ボルヘス好き必読「ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語」
なので、これを読む方はよく味わってほしい。【ボルヘス級】といえば分かってもらえるだろうか。3つの短篇を編んだ、とても薄い、極上の奇譚集だ。読むのがもったいないくらい。
簡潔な文体で異様な世界を描く作風は、ボルヘスやコルタサルを期待すればいい。だが、本書の異様さはこの現実と完全に一致しているところ。ボルヘスの白昼夢をリアルでなぞると、この物語りになる。
そうこれは「物語り」なのだ。最も面白い物語りとは、うちあけ話。最初の「ティーショップ」では、聴き手の女の子と一緒に、物語に呑み込まれて裏返される"あの感じ"を堪能すべし。そこでは聴き手が語り手となり、語り手が聴衆と化す。物語りは感染し、連環する。
ラストで彼女がとった行動に、一瞬「?」となるが、直後に鳥肌が走る。独りで読んでいるのに、周囲の空気が自分に集まってきて、世界に観られている感覚にぞっとする。これは、雨の午後、ティーショップでお茶しながら読むと効果大。
次の「火事」は、幻想と現実の端境がすごい。ストーリーは言わないが、コルタサルの現実を見失う毒書と同じ眩暈を感じる。ありがちな、どちらかが「現実」で、もう片方が「夢」といった解釈にできない。燃えあがる鮮烈なイメージと大音響が、主人公だけでなく、読み手のわたしに向かってくる。読書が体験になる。
最後の「換気口」は、可能世界が収束してゆく様子が「見える」。多世界解釈は仮説だから「見える」なんてありえない。だが、ありえないと言うのは、こちら側の主張。あちら側を見せつつも、こちら側から伝えようとするならば、それは単なる偶然や運命といった回りくどい言葉でしか表せない―――このもどかしさも含め、世界は選び取られているという衝撃が、時間差で襲ってくる。
読後感は、ありえない、奇妙な味わいだが、でも確かに自分は口にしたのだというもの。「開いた窓の前で立ち止まるな」という警句があるが、本書はその窓に相当する。その向こうとこちらは、まぎれもなく、つながっているのだから。

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