どくいり、きけん短篇集『厭な物語』
良薬とは適量の毒のこと。物語も一緒だが、分量を守ること。
スカッと爽やか、こころ暖まる話は無用。わたしくらいヘンクツな読者になると、よりエグい刺激を求め、より激しく元気を奪う作品を探す。かくして、「最悪の読後感」や「最高に胸クソ悪くなる」劇薬小説(もしくはノンフィクション)を読み漁る。
登場人物とシンクロするあまり精神的に追い詰められたり、現実と読書の区別がつかなくなり、思わず後ろを振り向いては喜ぶ。感情を打ちのめし、心をざらつかせ、立っていられなくなる読書だ。血や内臓と共に避けがたい運命の残虐さを見せつけられると、日常のありがたみが湧いてくる。現実逃避で始めたはずが、現実回帰の読書になるパラドクス。
そんなわたしに『厭な物語』は大好物の域に入る。血みどろ臓物スプラッタで生理的にイヤぁな気分にさせてくれたり、何の罪もない人が酷い目に遭う理不尽さで感情を逆なでしてくれたり、読んだことを後悔させてくれる作品がいっぱい。
いちばん嬉しいのは、フラナリー・オコナー『善人はなかなかいない』が読めたこと。構成、伏線、キャラ造形が上手く、きちんと人生を描いて、それを奪ってゆく唐突さに震える。ラスト近辺からじわじわクる苦味は、読み終わってもなくならない。思い出し嫌悪感が読後ずっと続く、夢見悪い傑作。
既知の作家の未知の作品が、良い意味で気味悪い。リチャード・マシスンの最高傑作が、本書のおかげで塗り替えられた。マシスンといえば、『アイ・アム・レジェンド』や『激突!』あたりが映画化で有名どころだが、本書に収録されている『赤』を読むまでは、彼の最高は『蒸発』だと思っていた。わずか4頁の『赤』が意味するところにたどり着いた瞬間、最高に(いや最低か)厭な気分になるだろう。(後で指摘されたのだが、リチャード・マシスンの息子らしい。教えてくれた方多謝!)
フランツ・カフカ『判決』は、読み手の価値観をぐらつかせてくれる。ただ一晩で書き上げられたといわれる小品だが、見事に『審判』に呼応している。両者には、物語の連続性もテーマの一貫性もないが、主役の狂気を肯定するか否定するかによって、まるで違う読み方ができるところは瓜二つなのだ。モノローグが正気だと信じるなら、ラストで理不尽な後味の悪さを噛み締めるだろうし、反面、そこに狂気を見るなら、現実の境目が揺らぎはじめ、船酔いのような嘔吐感が続くだろう。
これは編者の勝利といえる。同じテーマでわたしが選ぶなら、もっと猛毒なやつになる(タイトルも『劇薬短篇』とかになる)。読み手は警戒しいしい、手にして、のたうちまわるだろう。だが本書は「厭な」物語なのだ。すぐにガツンと来ることなく、遅効性の毒のように後を引く。だから本書をクリアした方は、以下のわたしのオススメに手を出して、後悔してほしい、「読まなければよかった」と。
毒性順に並べてみた、下にいくほど厭度が“濃く”なる。日本の作家が多いのは、日本の小説家の本質だ。こういう、神経に障るような奴は日本の小説のお家芸だと思うが如何。
- 山川方夫『夏の葬列』
- 皆川博子『水底の祭り』
- コルタサル『続いている公園』
- 田山花袋『少女病』
- キローガ『羽根まくら』
- 吉村昭『少女架刑』
- 平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』
- エーヴェルス『トマト・ソース』
- 筒井康隆『問題外科』
- 車谷長吉『忌中』
- 野坂昭如『骨餓身峠死人葛』
- サド『ジェローム神父』
- 友成純一『狂鬼降臨』

短篇の縛りを外すと、ケッチャム『隣の家の少女』や、マンディアルグ『城の中のイギリス人』、さらにはサド『ソドムの百二十日』といった悶絶級の傑作が出てくる。刺激を求める人以外は、くれぐれも、読んではいけません。
良い本で、良い人生を。悪い本で、人生のありがたみを。

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