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マンガを読めない子どもたち

 「マンガが読めない子どもが増えている」というが、本当だろうか。

 セリフをつないで読むだけでなく、コマを追って、間を想像して理解できないらしい。体感ネタだから真偽は人それぞれだが、マンガそのものは複雑だぞ。漫符や構成を読み解くところなんて、相当の慣れが必要だし。

マンガの創り方 マンガが複雑?不思議に思うかもしれない。「マンガで分かる」シリーズがあるくらいだからね。しかしそれは、昔から日常的にマンガに親しんでいるから。「マンガの方法」について習熟しているんだ。わたしがこれに気づいたのは、逆説的だが、「マンガの創り方」を読んでから。これは、完成稿から、そこへいたるネーム、箱書き、構成、ネタを逆算し、「マンガを面白くしているものは何か?」を徹底的に解体している。音楽や絵画や小説と同様、普段からマンガを読まない人にとって、その面白さを味わうのは難しいのかもしれない。

 ためしに異国のマンガに触れると、かなり戸惑う読書になる。日本コミックの「お約束」と違う文法で描かれているからだ。たとえば、切り裂きジャックをモチーフにした「フロム・ヘル」なんてそう。伏線が精密で丁寧に織り込んだ、「見る」というより「解く」グラフィック・ノベルは、みっちり読み込みを要した。あるいは、「パレスチナ」のデフォルメされて歪んだパースは、恐怖がそうさせている。ドキュメンタリー・コミックは日本にもあるが、これは客観性よりも感情を優先して描いており、描き手の感覚に寄り添う読書になる。

 このように、面白くするため複雑になり、世代と時代と文化に沿って多様化しているのが、「いまのマンガ」だ。だから、新参者の「いまの子ども」のうち、マンガを読めない人がいてもおかしくなかろう。あるいは、もともと日常的にマンガを読まない子どもは昔からいて、それが可視化されただけなのかもしれぬ。または、世代問わず「読めないマンガが増えている」の言い換えかも。

 翻ってわたしの場合をふりかえる。わたしの親が「マンガなんて読んでると馬鹿になる」だった。コロコロ・ジャンプは友達ン家で貪り読んだもの。その反動で、わが子にはマンガでも物語でも好きに読ませている。息子「コロコロ」、娘は「ちゃお」で互いに交換しながら読んでいるが、その入り口は何だったろう?

 それは「絵本」だ。本の入り口は、絵本だが、マンガの入り口も絵本になる。絵本は1ページ1ページが、それぞれのシーンを形成している。それらを、巨大な一コマと見なせばいい。ページを繰ることが、シーンを展開することで、ひいては物語のコマを読み進めることになる。絵本とマンガは、演出は異なれど、「読み進める」でつながっている。

となりのせきのますだくん ただし、面白い例外もある。武田美穂の「ますだくん」シリーズだ。大判のハードカバー、デフォルメされた画など、絵本の体裁をとる。ところが開けると、純粋なマンガとなっている。絵本/マンガを分けて考えていたわたしには、ちょっとした衝撃だった。なかでも、「となりのせきのますだくん」が傑作なので、小学校入学前後の子どもにオススメ。マンガなのに「絵本を読んでいる」感覚のため、子ども心をくすぐっていたのかも。

 もうひとつ、「絵本と読物」、「絵本とマンガ」の間に立つものとして、絵とき物語がある。基本は「絵+説明文」で、ナレーションのように物語文が配置されている。わが家では、原ゆたか「かいけつゾロリ」が大人気で、最初は絵だけをマンガのように見て、慣れてくると文を追いかけて「読書」できるような仕掛けになっている。物語本はOKで、マンガはNGだったわたしからすると、アニメにもなったゾロリは羨ましい限り。

 ためしに子どもに、学校図書について訊いてみる。すると、「火の鳥」「ドラえもん」「はだしのゲン」「まんがひみつシリーズ」が人気だそうな。マンガに目くじら立てなくなったことは喜ばしい限りだがトラウマンガ「はだしのゲン」があるとは……あと、「火の鳥」は近親相姦もあった気がするが、まぁいいか。

