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過去なのに今、遠いのにここにある感覚「ゴーストタウン―――チェルノブイリを走る」

 過去なのに「いま」の感覚に襲われる。むかし読みふけったサイトが本になったのだ。時間も距離も、遠い大事件だったものが、凄く身近に感じられる。

 彼女の名はエレナ、バイク乗りだ。カワサキのニンジャを駆ってあの土地を旅する。豊富な写真と淡々とした体言止めコメントが印象的だ。驚くほど自然に還っている建造物や、誰もいない世界の様は、人類史後を眺めているようだ。ある特定の廃屋や廃ビルの「写真集」ではない。バイクに乗って延々と走っても走っても、遺棄された光景が続く。危険なので地図からも抹消されている。場所が丸ごと捨てられているのだ。

 それでも、人がいる。興味本位の「観光客」ではなく、自分の家に戻ってきて自活している人々だ。原子炉50キロ南に住む老人がいる。放射能汚染で移住を余儀なくされたものの、見知らぬ土地で死ぬよりも、自分の家で死にたいという。自分の畑の野菜を食べ、飼っている牛のミルクを飲んで生きている400人のうちの1人だ。

 彼女は大丈夫かって?わたしも心配したが、ガイガーカウンターを常備している。ホットスポットは文字どおり斑状となっており、「あぶない場所」に留まらないように気をつけているという。危険なのは「ホコリ」で、常に動き続けていることで回避しようというのだ。

 いま改めて読むと、別の箇所に目が行くのが面白い。これは書籍の形だからそうなのか、福島原発事故を見ているからなのか。自分のことなのに、分からない。四半世紀の事故を、7年前の旅行記と思えないくらい、「いま」「ここ」に引き付けることができる。彼女は言う、

進めば進むほど、
土地は安くなり、
人は少なくなり、
自然は美しくなる。

 そう、捨てられたラクターや、巨大アパートや観覧車を見なければ、木々が生い茂り、人が一切立ち入らない、静謐な楽園となっている。そこだけ時間が止まったようで、彼女と一緒に闖入者の眼で眺めることができる。異郷なのに、既視感と既聴感に満ちている。彼女の、このセリフなんて強烈だ。

事故の後数年間、私たちのモットーは「チェルノブイリを救おう!」だった。今では、「草が伸びるままにしておこう……」というだけ。

サイトは以下の通り。上が本家、下が翻訳になる。

Elena's Motorcyle Ride through Chernobyl チェルノブイリの写真 Elenafilatova和訳

 そう、このサイトで「チェルノブイリ」の本当の意味を知ったのだ。ウクライナ語でチェルノブイリとは、ニガヨモギの草、もしくはアブサンのこと。この言葉は、土地の人々をぎょっとさせるさおうな。信心深い人たちは、聖書の黙示録にニガヨモギが出てくることを知っているから。

第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川という川、水源という水源の三分の一がニガヨモギのように苦くなった。そのため多くの人が死んだ。
ヨハネ黙示録8:10

 この隕石の名前は、「ニガヨモギ」。

 昔のわたしの感想は、以下にある。まさに back log (=blog)だ、いま内省すると、傍観者と当事者の違いが如実に分かる。

チェルノブイリ旅行記 チェルノブイリ旅行記―――オオカミの大地 「チェルノブイリ旅行記」と「廃墟チェルノブイリ」

 なぜなら、エレナの父のこの言葉が、触れるほど感じられるから。

人々は目に見えなくて、触れることができなくて、においも感じることができないことに、恐怖を感じるのだよ、と私の父はよく言っていた。わからない、ということ自体が、死をよく表しているからだろう。

 過去なのに現在を、遠いのに肌で分かる一冊。

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