「要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論」はスゴ本
経済学者が嫌いだ。
イソターネットで可視化された「経済学者」は、嘘つきで尊大で、自分以外は馬鹿に見えるらしい。誤りを指摘されると、猛々しく開き直り、詭弁を弄して話をすりかえる。「経済学者だから、さぞ金持ちだろう」は冗句だが、「経済学者だから、リーマンショックは予見しただろう」は洒落にならぬ。「経済学者が集まったから、EUクライシスの処方箋がまとまるだろう」は、もはや寝言だ。
しかし、わたしが間違っていた。ダメな「経済学者」がいるかもしれないが、「経済学」は価値がある、まちがいなく。ずっと避けてきたのに、とうとう出てしまったのだ、「ケインズ一般理論」の要約版が。岩波文庫で何度も撃沈していたものを、ていねいに噛み砕き、今に合わせて剪定してある。ありがたく感謝して読む。
もちろん一読で理解できるはずもないが、どこまで分かっていて、どこまで分かっていないかが、判別できた(←これ重要)。なのでクルーグマン先生のデカイ教科書に取り組める。ここでは、わたしがどのように読んだかを備忘的に記す。
まず、これを翻訳・要約したのが山形浩生氏だ。だから、末尾の解説から読むのが正しい。氏が訳した本に共通するのだが、本文よりも解説の「まとめ」のほうが分かりやすい。その本の位置づけから見通しを語り、そこから拡張した氏の主張まで展開している。だから、そこだけ読めば事足りる(その証拠に、解説だけを集めた「訳者解説」という本が出ている)。
そんなわたしの「横着」ぶりを見透かされつつ、クルーグマンを引きつつ、さらに要約してくれる。p.246によると、ケインズ一般理論の肝はこうなる。
- 経済は、全体としての需要不足に苦しむことがあり得るし、また実際に苦しんでいる。それは非自発的な失業につながる。
- 経済が需要不足を自動的になおす傾向なんてものがあるかどうかも怪しい。あるにしてもそれは実にのろくて痛みを伴う形でしか機能しない。
- これに対して、需要を増やすための政府の政策は、失業をすばやく減らせる。
- ときにはお金の供給(マネーサプライ)を増やすだけでは民間部門に支出を増やすよう納得してもらえない。だから政府支出がその穴を埋めるために登場しなきゃいけない。
語り口はざっくばらんで、「根拠レスな批判」「こいつがイカレポンチだ」などと、いかにも山形氏が言いそう(だがケインズの言)。本文中にも迷いそうなところには [ ] で山形コメントがあり、たいへんありがたい。だが、地の文(ケインズ)も、解説や[ ]の文(山形)も、どちらの主語も「ぼく」なので、注意が必要。例えば、20章 雇用関数のセクションI は、次の文で始まる。
(数式が嫌いな人は、このセクションを飛ばしても全然オッケー!)めんどくさい数式がずらずら並んでいるので、喜んで飛ばさせてもらった。だが、これはケインズ?山形?どちらの発言か想像すると楽しい(どっちの場合でもニヤっとさせられる)。ケインズは茶目っ気たっぷりのおっさんだったらしい。山形氏もそうなのだろうか。VI巻ラストのこの一文なんて、ケインズの地の文なのにモロ山形節で、爆笑させてもらった。
知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどっかのトンデモ経済学者の奴隷だ。虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文殴り書き学者からその狂信的な発想を得ている。これは冒頭でわたしが嫌っていた「経済学者」じゃねーか。
わたしの理解不足も分かった。まず、何度も出てくる「限界効率」。もうかっているお店が、さらにバイトを雇ったとき、どれくらい儲けが期待できるかという話だが、わたしの理解がアヤシイ。飯田泰之著の「経済学思考の技術」を再読して復習しよう。ロジカルシンキングものとして読んだことがあるが、もっと広くて深くて実践的だ(ロジシン本に矮小化したら失礼だ)。限界効率について目ウロコだったことを覚えているが、もう一度目ェ洗ってくる。
「金利」について、復習が必要だ。というのも、中央銀行が決める政策金利と、債権の利息として扱われるものと、2種類(もっと?)の意味が混在して使われているように読めたから。文脈によってきちんと読み分けられないわたしにとって、混乱の元になった(あるいは、政策金利も債権の利息も「同じ」とみなす?)。ちゃんと勉強してこなかったツケがまわってきたね。
さらに、わたしは「危機」について分かっていない。本書では、「危機(crisis)」「暴落(slump)」「バブル崩壊(collapse)」が同じ意味で使われている(ように読めた)。景気循環の下降局面なら「危機」、資本の限界効率が急落し、みんなが現金を欲しがっている状態を「暴落」、さらに過剰投資(=バブル?)が行過ぎて、期待収益がゼロ以下になることを「バブル崩壊」と呼んでるみたい。いわゆる「バブル崩壊」は、そんな景気循環から外れた、日本だけの極端な現象だと思っていたが、ケインズも指摘しているくらい「予見されたこと」なのだろうか(あるいは山形氏の勇み足?)。これは、「原書にあたれ」やね。
わたしの理解のために、もうワンクッション要る。これは自分で式を展開したり図を書くことで補完しよう。あれ?と思ったのは、第10章の「限界消費性向と乗数」。既存の資本設備を500万人雇って動かして生産している社会の話に、こうある。
すると、50+n×10万人が雇用されているときの限界での乗数は100/nになって、国民所得のn(n+1) / 2(50+n)が投資にまわされる。ここでは、520万人が雇用されているときを考えているから、「50+n×10万人」ではなく、「500+n×10万人」なのでは?と引っかかった。投資にまわされる割合の式から考えると、「(50+n)×10万人」のほうが妥当だろうか。「分かってる加減」を確かめるため、本書をベースに手を動かす必要がありそうだ。
いずれにせよ、食わず嫌いだった「経済学」にも手を出す。まずはクルーグマン先生の「マクロ経済学」「ミクロ経済学」から。警戒すべきは、慢心。「自分以外は馬鹿に見える」病に陥らないよう、気をつけて学ぼう。
追記。本書の全文は、以下のリンクから読める。わざわざお金を出して「紙の本」で読む必要なんてないじゃないか、というツッコミもあるだろう。だが、やってみるがいい(全部読めないから)。いま全体のどこにいるかを押さえつつ、行きつ戻りつしながら「読み」「書き」「付箋貼り」には、どうしても紙の本でないと。一読腹に落ちるような代物ではなく、「取り組む」「格闘する」ものなのだから。オールドタイプのノスタルジーという揶揄上等、やってみなはれ。
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コメント
いつも楽しみしています。細かいことで気になりましたが、2行目が「イソターネット」になってますよ。
投稿: ペーすケ | 2011.11.25 13:09
>>ペーすケさん
よくぞ見抜かれました…ワザと「イソターネット」にしているのです。
投稿: Dain | 2011.11.25 23:44
「雇用と利子とお金の一般理論」は難解だと言われているので、避けていました。要約版チェックしてみます。
経済学の有名な古典で、自分が良く読み返しているのが、「資本主義と自由」著:ミルトン・フリードマンです。
最近出版された日経BPクラシックス版が、オススメ。
帯に、「構造改革のバイブル」なんて書かれてますが、中身は読みやすく論理的に書かれています(決してマニュアルっぽくはありませぬ)
投稿: マキシュン | 2011.12.04 14:02
>>マキシュンさん
オススメありがとうございます。
経済学は、まず「教科書」から入るつもりです。来春は、クルーグマン先生のマクロとミクロを読む予定です。その後に「資本主義と自由」に手を出してみます。
投稿: Dain | 2011.12.06 01:33