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怒りながら戦きながら読め「犬の力」

 メキシコ麻薬戦争が酷いことは、ニュースとして知ってた。

 麻薬カルテル同士の縄張り争いだけでなく、メキシコ政府と麻薬カルテルとの間で起こっている武力紛争で、失われる人命の数だけでなく、「殺され方」もエスカレートしている。四肢を切断して橋からぶら下げ曝したり、見せしめのためにチェーンソーで文字どおり"破壊"する映像もある。"当局の腐敗"といった陳腐な説明を受け付けない。革命組織によって管理された、政府と麻薬カルテルとの永年の暗黙の了解が根っこにある。「金か命か」といったドラマ的二択ではない。裁判官や検察のオフィスまで浸透しており、自分だけでなく家族親族の命まで懸かっているから。

犬の力上犬の力下

 これを超一級のエンタメとして小説にしたのが、「犬の力」だ。過去30年間のメキシコと合衆国に跨る麻薬犯罪を精確になぞり、もっと大規模な政治権力の陰謀を張り巡らせ、実際に起きた革命、反革命、暗殺、暴動、紛争を錬りこんでいる。イラン・コントラの陰謀史に陥らせないのは、キャラクターの「怒り」だ。

 麻薬捜査官、麻薬カルテルの後継者、高級娼婦、殺し屋たち…どいつもこいつも怒りまくっている。義憤か、怨恨か、欲望か、嫉妬か、理由はともあれ彼/彼女らは己が怒りをエネルギーに突き進む。その軌跡は、からみ合い、よじれ合い、ぶつかり合い、上下巻を一気に疾走する、ドッグレースのように。呼吸を忘れる怒涛の展開に、ページターナーな読書になるぞ。

 それぞれの怒りは、読み手のハートを直接揺さぶる。主人公と一緒に怒るのもよし、(自らの良心の命ずる)拒絶反応に痺れるもよし、凄惨な場面を安全な場所から眺めることに感謝するのもよし。ドンデン返しのくり返しに、共感が反感、反発が同感にどんどん変わるので、自分の立ち居地が揺れるぞ。正義の味方だった奴が私怨に狂ったように衝き動かされ、ワルの元締めのはずが人間味あふれる態度を貫こうとする。善玉悪玉で色づけしようとすると、間違いなく弾き飛ばされるのでご注意を。

 良い意味でも悪い意味でも、わたしの思い込みを裏切ってくれるのは、主役である麻薬捜査官の変節だ。職務に忠実であろうとすればするほど、"インサイダー"として捜査対象にも深く潜入する必要がある。ときには敵方と"手を組む"必要も出てくる。巨悪のために小事に目をつぶるといっても、その巨悪を上回る悪を、しかも自分の背中に見いだしてしまったら―――彼の苦悩が、怒りが、手に取るようだ。この怒りが胆力に注入されるとき、「犬の力」と呼ぶのだろう。

 旧約聖書の詩編22章20節から、本書のトビラに、こう引用されている。

   わたしの魂を剣から、
   わたしの愛を犬の力から、
   解き放ってください。

 苦難と敵意にさいなまれる民がその窮地からの解放を神に願うくだりで、剣も、犬の力も、民を苦しめ、衆をいたぶる悪の象徴という意味で使われている。訳者はこの「犬の力」を、悪に立ち向かう武器としての悪、すなわち怒りとして定義する。だが、わたしには悪に立ち向かう捜査官も、悪を背負って立つ麻薬王も、同じ犬の力に支配されているように見える。紆余曲折・騙し騙されを経て両者は真っ向激突するが、寄って立つ所が違うだけで、驚くほど同じ匂い・同じ衝動を秘めている(ホンネを吐露するシーンで、全く同じ幸せを願うところなんて、ものすごい皮肉だと思うぞ)。

 さらに、麻薬戦争を激化させている原因を経済学的に解く件なんて、皮肉以外の何ものでもない。莫大な税金をかけて、合衆国が麻薬取締りに血道をあげればあげるほど、麻薬カルテルは好きなだけ稼ぐことができるというのだ。

今の状態なら、麻薬の移送には何百万ドルもかかるので、いきおい価格は天井知らずになる。簡単に手に入るはずの品物を、アメリカの捜査官たちが貴重な商品に変えてくれているわけだ。きびしい取り締まりがなければ、コカインやマリファナはオレンジと同じようなもので、おれは密輸で何十億ドル稼ぐどころか、どこかの畑で賃仕事の摘み取り作業でもしていることだろう。
 政界と麻薬業界との癒着構造や、警官の汚職ネットワークを「バーガーキング」のフランチャイズ方式になぞらえたり、麻薬と武器のバーター取引を、「ポートフォリオ」として評価することで、この麻薬戦争をメタな目で見ることができる。これは、れっきとしたビジネスなのだ。

