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暗い予想図『2052』

2052 先行き不透明なのは、どの時代も同じ。せめては指針のよすがとして本を読む。

 子どものころは、核戦争の未来だった。『ザ・デイ・アフター』の熱戦後、『渚にて』のような静かな終わり方になると思ってた。あるいはレイチェル・カーソン『沈黙の春』が予見する、汚染しつくされた住めない未来。さもなくば、まだ生々しかったオイルショックに想を得た堺屋太一『油断』は、予想というよりシナリオとして読んだ。

 ところが、なんとか生きている。ノストラダムスや惑星直列、マヤ暦の終末も生き延びた。食糧難、環境汚染、資源枯渇は、幾度も警告されながら現在に至る。だからといって何の保証もないが、なんとかなるかも……という半分願望、半分期待を込めて読んだのが『2052』。

 結論から述べると、暗い未来になる。著者に言わせると、未来は良くなるか悪くなるか、というのが問題ではなく、「どれぐらい悪くなりうるのか」が問題になる。経済、環境、エネルギー、政治など多岐にわたる世界のキーパーソンの観測を踏まえ、それぞれの整合性をとりつつ、2052年までを見据えた上で、「不愉快な未来」を述べている。

 世界は愚かにも、今後十数年間に発生する気候変動に備え、資金と人的資源を事前に投入することはできないという。明確に「やらない」と宣言するのではなく、先延ばしにするのだ。理由は単純で、世界を動かしている民主主義と資本主義が短期志向だからだという。

 環境悪化が進み、住めない場所を放棄した人々は都市に集まる。都市化は今でも進んでいるが、近未来の富裕層は、“都市へ逃避”するのだ。都市は防壁化を施し、地方の小集団は自力で異常気象や生態系の変化を真正面から受け止めることになる。富んだ国と貧しい国という構図ではなく、城砦化した都市とそれ以外という世界になる。『マッドマックス・サンダードーム』や『進撃の巨人』を思い出すね。

 公平さをめぐる世代間の対立は、激化するらしい。先進国では、国に莫大な借金を負わせ、赤字が確実な年金制度を構築した世代が引退しようとしている。次世代が喜んでこの重荷を背負い、借金と年金を支払うかというと、答えはノーだ。暴力的なやりかたで引き継がれる(または破棄される)場合もあれば、別のシステムに乗り換えることで、無視されることになるという。

 頭にクるのは、この著者自身だ。北欧の裕福なエリートで、自分の豊かさは環境破壊や世代搾取の上に成り立っていることを自覚した上で、「あとはよろしく」「俺は警告したから」的に述べる。原生林の探訪やサンゴ礁のシュノーケリングといった、自分が享受してきた上流階級の娯楽は、一般人の興味を惹かないから保護されないだろうと嘆き、「この40年間に私たちがさんざん楽しんだ結果である大量のCO2とともに、彼らは生きていかなければならない」と残念がる。ふざけるな、と本を殴りつける。

 しかし、言っていることに磁力がある。日本の今が、世界の明日の目安になるという。この20年間、経済が減速しているにもかかわらず、消費は上昇している。投資率が下がったからだが、人口は横ばい状態なので、1人あたりの消費は33%も増加した。これは高成長と呼べるが、成長率の低いGDPが、さらに成長率の低い人口によって分配された結果だという。経済的に停滞しているにもかかわらず、日本人が裕福なカラクリはここにあるのだと。

 同じことが、未来の世界経済にも適用される。人口は先進国では2015年、全体では2040年をピークに減り始める。2052年に向かってGDPの成長速度が半減するが、人口減によって可処分所得が増えはじめる。それに伴いエネルギーの消費スピードも緩やかになり、環境破壊のピッチもゆっくりになる(が、阻止臨界点を越えたため、もう戻れない)。世界の生産力は2052年にほぼピークを迎え、21世紀末向かって衰退していくのを「グロークライン」と呼んでいる。

 地球温暖化、世代間の闘争、貧困と格差―――では、どうすればよいか?まず、アメリカを始めとした民主主義・資本主義の国家はダメだという。大多数の愚民と一部の知識層の総和的な民主主義ではなく、エリートに集権させ、衆愚にはそれなりの権利を分け与える寡頭政治が求められる。所得が再分配されにくい自由市場経済は、失業と不平等が総生産力の成長を遅らせる一方で、北欧の社会民主主義(むしろ社会主義とみなす人が多い)経済が優勢になるという。眉に唾をつけはじめる。

 このあたりから、著者の予想と願望と自慢が入り混じる。物質主義は衰退するから「心の豊かさ」を求めよとか、経済的成功が全てではなくGDPに代わる幸福度を測る指標が必要だとか。民主主義に時間が掛かりすぎるのは知ってる。だが、著者が支持する中国の政治体制が最良とは、とても思えないのだが。チャーチル御大の言を俟たなくても、民主主義は最悪かもしれないが、いかなる政治制度よりもマシだぜ。

 ほうぼうで出てくる「私たち」レトリックも危うい。今後40年間で生まれてくる世代と対比した、いま生きている「私たち」という意味と、富裕国のエリートの勝逃げ世代の「私たち」を交ぜて使っているから。前者は環境破壊を止められない愚かな地球人として用いられ、後者はそうなる前を懐かしみ、警告をする賢者として使われる。

 テクノロジーをガン無視しているのも気になる。本書は、21世紀のマルサスだともてはやされるが、人口の限界を規定する食糧生産の限界は、ハーバーボッシュ法による化学肥料で軽々とクリアした。もちろんマルサスが人口論を書いた時代では、水と窒素と電気から肥料ができるなんて想像もつかなかった。

 同様に、今の課題を解決するためのテクノロジーは、今は見えていない。シェールガス、オーランチキトリウム、iPS細胞など、これからの技術は未来を測るパラメータから外されている。「見えていない」ことを責めているのではない。誰だって未来の技術は海千山千だから。けれど、「見ようとしない」のは想像力の欠如だ。

五〇〇億ドルでできること いやいや、これ数字による予想だから、想像を入れる余地はないのよ、というツッコミも分かる。それなら、数字による提言「コペンハーゲン・コンセンサス」はどうだろう。これは、人類にとって「待ったなし」と表現される問題―――地球環境、水資源や食糧の枯渇、飢餓と貧困、感染症の拡大―――に対して、一流の経済学者たちが作った、「費用対効果」からみた優先順位表だ。

 結果は人類を救うためのトリアージ「五〇〇億ドルでできること」を見ていただくとして、地球温暖化対策が最下位に位置付けられ、一ドルも配分されなかったことは意義深い。費用が毎年1パーセントかかるのに対し、便益が費用を上回るのは2100年ごろ。効果が非常に長期にわたるため、費用便益分析では現在価値が低くなると判断されたわけだ。著者はこれに大いに反発するだろうが、これは、限られた資源をどこに投入するかという問題だろう。

 膨大な分析に唸ったり、行間のエリート気質にピクついたり、いろいろ忙しい。首肯したり反発したり、この暗い予想図はいい叩き台になる。鵜呑まずに読むべし。

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