカフカを予兆しており、そのプロットは究極のプロットと言っても良いとまで持ち上げる。だが、わたしにはカフカの短篇よりも、若かりし頃のS.キング(でなきゃ、リチャード・バックマン)がいかにも書きそうな不条理に見える。『ある歯科医へのおそろしい罰』は、ホラー短編マンガにありそうな話だし、さもなくば新聞社会面にひっそりと載っていてもおかしくない。

 あるいは、パンを便所に投げ込んでまわる人の話が、たまらなく嫌な気分にさせられる。そいつは、このことに憑かれて、パン屋に全財産を注ぎ込んだという。そいつは、いつなんどきも、大きなパンを小脇に抱えて歩いていた。いかにも楽しそうに、ぴょんぴょん跳ねながら、貧乏人の住む界隈の公衆便所に、いそいそ出かけて行くんだと。そしてたまたま、腹ぺこで死にそうな貧乏人の目の前で、これ見よがしにパンを投げ込むことができたりすれば、うれしさの余り天にも昇る心地になったという。

 貧乏人の目の前で、パンを便所に投げ込むこと、そいつの生き甲斐は、この意地悪(もはや“邪悪意”といっていい)を果たすこと───これに一種の残虐さを見いだす。人の心に残虐なのだ。

 人の悪意を見せ付けるために作り出された物語や、絶対的強者の残酷さをテーマとする寓話、正義と愚行が逆転してしまう奇譚などが、次々と広がっている。ボルヘスの紹介と相まって、半中毒状態に陥る。

ヴォルテール
 メムノン
 慰められた二人
 スカルマンタドの旅行譚
 ミクロメガス
 白と黒
 バビロンの王女

リラダン
 希望
 ツェ・イ・ラの冒険
 賭金
 王妃イザボー
 最後の宴の客
 暗い話、語り手はなおも暗くて
 ヴェラ

ブロワ
 煎じ薬
 うちの年寄り
 プルール氏の信仰
 ロンジュモーの囚人たち
 陳腐な思いつき
 ある歯医者へのおそろしい罰
 あんたの欲しいことはなんでも
 最後に焼くもの
 殉教者の女
 白目になって
 だれも完全ではない
 カインのもっともすばらしい見つけもの

カゾット
 悪魔の恋

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スゴ本オフ「結婚」「学校」のご案内

好きな本を持ち寄って、まったりアツく語り合うスゴ本オフのご案内。片方だけでも、両方参加もよし、あなたのオススメを力説するのも、放流本をハンティングに来るのもよし。

テーマ 「結婚」
 日時 5/25(土) 11:00〜18:00
 場所 シーサー株式会社
 申込 スゴ本オフ「結婚」(ただいま招待制)
 あなたのオススメ結婚本を教えてくださいませ→[募集中]

テーマ 「学校」
 日時 6/1 (土) 11:00〜17:00
 場所 東洋大学(白山キャンパス)
 申込 スゴ本オフ「学校」(残席6名)
 あなたのオススメ学校本を教えてくださいませ→[募集中]

スゴ本オフとは?

  • テーマに沿ったオススメを、まったり熱く(暑く?)語り合うオフ会です
  • 一人5分の持ち時間で、お勧め本をプレゼンします
  • 本に限らず、映画、コミック、音楽もありです(電子書籍やゲームもありました)
  • 最後に持ち寄った本をシャッフルします
  • 放流できない本は紹介だけで持ち帰るのはOK
  • みなさん本好きなだけで、読書家でもなんでもないですぞ
  • 見学歓迎、ブックハンター大歓迎
  • 基本的に、参加費は2000円くらい(飲み物と軽食をご用意します)


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大事なのに、学校で教わらないこと『生きる技術』

N/A

 『生きる技術』とは、社会で生き延びる技術であり、世を渡るコツである。

 くだらないところで、つまらない意地をはって、身をほろぼしてしまわないように、予め読んでおくといい。そういう意味で「タメになる」本だから、息子の朝読にオススメしよう。