 カドカワは「面白ければ、なんでもあり」。エンターティメントだけを追求する、節操のなさは大好きだ。その節操のなさは、本書で十全に発揮されている。冒頭に、読者を試すかのような、酸鼻を極めるシーンが並んでいる。これが大丈夫なら、後は一気に読むべし。

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完璧な酔い、剥き出しの知覚 : 中上健次「奇蹟」

 ひさしぶりに、したたかに読った。この体感は非互換、中上健次ならでは。

 読むとは酔うこと、読みごこちは、酔いごこち。しかも、水の如き流行りの文芸ではなく、いつまでも微醺の日々が続く、中毒性の高い文学だ。いつまでも酔っていられる、その世界を引きずって生きている感覚。さながら作中の魂が半分わが身にのめりこんでいるかのようなn日酔い。

 極道タイチの短く烈しい生涯が紡がれる「物語」として読み始めるが、これが曲者。語り手はこの世に居ないか、意識を喪失しているから。老いたアル中の混濁した意識が作り上げた「語り」にしては、神じみて微に入り細を穿ちすぎている(あぁ、でもラストに至るに菩薩じみてくるから"神視点"は合ってると言えるなぁ)。

 タイチの闘いの性は、わたしの肌を粟立て、同時に淫蕩の血をかき立てる。潮騒に鼓動がシンクロするように、語りのうねりはわたしの感能をざわつかせる。輝ける生の盛りに迎える凄惨な死は、(予告されているにもかかわらず)、忘れられない一瞬となった。金色の小鳥に囲まれて、香気をふりまきながら滴る血とともに転落してゆく黄金の刹那は、あまりにも美しい。見てもないのに見て"居た"ような眩暈を味わう。

 これは小説でしか描けないし、小説でしか受け取れない。映画や舞台などの別フォーマットへは、プロットだけなら移せるが、まるで別物になろう。とりわけ、酔うように読む、物語に呑まれるしかない読書体験は、比べる作品が限られてくる。フォークナーの意識の流れ=地の文とか、ポリフォニックなドストとか、ウルフのつぶやきに満ちた世界をひきあいに出したくなる。

 語りに語りを被せてくる口当たりは、決して優しくないし、酔い覚めは必ずしもスッキリしない。読書は、やはり毒書なのかもしれない。おすすめいただいた佐藤さん、ありがとうございます。

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安くて強くて猥雑で「東京右半分」

 写真の本質は「覗き」だ(と思うぞ)。

東京右半分 きれいなお姉さんをナマで見つめることはできないし、立入禁止の場所を見ることは許されないが、写真なら可能だ。写真は、こうした見る欲望を満足させてくれる。本書では、普段見れない・知らない・許されない東京を、思う存分「覗く」ことができる。

 しかも、東京の右半分に限定だ。渋谷ではなく浅草、銀座じゃなく赤羽、麻布よりも錦糸町だそうな。なぜ?

 それは、書き手/撮り手である都築響一が喝破する。

古き良き下町情緒なんかに興味はない。
老舗の居酒屋も、鉢植えの並ぶ路地も、どうでもいい。
気になるのは50年前じゃなく、いま生まれつつあるものだ。

都心に隣接しながら、東京の右半分は家賃も物価も、
ひと昔前の野暮ったいイメージのまま、
左半分に比べて、ずいぶん安く抑えられている。

現在進行形の東京は、
六本木ヒルズにも表参道にも銀座にもありはしない。
この都市のクリエイティブなパワー・バランスが、
いま確実に東、つまり右半分に移動しつつあることを、
君はもう知っているか。

 檄文みたいな序文に動かされてページをめくると、出るわ出るわ、わたしの知らない東京がごっそり剥き出しにされている。エネルギッシュでしたたかで、そしてイヤラシイものがぎっしり詰まっている。

 たとえば浅草、ふんどしパブ。客も店の人も、褌がベース(日によっては全裸)。いや、そういう店新宿ならあるし、という突っ込みもある(新宿には全部ある)。だが、新宿とはひと味ちがうらしい。どう違うのかというと、浅草・上野のゲイ・スポットは、ご年配の方が多いそうな。もちろん潜入取材だから写真も隠撮り。著者(かスタッフ)の褌を締めた勇姿腹が見えるw

 あるいは、湯島の手話ラウンジ。手話(と筆談)で聴覚障害者も健聴者もいっしょになって、女の子と楽しく飲める店がある。銀座クラブの「筆談ホステス」が有名になったが、あれは健聴者の店で奮闘する聴覚障害者の女性の話。だが、「きみのて」は、お客さんも女の子も、聴覚障害者がメインという、湯島どころかおそらく日本で唯一のシステムで営業を続ける、稀有な店になる。お酒が入っているからなのか、静止した画像なのに、饒舌な手を見ることができる。

