« シンプルな人類史「スプーンと元素周期表」 | トップページ | 「白鯨」は、スゴいと言うより凄まじい »

日本語を飲む快楽「流れる/幸田文」

 最初のページを読んで、そのまま"持って行かれる"。

流れる 昭和まもなく、花柳の女たちを活写した傑作。何気ない会話や描写がそのまま、日本語を読む快感になる(幸田文すごい)。これは、「この新潮文庫がスゴい!」でオススメされ、言われるがまま手にして、そのまま流れるように読む。

 奇想な展開に"呑まれる"のではなく、プロットやキャラに"ハマる"のでもない。おいしい水をごくごく飲み干すように、うまみのあることばを読み干す(ShinRaiさん、ありがとうございます)。

 読みよくしているのは、選ばれた言葉の音律だ。字余り字足らずはあるが、五七五を意図して組み立てている。五七五、五七五、五七五七五七七…と、畳み掛けるように背景と人を描いて、さっと会話を紛れ込ませる。女中奉公する主人公の語り(地の分)と受け答えがシームレスなので、容易に中に入れる。

 もう一つ、読みを愉しくしているのは、主人公の感応と、カメラ視線が連携しているとこ。たとえば序盤、奉公先の狭さについてこう考える。

狭いということは乏しさを指すことがしばしばだが、こう利口につかった狭さにははみだす一歩手前の、極限まで詰った豊富さがある。
 そして畳一枚の空間しかない焚き付け口で、自分の半生を交えながら、こう結論づける───「狭いということは結局、物なり人間なりがあるということなのだと。何かがあるから狭さもあるので、人も物もないとき狭いという限界はない」。
奇蹟のように明いているこの畳一畳分の空地から仰ぐと、星が白く高く、夜はすぐそこ、隣の物干しに残ったパンティまで低く降りていた。
 この、思考と視線の切り替えの拍節が巧みなため、ダレることなく一気に読ませる。「この後どうなるんだろう」と「彼女はいったい何者なんだろう」が交互に読者を引っ張ってゆく。要所で差し込まれるオノマトペもユニークだ。擬音はカタカナ、擬態はひらがなのオノマトペにするテクニックは、小説を書くヒントになりそう。

 驚くことに、彼女の一人称視線であるにもかかわらず、彼女の人となりがほとんど"見えない"。いや、「信頼できない語り手」ではない。任せて安心な話者なのに、奉公先にだけなく読み手にすら、上手に自分を畳み込んでいる。彼女の物言いや捉え方から教養の片鱗を解きほぐす、といった高度な(意地悪な?)読みもできるのが吉。

 くろうと女のなまなましさ、しろうと女のしたたかさを、味のある日本語で読み干す一冊。

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« シンプルな人類史「スプーンと元素周期表」 | トップページ | 「白鯨」は、スゴいと言うより凄まじい »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本語を飲む快楽「流れる/幸田文」:

« シンプルな人類史「スプーンと元素周期表」 | トップページ | 「白鯨」は、スゴいと言うより凄まじい »