ゲームで子育て「モンハン3rd」
ゲームばっかりしてると、「ゲーム脳」になるそうな。現実と虚構の区別がつかず、妄想にしがみつくようになる。恣意的な解釈から結論をでっちあげ、「ゲーム脳の恐怖」なんて煽るようになるらしい。「ゲーム脳の恐怖」脳やね。
冗談さておき、子育てにゲームを積極的に取り入れてきた。ポケモン、ピクミン、塊魂、ウイイレ、ゼルダ…と様々なゲームを通じて、現実のシミュレートをやらせてきた。ゲームとは、抽象化された現実を遊ぶインターフェースなのだから。
あきらめない限り、ゲームなら何度でも挑戦できる。むしろ、失敗を許さない空気が支配する現実の方が厳しい。一回こっきり真剣勝負のリアルにひるむ前に、ゲームでいっぱい転んでおけ、と伝えたい。ゲーム脳とはチャレンジ精神のことなのだ。
ゲームと子どもの関係については、「ゲームと犯罪と子どもたち」に詳しく書いてある。わたしの知る限り、唯一まともな調査なり。ゲームを悪者にしたい連中が、最も読みたくないことが書いてある。
今までは、「親が与える」ゲームだったが、初めて子どもから「これがやりたい」と言い出す―――MHP3rd、「モンスターハンターポータブル3rd」だ。友達に感化されたのがきっかけらしいが、それでも嬉しい。
で、一緒にやってみると…これが難しい、というか腹立たしい。基本は、装備を整え→モンスターを狩り→報酬とアイテムを得る。強いモンスターを倒すには、強力な武器防具が必要で、材料となるアイテムを集めねばならぬ。だが、その材料は強いモンスターを倒さないと出てこない仕掛けになっているのだ。弱いモンスターで根気よく経験値を稼ぐといった方法が使えない。このループはストレスフルなり。
貧弱ゥな装備、遅いアクション、ミッション失敗をくり返しながら、踊るクルペッコに翻弄されながら、イライラしながらやっていると、突然ファンファーレ! カタルシスがドーパミンに変わる瞬間がご褒美だ。
だが、嬉しさというよりも、むしろイライラがなくなってホッとする感覚だ。「やった! クリアした」というよりも、「やっと終わったか…」という感じ。重荷がなくなった喜びも束の間、次の敵へ。もっと強い武器を求めることは、もっと強いモンスターと対決することになる。そしてまた、イライラのループへ。tumblrで拾った仏教の本質そっくりだ。
仏教では、実はこの世界には「楽」(快楽)は存在していなくて 「苦」が減ったときに、ふと身体が軽くなり、それが「楽」だと錯覚する、とある。 つまり、快楽を求めると、苦も同時に引き寄せてしまい 求める人は、常に苦に悩まされる結果となる。
あるいは、「禁煙セラピー」のニコチンの罠にも似ている。
愛煙家がタバコを吸うと楽になる(と主張する)のは、「ニコチンが足りなくて苦しい」状態が減ったから。ニコチン依存の解消を「楽」だと錯覚しているのだ。だから、吸えば吸うほど、「ニコチンが足りなくて苦しい」状態を呼び寄せることになる。
ああ知ってる、このイライラは依存かも。この抑圧→開放感は中毒性あるし、欲しい装備を求めるのは煩悩そのものだからね。
ところが、なのだ。息子と一緒に狩りに出ると、まるで違ってくる。ハンティングが、ぐんと楽になる。モンスターからすると「的」が増えることになり、相対的に自分が狙われる回数が減ってくる。息子は大剣で一撃を狙い、わたしは弓で援護+ピンポイントで攻める。重いけど強い、遠隔だけど柔らかい、それぞれの一長一短を上手く組み合わせる。互いに声を掛け合いながら、モンスターを探し、追い詰め、仕掛ける。文字どおり、モンスターを「狩る」のだ。
これは面白い。会社の昼休み、若い連中が黙々とPSPやってるのは、これだったんだなーと思うと愉快だ。なるほど、ソロじゃなくデュオプレイ、狩りは集団が楽しい。日曜の午後、息子と黙々とやっていて、気づいたことを独りごつ。「これ、完全なイジメゲーだよな。みんなでよってたかって、一匹のケモノを狩るなんて」。すると息子はこう返す、「でも、レベルが上がると、超大型になったり、一匹じゃなくなったりするよ。上位になると、雑魚が強くなるんだって! 狩るものは狩られるんだよ」
「たかがゲーム」なのに深ぇ。ともかく全クリ目指すか、このストレス煩悩ゲーム。

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