 「最近の子どもは…」の説教になりそうだが、学校の現場でマンガを採りあげていることも事実だ。小学5年国語「ひろがる言葉」(教育出版)に、石田佐恵子「まんがの方法」が教材として載っている。「ポケットモンスター」や「ジャングル大帝」、「ちびまる子ちゃん」を掲載し、コマ割や漫符を解説しつつ、マンガの読み方や面白さの秘密を解説している。ヒンディー語の「ドラえもん」が紹介されており、わが子はドラえもんの威力を思い知っているところ。

 これは、小説、解説文、詩歌、古文、漢文などのチャンネルに、「マンガ」が追加されていることを意味する。わが子は、漫然と読んでいたマンガに、実は文法や方法があることに気づき始めている。ご丁寧にも、発展学習では「アニメの方法」に主眼が置かれている。アニメのルールになると、視界がバッと広がるぞ。とーちゃんは全力で応援しよう。まずはWORKING!を見せて勤労の尊さを伝えようw

 しかし心配もある。異端だったマンガが市民権を得て、教科書にまで載っているということは―――こんな試験問題も出てくるということになる「次の四コマ漫画を読んで、まる子の気持ちをア~オの中から選びなさい」。英語だと既にあるが、国語でこんなのが出てくるとしたら…「マンガを読めない子ども」は根が深いのかも。

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コメント

この議題については私はとても関心があります……! もはや社会問題ですね! Dainさんのご自宅ではよく読み聞かせなどしてるのでしょうか?? そして引いてはそれがこの問題を解決するための手段だとお考えでしょうか? 私は、自分が大人になったら漫画や小説、分け隔てなく読み聞かせしたりプレゼントしてあげたいと思っています。多少つまらないといわれても、それが分かる大人になってほしいと考えているからです。生意気なこと言ってすみません。よろしくお願いします!

投稿: あひる | 2012.01.17 20:17

うちもマンガ好きな小学一年生の子どもがいるので、いつも以上に興味惹かれるテーマでした。
togetterでは、「入り口になるマンガ」が減っているという話でしたが、今回取り上げられているように「マンガの入り口になる絵本」や「絵本とマンガの中間」など、選択肢が格段に増えましたよね。そういう意味では、ある程度、本の森・漫画の森で迷わない為の道筋をつけてやるのが親ができることかなと思いました。(関連して書いたブログ記事のトラックバックを送りました)

なお、異国マンガとしてはウォッチメンを読みましたが、8割くらい進んだところでずっとストップしています。通常考えているマンガの読み進め方が出来ないのがストレスなんですよね。内容は面白いのに・・・。

投稿: ぽかり | 2012.01.18 01:17

>>あひるさん

娯楽の話なので、深刻に考えなくてもよいかと。これは、形を変えた「最近の若い奴らは…」の床屋談義なのですから。
読み聞かせはしてますよ。ただ、気をつけているのは、物語系に寄らないことです。自然科学(いのちの誕生)とか社会科学(お金の話)なども織り交ぜています。


>>ぽかりさん

ゾロリ病www小5ですけどゾロリ読んでますよ。「時期に合った本を」という思いはありますが、好きにさせています。全巻再読してましたが、さすがに飽きたようで、なぜか「はてしない物語」にハマってます。ゾロリ良かったな、と思うのは、「好きな本をくり返し読む」楽しみを知ったところ。再読すると、気づかなかった伏線やネタに出会えます。(見返しや挿絵の端の方にあります)。結果、「はてしない物語」も再読、再再読しています。

投稿: Dain | 2012.01.18 23:58

私の母が「マンガ」を上手く読めない人なんでした。
ヌーベルバーグよりも東宝の怪獣映画が大好きで、幼い私を口実にアニメのトリトンやヤマトを夢中で観まくってたような人なのに、紙に印刷されたマンガのアクションシーンはかなり苦手。
アメコミやBDはストレス無く楽しんでいるようで、どうやら日本マンガのコマ割りの文法がよく理解できないらしい。だから、日本マンガのアクションシーンの、どこに視線を動かす快楽があるんだか、わからないみたいです。