 これは行ってみたい!と思ったのは、クラッシックのキャバレー。東京芸大の音楽部の学生が働いているお店がある。ピアノ、バイオリン、声楽―――日本最高の音楽大学で学ぶプロの卵がスタッフとして、演奏者として活躍する。声楽やってる人に演歌をやってもらうと、すばらしくコブシの効いたいい歌が聴けるそうな(戦姫絶唱シンフォギアで経験済)。面白いことに、店内は禁煙(タバコは喉に悪いから)で、営業時間は23:30まで(終電で帰れるように)となっている。

 かなり惹かれたのが、プライベート・ライブラリー、要するに私設図書館だ。大量の本をどうするか、売るか?(まだ読んでないし)、捨てるか?(忍びないし)と悩んだ末、マンションの一室を丸ごと図書館にしちゃった人。書籍4000冊、雑誌1600冊、CD750枚、LP300枚と、個人にしてはかなりのコレクションになる。残念ながら背表紙からどんな本か判読できなかったが、一昔前のハードカバーが多そうだ。古本屋よりも館主の「趣味」が出て面白そう。図書館どころか、身の置き場すらないわたしには夢のまた夢だが、リタイア世代が増えてくると、こうした図書館がぽつぽつ出てきそうだなぁ。

 変り種だと「女装図書館」なんてのもある。女装をする人が、本を読んだり、勉強したり、お話したり、ただぼーっとしたりする場所なんだそうな。禁酒・禁煙・禁欲で、ハッテン行為は無しという面白い「場」だ。

 こうしてみていくと、「場」が重要になる。錦糸町のレコード店は演歌が充実しているだけでなく、歌手を呼んでミニライブを行う「場」を作る。そこに好きな人が集まってくる→売れる→歌手が集まるから、「場」を提供できる店が残っていくのかも。民謡酒場の三味線ステージは「好きな人」を集めるし、浅草のダンスホールに竹の子族(知らない人はググりましょう)が二世を引きつれ集まってくる。極彩色の熱気が写真からはみ出してくる。

 極めつけは表紙のドールを製作しているオリエント工業。ラテックス、ソフビ、シリコンの肌を持つ人形たちを30年以上も作り続けてきた、ドールのメッカなり。「人体をそっくり型どりしても、死体になっちゃう。人間の造形美をいいようにデフォルメしていかないと、欲しいって感じにならないんです」とか、「生身の女の子の代わりにドールを置くドール風俗は、人件費かからない代わりにメンテナンス費がバカにならない」など、深いことが聞ける。ロリ系は1999年にこわごわ始めたそうな。性具というより「癒し」を求めているなんて、分かる気がする。

 スペック外の東京の不動産をカタログ化した、「東京R不動産2」とは好対照を成す。住むことにワガママな人々を集めたカタログとしても読めるが、「東京右半分」は生きることにワガママな人々がぎっしり詰まっている。その場に行かずとも、魅入られ、惹き寄せられ、熱気に酔えてしまう、写真の魔力に満ちている。

 サラリーマンとかファミリーとか、めんどくさい一切の片がついたら、こういう混沌で猥雑でしかも安い場所に沈没しながら残りの人生を喰うのもいいな、とフラっとさせる一冊。


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「貧乏人の経済学」はスゴ本

 「経済学者≒ソフィスト」と冷やかに観察しているが、本書は例外。

貧乏人の経済学 なぜなら、後知恵の机上論を分かりよいストーリーに押し込んで一丁あがりにしないから。あらゆる問題を一般原理に還元し、紋切型に落とし込む発想を拒絶するから。解決策はランダム化対照試行(RCT:random control test)によって検証済のものだから。

 紋切型の経済学者が唱える「銀の弾丸」はないものの、「こんな状況下でこういう対策を打つと、確かに効果が期待できる」といったシナリオは描ける。面白いことに、そのシナリオを支える理屈は、「いま」「ここ」にも適用できるセオリーであるところ。わたしが貧困の罠に陥っていない理由は、わたし個人の努力よりも、社会システムに依拠しているものが大であることが分かる。見えるもの(社会保険、公衆衛生、教育システム)だけでなく、そこからくる見えないもの(安心、安全)に二重三重に保護された「わたし」が見える。

 「最貧者にもっとお金を」「外国援助が発展を潰す」「紛争解決を優先せよ」「自由市場に任せなさい」―――ほとんどスローガンのよう解決策は、あっちこっちでさんざん読まされてきた。それぞれの主義主張に沿ったエピソードが語られ、単純な図式による貧困からの脱出対策が描かれる。著者は、そうした「大経済学者」の一刀両断方式に対し、「単純な問題には単純な答えしか出てきません」と静かに返す。

