「薔薇の名前」はスゴ本
推理小説の皮を被った衒学迷宮。
中世の修道院の連続殺人事件の話という入口から、知の宝庫(だけど大迷宮)へ誘われる、これぞスゴ本。
二十年前と一緒だった、知恵熱で寝込んだ。というのも、ただ物語を追うだけでなく、自分の既読を強制して引き出させられる体験が強烈だったから。
「読む」というのは目の前の一冊に対する単独の行為ではない。台詞や描写やモチーフ通じて、関連する本や自分の記憶を掘り出しては照射しながら、くんずほぐれつ再構成する、一種の格闘なのだ。ひっくり返すと、あらゆる本にはネタ元がある。「読む」とは、ネタ元を探しては裏切られながら、『再発見』する行為なのだ。
ヨハネの黙示録の引用に始まり、ヴィトゲンシュタインの論理哲学考の模倣で終わる本書は、縦横無尽の借用、置換、暗示、物真似で綴られており、科学・文学・哲学の壮大なパッチワークを見ているようだ。
だいたい、探偵役が「バスカヴィルのウィリアム」なんてホームズ全開だし、助手役がアドソ(≒ワトソン)というところからイカしてる。これまでの読書経験を全開放して、この衒学モンタージュを解きほぐす。知る読書というより、識られる読書、自分のアタマを探られる体験になる。思いつくままに書くと、こうなる(驚くなかれ、ネタバレだけで何冊も出ているぞ)。
- ボルヘスの「バベルの図書館」
- Google Scholarの「巨人の肩」(on the Shoulder of Giants)
- 「文学少女」と死にたがりの道化
- ソロモンの雅歌
- 名探偵コナン「毒と幻のデザイン」
- ヨハネによる福音書
- ホイジンガ「中世の秋」
- スタニスワフ・レム「完全な真空」
- 千夜一夜物語
- プラトン「国家」
- アリストテレス「詩学」
- アレクサンドリアの大図書館
現実と虚構の紛糾劇に、完全に持ってかれる。でっちあげられた虚構のうちに、明確な境界を設定しないでおくというやり方こそが、真実味を増す冴えたやり方なんだと思い出させてくれる。何だっけ、本の中に本を隠す、このメタフィクショナルな仕掛けは?
そう、これだ。ボルヘス「八岐の園」のプロローグのこれ。
数分で語り尽くせる着想を五百ページに渡って展開するのは労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ
この見せかけられた書物が何であるか、なぜ「それ」であるかという謎こそが、エーコからの挑戦だ。なぜなら、本書を読み終えた今、確信をもって「それ」を読んだつもりになれるから。「薔薇の名前」は、「それ」の強烈な注釈なのだから。
ハマるなら、ゆっくり、どっぷりハマってほしい。
| 固定リンク
コメント
薔薇の名前は映画で観ただけですけど、アリストテレスの哲学が、教会、ひいては神学に与えた影響がどれほどのものだったかよくわかっておもしろかったですね。
投稿: | 2012.09.24 23:59
登場人物がすでにボルヘスそのひとのようだったり、ホームズとワトソンのように思えたりで堪能しましたが、拝読してもっといろいろ楽しめるかもと思いました。
エーコが読んでいないはずの本を探るの、いいですね!
個人的には、山内志朗「普遍論争ー近代の源流として―」を読んで、エーコのたくらみが時限爆弾のようにスパークした気がします。
投稿: sarumino | 2012.09.25 00:07
>>名無し@2012.09.24 23:59さん
コメントありがとうございます。実は、ショーン・コネリーのやつは未見なのです。原作のイメージを壊したくないので距離とっていたのですが、これを機に見ますか!
>>sarumino さん
おお!併読書はエーコ「醜の歴史」からアリストテレス「詩学」まで色々あるのですが、「普遍論争」は知りませんでした。読みます! 教えていただき、ありがとうございます。
投稿: Dain | 2012.09.25 00:25
こんばんは~~
薔薇の名前
私としては映画イマイチです。主人はビデオ持ってるくらい好きなのでひとそれぞれですが。
映画モールス(ハリウッドリメイク)のように
原作と全く違うはっきりとした主張などがあれば(宗教によって主張がずいぶん変わってくるはずのものだから面白かっただけかもしれませんが)楽しみかたもあると思うのに、、私はちょっと残念だったのであんまりおすすめしません~~。
ちなみに、モールスはミレニアム(期待しすぎたのかミレニアムは楽しめずでした)より好きです。
そんなわけで。
湿地どうしようかな~~って、考えていたのですが文春?とDainさんの評読んで
背中おされました~~。とりあえず立ち読みしに行こう!!っと。
投稿: まあさん | 2012.10.02 20:37
>>まあさんさん
コメントありがとうございます~
映画版「薔薇の名前」は楽しみに取っているところなので、近いうちに見るつもりです。原作を離れているのは仕方が無いと割り切ります。メディアが違うのですもの。
「湿地」は飛び抜けて素晴らしい傑作、というわけではありませんが、ジワジワきます、読んだ後も振り返ります。そういう良い作品です。
投稿: Dain | 2012.10.03 00:21