ちなみに、父はといえば、あるアニメの、キャラの髪が伸びたことで月日の経過を表現するという演出を理解・許容することができませんでしたね。なんと、アニメのキャラの髪型が変わる、ということを受け入れることに、何か心理的な抵抗を覚えたらしい!
漫画やアニメのキャラは完全に記号としてしか捉えらない、ってことなんでしょうね。


T.E.ロレンスがベドウィンたちに彼らを撮った写真を見せたら、ベドウィンたちはそこに何が写っているか理解できずに「単に白黒の濃淡がある紙じゃないか」と困惑された、という話があります。
視覚情報の処理の仕方というのも文化的条件付けの産物なんですねえ。

投稿: SFファン | 2012.01.19 14:08

Dainさん、こんにちは。とても興味深い記事、面白く読ませてもらいました^^

「マンガなんて読んでると馬鹿になる」説、昔まことしやかに蔓延してた風潮ですねぇ。家の両親もヒステリックにってほどではないけど、この説を信じてたみたいです。けどそれは父親に「ドラゴンボール」と「スラムダンク」を見せるまでで、それからは劇的に漫画に対して理解を示してくれるようになりました(超大人買いの1日10冊とかまとめて買ってきてくれたときは本当に嬉しかったなぁ笑)

漫画が教科書に載るなんて自分達の時だったらまるで青天の霹靂のような出来事ですね!(笑)ただ、大人達が妙に理解を示して漫画を読みなさい、なんて言うから子供達は読まなくなったり…なんて考えてしまいました。自分もやりなさいと言われたらやりたくなくなるような天邪鬼な子供だったんで(苦笑)

投稿: だいすけ | 2012.01.19 15:01

>>SFファンさん

ユニークな事例をありがとうございます。思わず「あるある」と頷いてしまいました。エントリでは海外のコミックを挙げましたが、文化的条件付けを一番感じるのは、ずばり「少女マンガを読んでいるとき」ですね。大ゴマに回想と妄想が混ざるトコなんて、どこから手をつけていいか分からんw


>>だいすけさん

叩かれたメディアは、次の時代でコモディティになります。マンガの他にも、「小説/レコード/テレビ/アニメ/携帯/ネットばかりだと馬鹿になる」と、叩かれるものは、世につれ人につれですね。
教科書の発展学習で、「お気に入りのマンガを持ち寄って発表する」がありました。学校にマンガを持っていける!と興奮気味の子どもに、どうせワンピかコナンばかりだから、ここはひとつ「風の谷のナウシカ」を持っていけと勧めたのですが、全力で断られましたw


投稿: Dain | 2012.01.19 23:39

コモディティ、知らない言葉だったんで調べました(笑)「普遍化」「一般化」、なるほどなるほど。

お子さん、「風の谷のナウシカ」全力で断ったんですか!?まったくなんちゅう子供だ!…ってこの考えが子供に漫画を押し付けているようですね(苦笑)

今の漫画をあまり読んでないので、単純に比較はできないけど、昔の漫画は大人びたものが多かったですよね。「風の谷のナウシカ」も子供のときとはまったく違った楽しみ方ができるなと再確認しましたw

投稿: だいすけ | 2012.01.21 20:48

>>だいすけさん

「ナウシカ」は浮いてしまいそうなので避けたのだと思います。子どもにとっての「まんが」は、ジャンプ・サンデーの単行本サイズなので。
で、持ち寄られたマンガは、やっぱりというか何というか、ワンピやコナンだらけでした(一部「けいおん!」を持ち込んだ女子がいたらしいw)

投稿: Dain | 2012.01.22 10:12

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スゴ本で「マンガを読めない子どもたち」という記事がありましたが、現在一年生のよう太が初めて読んだ漫画は、おそらくドラえもん(のび太の恐竜)です。自分としては本の方を読んでほしいので、読ませる漫画の量はセーブしてますが、特に「読めない」ということも無く親し... [続きを読む]

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