 「大経済学者」サックスとイースタリーの主張の相違が象徴的だという。マラリア予防の蚊帳の無償で配るべきか否かといった、厳密な答えがあるはずの具体的な問題でさえ、まるで違った見解が出てくるのには、ちゃんと理由があるのだと。いささかカリカチュアライズされてはいるものの、それは、その人に固有の世界観に左右されることが多いというのだ。つまり、突き詰めると理論ではなく、「何を信じるか」に拠るのだ。

 やっぱりね、と頷きながら読む。経済学の理論の「客観性」に疑義をさしはさむと、脊髄反射される方がいらっしゃるが、「客観性」を支える前提条件やモデルを選ぶ主観は、確かに存在する(ばっさりイデオロギーと呼んでもいい)。そして、経済学の「正しさ」は、拠って立つモデルや前提条件の範囲で「正しい」といえる―――などと常々考えてきた。

 しかし、本書ではそうした前提やモデルのパラメータを変えて、複数の対照群に適用する。あたかも、新薬の実験で偽薬を飲ませる対照群を用意するように、経済施策でもプラセボを考慮するのだ。経済がほとんど成り立たない田舎に、突然セレブやらカメラやら補助金が押しかけたら、そりゃあ豊かにもなろうもの。だけどその「豊かさ」のどこまでがドーピングで、どこからが施策そのものの効果か、どうすれば見えるようになるか―――この疑問への解が、ランダム化対照試行なのだ。

 もちろんこれも万能ではない。経済状況は流動的で、環境はどんどん変わるし、だいたいプラセボ(偽薬)のほう、要するに「援助なし」のほうは不公平ではいないかといった不満も出てくる。それでもめげずに根気よく実施する。そもそも「援助あり」は良い結果になると限らないから、必ずしも不公平にならないという信念(疑念?)とともに。

 潔いのは、経済状況の複雑さを、対策がうまくいかない言い訳のために用いないところ。複雑なものは複雑なものとして扱い、費用対効果を睨みながら予想と結果のFit/Gapを淡々と分析する。得られる知見は驚くべきものだ。わたしのこれまでの「貧乏な国」に抱いている常識をうち破ったうえ、(わたしの日常に常識に照らしたうえで)納得できるのだ。

  • 飢えている人でもカロリーよりおいしいものやテレビを優先する
  • 就学率が上がらないのは、学校がないからでない。むしろ子ども自身や親が学校に行きたがらない/行かせたがらないから
  • 途上国に多い作りかけの家は、実は貯蓄手段
  • 制服がある女子校と、その生徒の初性交の年齢に相関があるわけ
  • 貧乏人が貯蓄をしないのは、貯蓄を「安心して」「半強制的に」できるシステムがないから(自制心のなさは、貧困国、富裕国似たり寄ったり)
 それぞれのストーリーは、必ずしも「効率的」「経済的」な便益を持つものではない。なぜ貧乏な人がさらに貧乏になる選択肢を積極的に取るのか、わたしの常識から見える。わたしの常識の「前提」や「モデル」を、貧困国のそれに置き換えてみるのだ。すると全く同じ動機にうごかされるだろう。「マラリア予防施策のオプション」と「フィットネスクラブに通うと保険金が安くなるオプション」は、同じ動機付けに支えられている。

 そこから得る結論は、自分の健康や安全について、正しい決断を責任をもって下せるほど忍耐強くも、知識もない「わたし」だ。情報不足、弱い信念、問題の先送りをしている「わたし」だ。これは貧乏な国に住む人となんら変わりはない。わたしの強みは、わたしが当然のように享受しているもの―――安全な水や食べ物、(おおむね)信頼できる医者や金融システム、保険制度や予防接種や、警察システム―――こうした後押しに支えられ・囲まれて生活していることなのだ。

 システムに組み込まれた「安全」は、「安心」を支える。わたしがその日暮らしに陥らず、ある程度未来を見据えて予防的に動けるのは、この「安心」に拠るのだ。ちょっと自分の思ったとおりに動かないようにみえる行政に目くじら立てて、行政そのものを否定したり、こき下ろしたりする連中にならないように。これがダメなら全部ダメという二択の罠に陥らないためにも、本書の結論を引いておこう(p.349、p.101より、太字化はわたし)。

