ぐっと胸が温まる「レイモンド・カーヴァー傑作選(Carver's Dozen)」
優れた小説家の仕事は、小説を書くだけでは不十分で、他の作品を紹介することにある。優れた書き手は、優れた読み手でもあるから。池澤夏樹の小説はもう読まないが、彼が選んだ「世界文学全集」は鉱脈を見つける助けになった。村上春樹の小説はもう読まないが、彼が訳したレイモンド・カーヴァーのこの短篇集は素晴らしい。
出会いは、池澤夏樹が「短篇コレクションI」に入れた「ささやかだけど、役に立つこと」。これはグッとくる、というか涙した。これほど平易な言葉で、これほど深いところまで届くのか、と驚きながら湧いてくる気持ちに感情を委ねた。
乾いた文体でレポートされたような"悲劇"。感情を具体的な語で指さず、淡々と行動で記録してゆき、ラストの最後の、「ささやかだけど、役にたつこと」のところで綿密に描写する。そのワンシーンだけが読後ずっと後を引くという仕掛け。これは狙って書いて、狙って訳している。レイモンド・カーヴァーと村上春樹、神業なり。
この、翻訳者としての村上春樹つながりで、「Carver's Dozen」にたどりつく。もちろん、本書に収められた「ささやかだけど、役に立つこと」もあらためて読んだ。夏樹選のバージョンよりも文章が膨らんでいるように見えるが、気のせいか。
そして春樹選のレイモンド・カーヴァーを読む。選者自身が「マスターピース」と言い切るだけあって、どれもこれも素晴らしい。あんまり勉強ライクに分析するのは避けたいが、技巧の旨さに舌を巻く。小物やエピソードの一つ一つをとりあげ、必要な細部を拡大しながら、かつ、修飾を捨てて書いている。クローズアップやフラッシュバックのテクニックが控えめ(しかし)要となっている。
紹介者としてのハルキ節も良い。いかにも彼の小説の登場人物が言いそうなもったいぶった言い回しでオススメされるとクラっとくる。修飾子のリズムが心地よく、本編読了後にまた戻って読み直してしまう。このレコメンドの風合いはわたしの薬籠にしたい。
しかし話はこの「困ったぷり」を描くいつものカーヴァレスクなトラジディコメディーにはとどまらない。ふとしたきっかけで、物語の流れは二人の「赤の他人」のあいだに生じる奇跡的な魂の融合のようなものへと突き進んでいく(「大聖堂」の紹介)
幸せな人間は一人も出てこない。だからまったくもって明るい話ではないのだけれど、どういうわけか読み終わったときにじわっと胸が温まる思いがする(「ぼくが電話をかけている場所」の紹介)わたしの胸をつかんだのは、以下の3つ。構成、描写、そして物語として傑作の類に入る。
・ささやかだけど、役にたつこと
・大聖堂
・足もとに流れる深い川
カーヴァーを読むと、きっと胸がじわっとくる。そろそろ、この現象に名前をつけるべき。寒い夜にはカーヴァーをどうぞ。
| 固定リンク
コメント