安くて強くて猥雑で「東京右半分」
写真の本質は「覗き」だ(と思うぞ)。
きれいなお姉さんをナマで見つめることはできないし、立入禁止の場所を見ることは許されないが、写真なら可能だ。写真は、こうした見る欲望を満足させてくれる。本書では、普段見れない・知らない・許されない東京を、思う存分「覗く」ことができる。
しかも、東京の右半分に限定だ。渋谷ではなく浅草、銀座じゃなく赤羽、麻布よりも錦糸町だそうな。なぜ?
それは、書き手/撮り手である都築響一が喝破する。
古き良き下町情緒なんかに興味はない。
老舗の居酒屋も、鉢植えの並ぶ路地も、どうでもいい。
気になるのは50年前じゃなく、いま生まれつつあるものだ。
都心に隣接しながら、東京の右半分は家賃も物価も、
ひと昔前の野暮ったいイメージのまま、
左半分に比べて、ずいぶん安く抑えられている。
現在進行形の東京は、
六本木ヒルズにも表参道にも銀座にもありはしない。
この都市のクリエイティブなパワー・バランスが、
いま確実に東、つまり右半分に移動しつつあることを、
君はもう知っているか。
檄文みたいな序文に動かされてページをめくると、出るわ出るわ、わたしの知らない東京がごっそり剥き出しにされている。エネルギッシュでしたたかで、そしてイヤラシイものがぎっしり詰まっている。
たとえば浅草、ふんどしパブ。客も店の人も、褌がベース(日によっては全裸)。いや、そういう店新宿ならあるし、という突っ込みもある(新宿には全部ある)。だが、新宿とはひと味ちがうらしい。どう違うのかというと、浅草・上野のゲイ・スポットは、ご年配の方が多いそうな。もちろん潜入取材だから写真も隠撮り。著者(かスタッフ)の褌を締めた勇姿腹が見えるw
あるいは、湯島の手話ラウンジ。手話(と筆談)で聴覚障害者も健聴者もいっしょになって、女の子と楽しく飲める店がある。銀座クラブの「筆談ホステス」が有名になったが、あれは健聴者の店で奮闘する聴覚障害者の女性の話。だが、「きみのて」は、お客さんも女の子も、聴覚障害者がメインという、湯島どころかおそらく日本で唯一のシステムで営業を続ける、稀有な店になる。お酒が入っているからなのか、静止した画像なのに、饒舌な手を見ることができる。
これは行ってみたい!と思ったのは、クラッシックのキャバレー。東京芸大の音楽部の学生が働いているお店がある。ピアノ、バイオリン、声楽―――日本最高の音楽大学で学ぶプロの卵がスタッフとして、演奏者として活躍する。声楽やってる人に演歌をやってもらうと、すばらしくコブシの効いたいい歌が聴けるそうな(戦姫絶唱シンフォギアで経験済)。面白いことに、店内は禁煙(タバコは喉に悪いから)で、営業時間は23:30まで(終電で帰れるように)となっている。
かなり惹かれたのが、プライベート・ライブラリー、要するに私設図書館だ。大量の本をどうするか、売るか?(まだ読んでないし)、捨てるか?(忍びないし)と悩んだ末、マンションの一室を丸ごと図書館にしちゃった人。書籍4000冊、雑誌1600冊、CD750枚、LP300枚と、個人にしてはかなりのコレクションになる。残念ながら背表紙からどんな本か判読できなかったが、一昔前のハードカバーが多そうだ。古本屋よりも館主の「趣味」が出て面白そう。図書館どころか、身の置き場すらないわたしには夢のまた夢だが、リタイア世代が増えてくると、こうした図書館がぽつぽつ出てきそうだなぁ。
変り種だと「女装図書館」なんてのもある。女装をする人が、本を読んだり、勉強したり、お話したり、ただぼーっとしたりする場所なんだそうな。禁酒・禁煙・禁欲で、ハッテン行為は無しという面白い「場」だ。
こうしてみていくと、「場」が重要になる。錦糸町のレコード店は演歌が充実しているだけでなく、歌手を呼んでミニライブを行う「場」を作る。そこに好きな人が集まってくる→売れる→歌手が集まるから、「場」を提供できる店が残っていくのかも。民謡酒場の三味線ステージは「好きな人」を集めるし、浅草のダンスホールに竹の子族(知らない人はググりましょう)が二世を引きつれ集まってくる。極彩色の熱気が写真からはみ出してくる。
極めつけは表紙のドールを製作しているオリエント工業。ラテックス、ソフビ、シリコンの肌を持つ人形たちを30年以上も作り続けてきた、ドールのメッカなり。「人体をそっくり型どりしても、死体になっちゃう。人間の造形美をいいようにデフォルメしていかないと、欲しいって感じにならないんです」とか、「生身の女の子の代わりにドールを置くドール風俗は、人件費かからない代わりにメンテナンス費がバカにならない」など、深いことが聞ける。ロリ系は1999年にこわごわ始めたそうな。性具というより「癒し」を求めているなんて、分かる気がする。
スペック外の東京の不動産をカタログ化した、「東京R不動産2」とは好対照を成す。住むことにワガママな人々を集めたカタログとしても読めるが、「東京右半分」は生きることにワガママな人々がぎっしり詰まっている。その場に行かずとも、魅入られ、惹き寄せられ、熱気に酔えてしまう、写真の魔力に満ちている。
サラリーマンとかファミリーとか、めんどくさい一切の片がついたら、こういう混沌で猥雑でしかも安い場所に沈没しながら残りの人生を喰うのもいいな、とフラっとさせる一冊。
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