貧乏な人は自分の人生のあまりに多くの側面について責任を背負い込んでいます。金持ちになればなるほど、だれかが「正しい」判断を代わりに下してくれます。貧乏人には水道がなく、地方政府が水道に入れてくれる塩素消毒の恩恵を受けられません。きれいな飲料水がほしければ、自分で浄水しなければならないのです。栄養満点の出来合い朝食シリアルは買えないので、自分や子どもが十分な栄養素を得ていることを、自分で確認しなくてはなりません。退職年金天引き制度や社会保障料天引きなど、自動的に貯蓄する方法もないので、自分が確実に貯金するような方法を考案しなければなりません。
こうした意思決定はだれにとってもむずかしいのです。いま考えたり、今日ちょっとした費用が必要で、その便益を回収できるのははるか将来のことだからです。だから、すぐに先送り傾向が邪魔になってきます。貧乏人たちにとっては、人生がすでにわたしたちよりずっと面倒なので、さらに事態は悪化します。
豊かな国に住む者こそ、そうした過干渉の絶え間ない受益者ではないでしょうか?ただそれがシステムにしっかり埋め込まれているため、気がついていないだけなのです。おかげで、自分で何もかも決断を下さなくてはいけない場合にくらべ、ずっと健康状態もよくなるばかりか、そういった問題に煩わされずにすむので、生活のほかのことに専念するだけの心のゆとりも生まれます。

 訳者は例によって山形浩生氏、いつもの砕きまくりの翻訳ではなく、抑制した筆致で正確さを求める著者を代弁するかのような文章に仕立てている。本書を手にする方は、いつものように末尾の「訳者解説」から読み始めるのが吉。ちょっと毒を含んだいつもの山形氏ではない、(耳に痛いことを言われて)ちょっと背筋を延ばした訳者が見えるから。

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ビブリオバトル勝利宣言

 6/9に紀伊國屋書店のビブリオバトルに出場予定だが、ここで宣言しておこう、わたしのオススメが一番ってね。

ビブリオバトル

 なぜなら、「これより面白い本があったら教えてくれ」という鉄板をプレゼンするから。この惹句は誇張でもなんでもなく、観客にも問うつもりだ、「これを超える徹夜小説を教えて欲しい」とね。それが何かは―――会場でのお楽しみ―――なのだが、このブログでさんざ褒めちぎっているからここ読んでる方はご存知かと。

 ビブリオバトル終了後、1時間くらい本のオススメ会をしましょう。赤のウェストバッグをななめに掛けたオッサンがいたら、それはわたしです。twitterでつぶやきながらウロウロしてるので、声かけてください(文庫エリアを中心に徘徊しよう)。わたしのオススメを超えるスゴいのがあるなら、ぜひご教授くださいませ。場所が場所なので、即買ってしまうだろうなぁ…

  6/9(土) 紀伊國屋書店 新宿南店 6階コミュニティガーデン

    第1ゲーム 14:00~ テーマバトル「ロック」!
    第2ゲーム 15:00~ どんな本でもOK!
    第3ゲーム 16:00~ どんな本でもOK!  ←参加予定

 わたしと対戦するのもOK、観客席(無料)でニヤニヤするのもOK、紀伊國屋書店・新宿南店さんのtwitter実況を眺めるのもOKですぞ。

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本好きが選んだハヤカワの170冊

 オススメを持ち寄って、まったりアツく紹介しあう「スゴ本オフ」、今回のテーマは「ハヤカワ」!これまた楽しく美味しいだけでなく、積読山脈を成長させるスゴい回だった。

 午後一時から夜八時、延々7時間のマラソン・オフ会、見てくれこの獲物。

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 本ばかりですまぬ。場の"ふいんき"はやすゆきさんの「早川書房さんシバリスゴ本オフは直球、変化球アリで「さとし」が大人気の楽しいパーティだった」でどうぞ。

 まずはSF、「ハヤカワといえばSF」の通念をあえて外したのか、SFはあるにはあるが、期待したより少なめ。おすすめプレゼンでは、イーガンもホーガンも、ギブスンもレムもないのがちょっと驚き。代わりにブラッドベリやハインライン、クラークが熱く語られる。暫定的結論によると、「幼年期の終わり」はSFオールタイムベスト、「ハイペリオン」はSFのラスボス」になった。「幼年期の終わり」と「ブラッド・ミュージック」はペアで読むと人類の未来の両極を見ることができる。鳥肌モノのスゴ本、ぜひセットで(幼年期→ブラッドの順で)読んで欲しい。

幼年期の終りブラッド・ミュージックハイペリオン

わたしを離さないで 次にNV、耳を惹いたのが、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」。近未来のイギリスで"提供者"と呼ばれる人々の話だが、この評価が真っ二つに割れたのだ。「抑制した筆致で淡々と描かれる残酷な未来」という肯定的意見もあれば、「開始1/4でネタバレは早々と明かされ、あとはひたすら退屈」という否定的な方も。わたしは傑作だと評価しているが、これに「面白いお話」を求めると辛いかも。

