紀伊國屋は売切れ御免、amazonは残り僅か「なぜ私だけが苦しむのか」
オススメ本をプレゼンし、読みたくなった一冊を決める「ビブリオバトル」に行ってきた。
わたしが推したのは「なぜ私だけが苦しむのか」。付せんと傍線と書き込みで一杯の、この一冊は、死ぬまで手放すことはない。これは、「人生の保険本」だ。本を読む元気があるうちに読んでおき、いざ不幸の一撃に見舞われたときに思い出す本なのだ。「買うべし(命令形)」と猛プッシュしたお陰で、ビブリオバトル終了直後、すぐに売り切れになった。
これ、ロングセラーなのに、置いてる本屋や図書館が少ない。Amazonでもよく品切れになる(現在11点の在庫)。この本が必要になるときは、人生のうちで必ずある。そのときは、すぐに読みたいはず。そして、「そのとき」に手に入るかどうか、分からないから。ここらは自動車保険や生命保険と同じ。「そのとき」になって直ぐに連絡できるよう、保険会社の連絡先は常に携帯している。同様に、イザというとき、この一冊にアクセスできるようにしてある。
では、「そのとき」はどんなときか?サブタイトルがヒントになる→「現代のヨブ記」とある。旧約聖書のヨブだ。善人ヨブは、健康、家族、財産に恵まれていたが、神の試練により全てを奪われてしまう。そして、「なぜ私だけが苦しむのか」に突き当たる。ヨブだけでなく、本書では大災害や戦争、ホロコーストの犠牲者の立場から、このテーマを深堀りしている。
世の中に、「因果応報」とか「自己責任」、あるいは「起きていることは全て正しい」といった考え方がある。これには反対の立場にいる。もちろん、ポジティブシンキングや「言葉は行動に出る」といった考えは、日常生活では大切だ。だが、これで人生を割切るのには、無理がある。
例えば、家族や友人がガンにかかったら?事故で子どもを亡くした夫婦や、災害で家を失った人には、どんな言葉をかければいいか。いや、そうした災厄が自分自身に襲い掛かったら?「起きていることは全て正しい」という言葉がどんなに残酷に響くか。
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の大審問官で、同じテーマを追求している。虐待されて死んでゆく子どもがいることに、何の正義があるんだ!神さまってやつがいるとしたら、いったいどこにいるんだ!と叫ばせている。
これは、前世や試練といった言葉では、とても受けきれない。科学的に説明できることと、納得がいくことは別だ。「自己責任」という言葉の裏には、「あなたが別の選択をしたなら、違う結果になっただろう」という「責め」が潜む。既に充分に痛みを受けている人にとって、追い打ちをかけているに等しい。
著者は、この悲しみに、宗教はあまり役立たないという。痛みを和らげるより、神を正当化するのにやっきになっているから。だが、だからといって神を否定することもない。善ではない全能の神か、全能ではないが善なる神か、という選択の問題なのだという。
p.63とp.93に、ある「祈り」が書いてある。ひときわ目立つように付せんしている。わたしはキリスト教徒ではないが、この「祈り」は共感できる。自分が不幸に直面したとき、どうなるか分からない。だが、この本には「応え」があることは知っている。解答の「答え」ではなく、応答の「応え」だ。
これは、人生の保険となる本だ。買えば安心、というわけではないが、少なくとも手元にあるとないとでは、違ってくる。だから買いなされ―――
―――なんてプレゼンしたら、完売した。トップはとれなかったものの、かなりの方に「この本が読みたい!」と思ってもらえたようだ。この本に出会えたのは、finalventさんのおかげ。ありがとうございます。
もったいないなー、と思ったのは、岩波が岩波であるが故の問題。買い取りなので、部数をそろえられなかったみたい。なので、「欲しい!」「読みたい!」と思ったのに買えなかった人が続出。新宿南口のコクーンタワーのBook1stでは一冊だけ確認しているが、重要なのに手に入らないので歯がゆい。この本を必要とする人の数からすると、少なすぎるスゴ本。下のスキマはその跡地。見つけたら買うべし。
で、わたしが参戦した第三ゲームは、かなりレベルの高い本がそろってた。トップ取ったのは、おぎじゅんさんプレゼンの「プルーストとイカ」。これは読書という行為が脳を変えていった過程を多角的に攻めていったスゴ本。ラストのgoogle脳が「最近の若者は…」論になってるけれど、素晴らしい啓蒙書ナリ。あと、食人植物+デイズアスターSFの古典「トリフィド時代」がプッシュされてのけぞった。確かにこれは今読むべきSFの一冊かも。
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コメント
「なぜ私だけが苦しむのか」以前ご紹介されたときに読みました。
全体を通して妄想に逃げずにきちんと現実に向き合うための考え方が書いてあってとてもよい本だと思います。
ご紹介ありがとうございます。
若干宗教アレルギーなのでキリスト教徒に向けた語り口がきつかったのですが、大部分は宗教関係なく日常的に役に立つ考え方なので実践していきたいです。
投稿: 柊 | 2011.10.12 18:41
先日『エンディングノート』というドキュメンタリー映画を観た
影響もあって、いまの自分なら「いざ不幸の一撃に見舞われた
とき」=「がんの告知」だなーと勝手に思い浮かべてます。
(Dainさんはすでに観てるかもですが、このドキュメンタリー
映画もかなりおすすめですw)
投稿: ぽす | 2011.10.13 00:19
>>柊さん
お!読まれたのですね、嬉しいです。
わたし自身が健康で「不幸の一撃」をもらっていないので、書いてあることの一つ一つが想像でしかありません。それでも、いざわたしがそうなったなら、きっとこの本を開くだろうなぁ、と予想できます。
宗教にハマるのも一手ですが、その性質上、排他的にならざるを得ません。「楽に生きなさい」を推奨するブッダの教えとかが気楽で良いのですが……なかなか難しいですね。
>>ぽすさん
オススメありがとうございます、「エンディングノート」は見てないです。村上たかし「星守る犬」と相まって、"そういう世代"が消費者としてターゲッティングされているなーという観点で興味を持っています。わたし自身が投影するならば、重松清「カシオペアの丘で」でしょうか(これもガンですが)。秀逸なコピペをどうぞ↓
「久々に堪らない思いになった」
http://yogananda.cc/kandou/052.html
いずれにせよ、昨年から今年にかけて、「死を抱いて生きる」ことを自覚するようになっています。
投稿: Dain | 2011.10.13 06:19