リアル懐古主義「四丁目の夕日」
昔を美化して懐かしむのは勝手だ。脳内妄想タレ流し与太は馬鹿の特権だから。だが、「だから今はダメだ」の偽証拠にしたり、嘘目標にするのは、馬鹿を通り越して犯罪だ。レトリックに騙されないために、「四丁目の夕日」を思いだそう。
「走る凶器」という言葉を思いだそう。ピーク時は年間一万六千人が交通事故で命を失い、交通戦争という名にふさわしい時代だった。車の残骸とアスファルトの黒い染みの写真が社会面を飾っていた。「登下校の集団に突っ込む」「轢いたことに気づかず走行」「反対車線に飛び出し正面衝突」は、今だと華々しく全国ニュースになるが、当時は日常茶飯事だったことを思いだそう。
「四大公害病」、覚えているよね。あの頃は、土も水も空気も汚染されていた。どれも悪質で悲惨な「公的犯罪」だったが、当初は「ただちに影響はない」と切り捨てられていた。鮮明に覚えているのは、泡立つ多摩川のヘドロと畸形魚。今と比べると、同じ惑星とは思えない。
「通り魔」を思いだそう。包丁や金槌で、主婦や子どもを狙う「まじめでおとなしい人」を思いだそう。住宅街の路面に点々と滴る跡を舐めるような映像を飽きるほど見た。今のように、同じ事件をくり返し流すのではなく、違う殺人事件が連続して起きていた。ニュースが別の通り魔を呼び寄せていたのだ。「カッとなって人を刺す」が動機の常だった。
「昔は良かった」補正を外し、目を背けていたセキララ実態を無理矢理ガン見させるのは、「四丁目の夕日」だ。工場労働者の悲惨な現実と絶望の未来は、読めば読むほど辛くなる。絵に描いたような不幸だが、これがあたりまえの現実だった。読むことは───正直オススメできない劇薬級だから。人によるとトラウマンガ(トラウマ+マンガ)になるかもしれぬ。
昔は酷かった、と言いたいわけではない。懐古主義に騙されるな、と言いたいのだ。昔だって良かったところはある、今より税金安かったからね。

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