 本書のテーマは、極めてセンシティブかつナイーブで、しかも利権に絡まる。だから、ネットでの議論には向かない。でも、本書を読んだ人とは対面で語りたい(杯を交えてね)。なぜなら、これはSFでもなんでもなく、現在のムンバイや中国、そして東京である話だから。現実ともかく、心理的に受け入れられる/られないかについて行政や立法に委ねるには、時期尚早だろう。今のところ、これは小説のなかでもSFでしか語れないネタだ。

 そして、絶版をなんとかしてくれーという魂の叫びが、今回も噴出する。「ファイト・クラブ」と「ブラッド・ミュージック」がそう。2ちゃんねらが選んだオススメ本で必ずプッシュされ、評価も上々だというのに無い。背取り業者に結構な値をつけられているのが残念なり。お越しいただいたハヤカワの中の人は、この魂の叫びと、ビジネスとしての出版の現実の板ばさみにされてた。ハヤカワの偉い人がかなり意識していたから、ワクテカしながら待っていよう(ガマンできず、図書館に走ってしまうかも)。

 ハヤカワJAはBGMと融合したプレゼンとなり、会話と音楽とtimelineが混ざり合って非常に愉快になった。円城塔 「Self-Reference ENGINE」から「後藤さんのこと」、そして野尻抱介「南極点のピアピア動画」に連携し、金子邦彦「カオスが紡ぐ夢の中で」にリレーされる。

南極点のピアピア動画 「初音ミク」が好きすぎて仕事してないと心配されている野尻氏から、金子氏の遺伝的アルゴリズムを使って物語を作るプロットにつながる。なぜなら、中途半端な"作品"をネットにアップロードし、フィードバックをもらい、さらにブラッシュアップしたものをアップする―――この過程は「初音ミク」を初めとスルニコニコ動画のふるまいそのものだから―――と思っていると、BGMがさりげなく(?)初音ミクにチェンジされる。小憎い演出が愉快なり。

 組み合わせの妙が楽しい。単品でオススメするのではなく、セットになると、テーマに対しより立体的に読め、さらに相乗効果が生まれる。本で語る大喜利みたいなものなのだが、肝心なのはラインナップで「お題」を伝えるところ。たとえばこう。

  「一九八四年」オーウェル
  「華氏451」ブラッドベリ
  「すばらしき新世界」ハクスリー

一九八四年華氏451

こう並べたら、三大ディストピア小説だ。「すばらしき」は講談社文庫だけど、上二つをハヤカワが押さえているのがポイントやね。

 わたしが考えたのはこの2冊。人生の後半になって、自分の人生、そんなに悪くなかった…むしろ成功したほうじゃないか、と振り返っていくうち、自己欺瞞の兆しを見つける。ほころびを解くうち、嘘に嘘を塗り固めている自分を自身で暴いてしまう。

  「セールスマンの死」アーサー・ミラー
  「春にして君を離れ」アガサ・クリスティ

セールスマンの死 ずっと隠してきた虚像が打ち砕かれるとき、どういう態度を取るのか?男の場合は、「セールスマン」になるし、女の場合は「春にして」になる。非常に(非情に?)対照的なので、一緒に読むと肌が粟立つこと請合う。

 いちばん唸ったのは、次の3つをセットにしたもの。上二つは読んでいるので、テーマはおそらくこうだろう―――絶望的な日常を、それでもなんとかうまくやっていくか、できれば幸せな"きょう"にするために何かを・誰かを圧殺する話。

  「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ
  「パーマネント野ばら」西原理恵子
  「スカイ・クロラ」森博嗣

 「スゴ本オフ@ハヤカワ」で語られた/つぶやかれた/オススメされた本を一覧化してみた。この「まとめ」ができるのは、根岸さんのtwitter実況「SF、ミステリ、そしてノンフィクションの殿堂! スゴ本オフ、ハヤカワしばりの巻」のおかげ、ありがとうございます。

 また、事前に聞いてみた結果→「人力検索はてな : あなたのオススメを教えてください」と、わたしのイチオシ「このハヤカワがスゴい!」とあわせると、ハヤカワのスゴ本が170冊集まった。「こいつが無いぜ!」というのがあったら、教えて欲しい、是非。

ハヤカワNF


  • 「ニワトリの歯 進化論の新地平」スティーブン・ジェイ・グールド
  • 「カオスの紡ぐ夢の中で」金子邦彦
  • 「これからの「正義」の話をしよう」マイケル・サンデル
  • 「博士と狂人───世界最高の辞書OEDの誕生秘話」サイモン・ウィンチェスター
  • 「FBI心理分析官───異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」ロバート・K. レスラー、トム シャットマン
  • 「スパイのためのハンドブック」ウォルフガング・ロッツ
  • 「ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語」ヴィトルト・リプチンスキ
  • 「神話の力」ジョーゼフ キャンベル