 古今亭志ん生や司馬遷、マーク・トウェインからモンテーニュまで、「とっておき」の文章を集めたアンソロジーだが、一本筋が通っている。それは、どの人生にも効くところ。つまり、立場や年代に応じて、読み替えができるんだ。

 たとえば、斎藤隆介の「大寅道具ばなし」。大工に惚れ込んだ職人衆の聞き語りなのだが、この一文(一聞?)に惹かれる。「買えるから買おうじゃ駄目だ、買えなくても買っちまうんだ」と一念発起して、少ない稼ぎから捻出して、道具の良い奴良い奴を集めていくのだ。

 仕事の腕は道具で決まる。道具さえ良ければいい、というのではなく、出来の上限は道具が設けるというのが真意らしい。写真撮影を仕事にしている人から、同じ話を聞いたことがある。プロとは、あらゆる要望に応える写真を撮ることができる人であり、そのための機材をそろえるのが仕事なのだという。

 あるいは、萩原朔太郎の「僕の孤独癖について」なんて、中二病に良いクスリだ。ニヒリズムといえば聞こえはいいが、世を斜に眺める自己愛と区別がつかぬ。自らの孤独癖を慰めるためにショーペンハウエルを持ち出す。「天才とは、孤独であるように宿命づけられているのであって、かつそれ故にこそ、彼らが人間中での貴族であり、最高な種類に属する」。

 だが、孤独だからといって、天才である証拠にもならないし、ましてや他人より優れているつもりで孤高を気取るなら馬鹿者だろう。これは、若い頃のわたしにいってやりたい。自意識過剰のコンプレックスに気づくためには、その塊をつきつけてやればよい。これはその試金石になる。

 さらに、嬉しいことに、ショーペンハウエルの「みずから考えること」もある。ほらあれだ、「読書とは、自分の頭脳で考える代わりに、他人の頭脳で考えること」だから、本ばかり読んでいると、自分で考えられなくなるぞというやつ。これは読書の通過儀礼の一つだろう。わたしの場合は、「本ばかり読んでいるとバカになる」に書いた。

 これは、「学びて思わざれば、則ち罔し、 思いて学ばざれば、則ち殆し」を知っていれば、ショーペンハウエルが後段の独善に陥っているのが分かる。彼は巨人の肩に乗ったことがないか、乗る必要を感じたことがないに違いない。端的に言えば、彼は数学や物理学を学んだことがないのだろう。思想とは、人一生がひねり出せる本か脚注にすぎず、学問の蓄積は「歴史」として扱われる知だと仮定するならば、彼の主張は成り立つから。

 G.マルケス『百年の孤独』に出てくる、独力で二次方程式の解法を編み出した男のエピソードを思い出す。一切の学問を受けず、自分だけで、一生を費やし、二次方程式の解法をつくりあげたのだ。それはそれで凄いことだろうが、才能の無駄遣い甚だしい。どのくらい独善に陥っているかのバロメーターとしても、本書が使える。

 よく生きるとは、よく死ぬこと。バートランド・ラッセル「いかに老いるべきか」には、よく死ぬ方法が書いてある。死こそ普遍なのだから、あらゆる読者が対象になる。彼によれば、死の恐怖を征服するもっともよい方法は、自分の関心をだんだん広汎かつ非個人的にしていくのが肝心だという。自我の壁を少しずつ縮小し、自分の生命が次第に宇宙の生命に没入するようにすることを目指せという。

 「自分をなくすこと=死」として、その練習をせよという。これを河を下る喩えで述べる。最初は小さく、次第に激しく、だんだん大きく、最後に海へ没入して、苦痛も無く個人的存在を失う―――これが、死なんだそうな。病気や老衰で死に自覚的になったとき、あらためて思い出そう。

 ちくま「哲学の森」シリーズは、子どものためにと入手したが、子どもになんてもったいない。まずはわたしが全読しよう。

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