ハヤカワNV

  • 「シャドー81」ルシアン・ネイハム
  • 「ファイト・クラブ」チャック・パラニューク
  • 「料理人」ハリー・クレッシング
  • 「あの日暑くなければ」エルヴィール・ド・ブリサック
  • 「ライジングサン」マイケル・クライトン
  • 「警察署長」スチュアート・ウッズ
  • 「太陽の黄金の林檎」レイ・ブラッドベリ
  • 「ルイジアナ物語」モーリス・ドニュジエール
  • 「スイート・ヴァレー・ハイ・シリーズ」フランシーン・パスカル
  • 「ローズマリーの赤ちゃん」アイラ・レヴィン
  • 「卒業」チャールズ・ウェッブ

ハヤカワ・ミステリ

  • 「火刑法廷」ジョン・ディスクスン・カー
  • 「サマータイム・ブルース」サラ・パレツキー
  • 「春にして君を離れ」アガサ・クリスティー
  • 「初秋」ロバート・B.パーカー
  • 「深夜プラス1」ギャビン・ライアル
  • 「女には向かない職業」P.D.ジェイムズ
  • 「もっとも危険なゲーム」ギャビン・ライアル
  • 「NかMか」アガサ・クリスティー
  • 「007/黄金の銃をもつ男」イアン・フレミング
  • 「恋するA・I探偵」ドナ・アンドリューズ

ハヤカワSF

  • 「月は無慈悲な夜の女王」ロバート・A.ハインライン
  • 「夏への扉」ロバート・A. ハインライン
  • 「ハイペリオン」ダン・シモンズ
  • 「幼年期の終わり」アーサー・C.クラーク
  • 「華氏451度」レイ・ブラッドベリ
  • 「火星年代記」レイ・ブラッドベリ
  • 「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス(文庫ハードカバーという非売品)
  • 「デューン 砂の惑星」フランク・ハーバート
  • 「重力が衰えるとき」ジョージ・アレック エフィンジャー
  • 「ブラッド・ミュージック」グレッグ・ベア
  • 「リングワールド」ラリイ・ニーヴン
  • 「サンドキングズ」ジョージ・R.R. マーティン
  • 「燃える傾斜」眉村卓
  • 「宇宙船ビーグル号」A.E.ヴァン・ヴォクト
  • 「イリーガル・エイリアン」 ロバート・J.ソウヤー

ハヤカワepi

  • 「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ
  • 「日の名残り」カズオ・イシグロ
  • 「一九八四年」ジョージ・オーウェル
  • 「青い眼が欲しい」トニ・モリスン
  • 「君のためなら千回でも」カーレド・ホッセイニ(プルーフ版の非売品)
  • 「マジック・フォー・ビギナーズ」ケリー・リンク

ハヤカワJA

  • 「マルドゥック・スクランブル」冲方丁
  • 「南極点のピアピア動画」野尻抱介
  • 「self reference engine」円城塔
  • 「虐殺器官」伊藤計劃
  • 「サマー/タイム/トラベラー」新城カズマ
  • 「京美ちゃんの家出―ミルキーピア物語」東野司
  • 「そして夜は甦る」原尞
  • 「本邦東西朝縁起覚書」小松左京
  • 「亜空間要塞」半村良
  • 「七都市物語」田中芳樹
  • 「征東都督府」光瀬竜

ハヤカワ新書juice

  • 「人生を無理なく変えていく「シフト」の法則」ピーター・アーネル
  • 「人間はガジェットではない」ジャロン・ラニアー

ハードカバー

  • 「小さなチーム、大きな仕事───37シグナルズ成功の法則」ジェイソン・フリード
  • 「トッカン───特別国税徴収官」高殿円(サイン本)
  • 「発想する会社!───世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法」トム・ケリー、ジョナサン・リットマン
  • 「それをお金で買いますか」マイケル・サンデル
  • 「イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材」トム ケリー、ジョナサン リットマン」
  • 「閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義」イーライ・パリサー
  • 「インサイド・アップル」アダム・ラシンスキー
  • 「川の少年」ティム・ボウラー
  • 「ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう」植草甚一

ハヤカワ・コミック

  • 「夢幻紳士 幻想篇」高橋葉介
  • 「夢幻紳士 迷宮篇」高橋葉介
  • 「夢幻紳士 怪奇篇」高橋葉介
  • 「夢幻紳士 逢魔篇」高橋葉介

ハヤカワ・演劇

  • 「セールスマンの死」アーサー・ミラー

番外編

  • 「二人がここにいる不思議」レイ・ブラッドベリ(新潮文庫、ブラッドベリつながり)
  • 「モンゴルの残光」豊田有恒(ハルキ文庫、もとハヤカワJAつながり)
  • 「シャドー81」ルシアン・ネイハム(新潮文庫、ハヤカワへ移籍つながり)
  • 「ペパミント・スパイ」佐々木倫子(「スパイのためのハンドブック」つながり)

 ハヤカワの中の人に大感謝。お忙しい中お越しいただいただけでなく、「アルジャーノンに花束を」の文庫ハードカバー版(非売品)が何気に放流されてたり、高殿円「トッカン───特別国税徴収官」のサイン本が惜しげもなく供出されたり、ありがたいかぎり。

 この場の雰囲気を伝えたい!とUstreamに挑戦したのだが、音が流れない…お見苦しいところ申し訳ありません(次回までになんとかします)。

 この中でハヤカワ・マイベストを(ムリヤリ)選ぶなら、これ。NVなら「シャドー81」、SFなら「幼年期の終わり」、ミステリなら「火刑法廷」になる。未読なら、おめでとう。"黙って読め"級の傑作なり。これを試金石にして、「それが一番ならこれは?」というのがあれば、教えて欲しい、是非に。

シャドー81幼年期の終り火刑法廷

 次回は以下の通り。募集~開催のスピードが早いので、このブログよりもfacebook「スゴ本オフ」で情報収集するほうが吉。

 6/2(土) テーマ「旅」
 6/23(土) テーマ「角川文庫」
 未定 「スポーツ」
 未定 「ホラー」
 未定 「こども」

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「釈迦物語」はスゴ本

釈迦物語 肉体をもち、生きた人間としての釈迦の話。

 生々しい伝説からドラマティックな要素を剥ぎ取り、淡々とした筆致で諄々と説くのはひろさちやの十八番。一緒に解説される仏教の知識は、わたしの蒙を啓くのに役立った。

 わたしが仏教を学ぶのは、楽に、幸せに生きるLifeHackがあるのじゃないかという卑俗な動機から。たとえば、怒りを"手放す"ための「怒らない技術」や、心配事で心のキャッシュメモリを食いつぶさせないための「考えない技術」は、そこから得たもの。tumblrで拾ったブッダの言葉は、手帖の1ページ目に書きつけてある。悟りを得ると、「"いま"が見える」というのは、「あっかんべェ一休」から得たものだ。

  過去にとらわれるな
  未来を夢見るな
  いまの、この瞬間に集中しろ

  Do not dwell in the past,
  Do not dream of the future,
  Concentrate the mind on the present moment.

 本書で目ぇ剥いたのは、「苦」について。どうやらわたしは、とんでもない勘違いをしていたようだ。門から出るとき、老人、病人、死者に出会い、無常を感じたという四門出遊は聞いたことがあった。それが四苦(生老病死)であることも知ってはいた―――が、これらは「苦しみ」ではないのだというのだ。

 生老病死に対する感覚は、相対的なもの。赤ん坊にとって「老いる」とは成長であり、喜ばしいことだ。老いて病苦に犯された肉体にとって、死は救済となる場合もある。

 しかし、釈迦は、すべてが"苦"であると教える。"苦"の意味が違うのだ。"苦"はサンスクリット語で"ドゥフカ"といい、その本来の意味は、「思うがままにならないこと」。

 "苦"が生じる因縁は、思うがままにならないことを思うがままにしようとする。その瞬間、われわれに「苦しみ」が生じるというのだ。たとえば、ままならない「老い」を、アンチエイジングと称して「老い」を拒絶するところに苦しみが生じるという寸法やね。

 この説明は腹に落ちる。生きることも死ぬことも、老いることも病を得ることも、思うがままにならない。一時的な緩和はできてもコントロールはできない。同様に愛するものと別れる"苦"や、望むものが手に入らない"苦"などの「八苦」も理解できる。「二の矢を受けず」は、最初の"苦"から「苦しみの苦」をフリーにさせろという教えなんだね―――と、一編に分かる。これは、怒りを手放す技術や、心のキャッシュメモリを解放する方法につながってくる。

 分かった目で眺めると、釈迦の生きる有様はまさに、「ままならないこと」のオンパレードになる。つきつけられる難問と、生臭い人間関係が引き起こす危機と、命を張った冒険と、心身を苛む悪魔の言葉(これは釈迦の内面を人格化したものらしい)―――の連続になる。手塚ブッダはドラマチックにしすぎだろうと眉唾で読んだものだが、なかなかどうして、「釈迦物語」の釈迦もエライ目ヒドイ目に遭う。

 そこでは、自分探しにハマった若者を入信させる新興宗教の教祖としての一面や、弟子が話を聞いてくれないと嘆く年寄りの寂寥感も滲み出る。「伝説ではこうだったけど…」とスーパーヒーロー・ブッダを語った後、人間ゴータマを描く。この辺のバランスが見事だ。

 数百円で、さらりと読める名著なり。ベンさん、おすすめありがとうございます。

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